みことばの光的毎日

聖書同盟「みことばの光」編集者が綴るあれこれ

逮捕の場面で

2018年08月23日 | マルコの福音書

マルコの福音書 14章43—52節

 昨日は日本の試合がありませんでしたので、午前に女子のドイツ対中国戦を見ました。いやぁ、ホームゲームとはこうなのだということを実感。観客のほとんどがドイツチーム応援で、ずっと太鼓が鳴り響いています。中国にとってはアウェイ。結果はドイツの勝ちでしたが、中国も最後まであきらめませんでした。

 イエスの逮捕を巡り、ここには何人もの人物が描かれています。

 一人はユダ。彼はイエスを祭司長たちに売り渡しました。口づけは親愛の情の表現としてなされるはずの者なのに、彼にとってのそれは暗がりで逮捕すべきがだれなのかの目印。ユダの心が洗われているかのような偽りの口づけです。

 ユダに手引きされてやって来たのは群衆。彼らは都で実権を握る者たちから差し向けられ、剣や棒を手にしていました。一人を捕まえるために大勢がそれなりの武装をしています。

 イエスを捕まえに来た者たちの中にいた大祭司のしもべの耳を剣で切り落としたのは、マルコの福音書には名が記されていませんが、ペテロです。彼はイエスを守るために勇敢に戦ったように映りますが、漁師が剣を振り下ろすところに彼の弱さやもろさが見えてしまいます。

 そして「ある青年」。イエスについて行こうとした彼は、人々から捕まえられそうになり、裸で逃げました。「ある青年」とは、この福音書を書いたマルコのようです。この福音書はペテロの経験に基づきマルコが書いたと言われていますが、この部分を書く時に二人は互いに「とんでもない失敗をしてしまった」と互いの苦い経験を分かち合い、それでも主のあわれみによって自分たちの今があるのを、深い感謝とともに書いていったのではないでしょうか。

 さて、自分は以上の人々の中のだれなのだろうかと、立ち止って考えています。


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