みことばの光的毎日

聖書同盟「みことばの光」編集者が綴るあれこれ

心挫けて

2016年09月17日 | 詩篇

詩篇 102篇1−11節

 きのうの朝、戻って来ました。機中、池井戸潤さんの「陸王」(りくおう)という小説の電子ブック版を購入し、完読。そのせいか、今回は時差ぼけが厳しいです。「陸王」というのは日本製のオートバイのブランドですが、小説の内容は違っていました。

 舞台は私の地元の埼玉県行田(ぎょうだ)市。水城(すいじょう)公園、埼玉(さきたま)古墳公園などの地名が懐かしく、想定されているのはあの足袋屋さんかな? などと想像を巡らして読みました。内容は、先細りの足袋屋が果敢に生き残りをかけ、あることに挑戦して…というものです。同じく行田を舞台にした小説「のぼうの城」に続いて、映画化されるような予感がします。

 この詩篇で、作者は自分の窮状を様々なものにたとえています。それは、作者の感性の豊かさを示しているとともに、彼の苦悩の大きさを物語っているように思うのです。きょうのタイトルは新共同訳聖書からとりました。
 たとえば、6節に「荒野のペリカン、廃墟のふくろう」(新共同訳 「荒れ野のみみずく、廃墟のふくろう」)ということばがあります。これは、群れを作らないと言われるペリカンにたとえて、作者の孤独を表現したものだと言われています。

 人は、ちょっとしたことでも心が萎えてしまいます。ホンの些細なことでも…。陰口や批判が、その人の身体さえも蝕むことがあります。しかも、それが主にある者たちの交わりで起こるのだとしたらなおのことでしょう。

 作者は、そのような中で神に祈ります。敵のそしりの遠因が神に見捨てられたと感じるようなことであったとしても、神に祈るのです。ここにのみ、作者の、そして信仰者の希望があります。

〈お知らせ〉 友人の森住ゆきさんの「和紙ちぎり絵展」が19日から23日まで、前橋キリスト教会(前橋市朝日町)で開催されます。お近くの方、お出かけください。http://www.morizumi-yuki.com/index.html


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