みことばの光的毎日

聖書同盟「みことばの光」編集者が綴るあれこれ

わが神、わが神

2018年08月27日 | マルコの福音書

マルコの福音書 15章33−47節

 当地に来て少し経ってから、音楽をしている方とハイドンとシュッツの「十字架上の七つのことば」について、一緒に学ぶ時間を取ったことがあります。その方が音楽について私に教えてくださり、私がイエスが十字架上で口にした七つのことばの意味をお教えするという趣旨でした。

 マルコの福音書は、イエスの十字架上の七つのことばのうち、「エロイ、エロイ、レマ、サバクタニ」という不思議なことばを記しています。これは当時、イエスと弟子たちとが話をするときに用いたアラム語のことばです。聖書には「わが神、わが神、どうして私をお見捨てになったのですか」という意味であると付記されています。

 神のひとり子であられるイエスが、ここでは「わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか」と祈っておられるのです。三位一体の父がご自分の子を見捨てるはずなどあるはずがないのに…。つまりイエスは、神であられるお方なのに、私たちと同じになられたということをこの祈りは明らかにしています。

 神のひとり子が神に捨てられるというありえない、有難いことを味わっておられるのです。決して死を味わうことなどないお方が死に渡されようとしている絶望の中におられるのです。それは、神との結びつきを自分の罪ゆえに断ってしまった人と同じようになられたということです。

 それでもイエスは、「わが神、わが神」と祈ります。神はわたしをお見捨てになったのですかと絶望の中にいながらも、それでも祈るのです。何があっても祈ることをやめない、祈ることをあきらめて誰かに相談しようとするのではない、神に見捨てられたと思うようなときでさえも、神に祈れと促す祈りなのです。

 イエスのこの祈りは詩篇22篇の初めのことばです。詩篇22篇は神が自分を顧みてくださらないことを一つ一つ訴えています。しかし、その詩篇の結末は賛美に、希望にあふれています。決して祈るのをやめてはならない、神に捨てられたと思っているときでさえ、祈るのをやめるなというイエスからの語りかけが聞こえてきます、「エロイ、エロイ、レマ、サバクタニ」という十字架上のことばによって…。

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