歴代誌第二 30章
夜の寝苦しさが「日本に戻って来た」ということを実感させてくれます。
ヒゼキヤ王は、全イスラエルとユダに使いを遣わし、マナセとエフライムには手紙を書いて、ともにエルサレムの主の宮で神に過越のいけにえをささげようと呼びかけました。とはいうものの、祭司の数が不足していたために、一か月遅れで過越のいけにえをささげることになりました。このようなことにも、父アハズの時代に主の宮とそこでの礼拝がどれだけ荒廃していたかを想像してしまいます。
ベエル・シェバからダンに至るまでというのは、当時のイスラエル(ユダとイスラエル)の南から北まで、ということです。王に仕える近衛兵が国中を行き巡っていっしょに過越のいけにえをささげようと呼びかけたのです。呼びかけを聞いて、近衛兵を物笑いにし、あざける人々がいました。 袂(たもと)を分かった人々にはそれなりの言い分がありますので、呼びかけられたからといって、やすやすとエルサレムに上ってなど行けるものかという思いもあったのでしょうか。一方で、アシェル、マナセ、そしてゼブルンのある人たちはへりくだって、エルサレムに上って来ました。
「へりくだって」ということばを思い巡らしてみました。気がついてみると、見えない物差しのようなもので、自分と人とを上か下かと考えているというようなことがあります。どんなによい提案でも、誰もが「いいね」と受け入れるわけではありません。受け入れたら自分が下なのがわかるとか、間違っているのを認めることになるので、首を縦に振らないどころか、相手を非難し、あざけるようなことも起こります。
「何事でも自己中心や虚栄からすることなく、へりくだって、互いに人を自分よりもすぐれた者と思いなさい」と勧めるパウロは、主イエスのお姿を示しています。⇒ピリピ人への手紙2章1−11節