ローマ人への手紙 1章18−32節
きのうは、朝早くに「みことばの光」12月号の編集の打ち合わせを日本との間でしました。クリスマスの聖書箇所を編集していますと、この頃はどんな気候なのだろうかと想像してしまいます。
私は今、単身生活をしています。食事作りを…と意気込んでいます。でも、作って食べる段になるとお腹がすでにいっぱいに感じます(それでも食べますが…)。それにしても、家事をキチンとするのは時間が取られるものですね。妻に感謝です。
「罪とは何か」と問われたら、きょうの箇所を示すことだと言われます。パウロは、信仰による義をこれから論じていくのですが、義とされる者たちの実情がここに記されています。まずは神との関係が壊れており、このことから自分との、そして他の人との関係が壊れていると話を進めています。人の罪とは何かと尋ねられたら、あのこと、このことを思い浮かべるかもしれません。しかしここでは、造り主である神との関係を人が壊したと言っています。
神はお造りになったすべてのものによって、ご自分がどのようなお方かを啓示なさいました。ところが人は、それらによっては神を神としてあがめるようなことにはならなかったのです。神をあがめない人は、人との関係にも崩れを来します。
心に留めたのは、「引き渡す」ということば。が新改訳聖書では三度用いられます。またこのことばを新共同訳聖書では「まかせられた」と訳します、これは、「彼ら」がほんとうはいやなのだけれどもむりやりにやらされたという意味で用いているのではありません。使徒の働き7章42節では、「神は…彼らが天の星に仕えるままにされました」と訳します。好きなようにする自由を手にしてはみたものの、使えば使うほど、人が縛られてがんじがらめになってしまうというような意味なのです。恐ろしや、「自由」。