みことばの光的毎日

聖書同盟「みことばの光」編集者が綴るあれこれ

すり替え

2016年09月23日 | ローマ人への手紙

ローマ人への手紙 2章17−29節

 気がつくと、アウトバーン沿いの木々は色づき始めていました。夕方に公園を歩くと、木々にはさまざまな実がついています。

 「もし、あなたが自分を」とパウロは話を進めます。このあと展開する、人は何によって神に義と認められるのかというテーマに入る前に、パウロはほんとうのユダヤ人とはどのような人なのかについて明らかにしようとしています。これを聞いて、それこそはらわたが煮えくりかえるような思い担ったユダヤ人もいたかもしれませんが、パウロ自身はユダヤ人として、同胞の救いを誰よりも強く願っていることが、やがて明らかになります(9—11章)。

 この箇所が、ユダヤ人ではない私たちにどのようなつながりがあるのかについて、きょうの「みことばの光」は次のように書いています。「17節を『もし、あなたが自分をクリスチャンと称え、……派の教会に属することを安んじ、神を誇り……』…と読み替えるなら、思い当たることや心が刺されることがあるのではないだろうか。」

 私たちは何を誇りとしているのだろうかと問うてみる必要があることに気づきます。大切なことは何か、それは聖書を読んでいるとか、教会に通っているとか、奉仕をしているとか、すべてを落ち度なく行っているとか、そのようなことではなくて、神との結びつきの中に生きているかということではないか、見えないお方とつながっていたいと歩んでいるかということではないかと問われます。

 気づかないうちに、大切でないものによって大切なものをすり替えているということがあるのです。


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