マルコの福音書 11章12−25節
木曜日の夜から朝にかけて嵐が…。これで空気が変わり、前日までとは違って、陽射しはあってもヒンヤリとした風が心地よくなりました。夏が終わるのでしょうか。
この箇所には、イエスがろばの子に乗ってエルサレムに入城した翌日と翌々日のことが記されています。イエスはベタニヤからエルサレムに通っておられたのです。ベタニヤのマルタ、マリヤ、そしてラザロの家に泊まっていたのだと考えられます。
翌日の朝、イエスは空腹を覚えられました。朝なのに…と思うのですが、ガリラヤから来た漁師たちや農夫たちが泊まったので、ベタニヤの家が用意した食べ物では足りなかったのかもしれません。イエスは小さな初なりのいちじくの実を期待したのですが、その木にはありませんでした。イエスは木に向かって、おまえから実を食べることがないようにと言うのです。
そして、エルサレムに着いてイエスがなさったのは宮きよめ。宗教的にはあらゆるものが整っているかのように見えるエルサレムの神殿は、初なりの実をつけないのに葉が茂っているいちじくの木のようでした。神の宮であるのに祈りが妨げられるというのは、何という皮肉かと思うのです。
さらにその翌日、同じところを通るとあの木が根元から枯れていました。イエスはこのことを用い、祈りについて弟子たちに教えられます。信じて祈れと教え、祈りを妨げるものを取り除くようにと教えておられるのです。
自分の祈りはどのようなものによって妨げられているのか、スマホでのメールチェック、人とのつき合い、聖書を学ぶこと…いろいろなものが神に祈る自分の前に立ちはだかっていることに気づかされます。