みことばの光的毎日

聖書同盟「みことばの光」編集者が綴るあれこれ

何も言わなかった…

2018年08月28日 | マルコの福音書

マルコの福音書 16章

 月曜日、徒歩で市街地まで出かけました。この夏は小雨で気温が高かったために、あちこちの芝生からは緑色が失われていました。でも、陽気は夏の終わりを感じさせてくれます。日本はまだ残暑が厳しいと報じられています。お大事になさってください。

 私たちはイエス・キリストは十字架で死んだ後に復活したと聞いて信じていますので、マルコの福音書16章を読むときも、ここはイエスの復活が書かれてあるのだと、読み通します。けれども、もしも私がゴルゴタでの十字架の出来事の後、安息日が終わった日曜日の早朝にイエスのからだが納められた墓に向かっていた女たちだったとしたら、その後に体験する一つ一つのことをどのように受け止めたのだろうかと想像を巡らしてみたら、どうでしょうか。

 女たちや弟子たちがイエスの復活をどのように受け止めたのかについて、動詞を拾ってみましょう。「非常に驚いた」(5節)、「逃げ去った」(8節)、「震え上がり、気も動転していた」(8節)、「恐ろしかった」(8節)。

 この福音書は「恐ろしかった」ということばで終わっています。しかし、それではいかにも…ということで、ほかの福音書(おもにルカの福音書からでしょうか)の復活についての記事を元に、「その後」を書き加えています。8節そのものにも、女たちが「何も言わなかった」では終わりようがないということからか、「短い補遺」というものが加えられています。それによりますと、「彼女たちは、命じられたすべてのことを、ペテロとその仲間たちに短く伝えた…」のです。

 あまりの出来事に驚き、恐れ、何も言わなかった女たち。マルコはそこから先は、読む者たちがすでに知っていることだとして、イエスの復活とはこれほどまでのこと、それを見聞きした者たちが驚き、恐れ、気が動転して何も言えないほどのことなのだと伝えたかったのではないのだろうか、と想像するのです。

 自分にはイエスが復活されたということについてこれほどまでの驚きがあるか、恐れや動転があるのかと問われます。それがあって初めて、福音は力をもって届けられていくのだと考えるのですが…。

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