みことばの光的毎日

聖書同盟「みことばの光」編集者が綴るあれこれ

別の道で

2016年09月27日 | ローマ人への手紙

ローマ人への手紙 4章1−12節

 郵便局からスーパーまでの途中、胡桃(くるみ)を拾っている人を発見。かなり葉が散らかっていましたので、道具を使っていたようです。それで刺激され、公園で胡桃の木を見つけては探しました。収穫は1個。大切に持ち帰りました。広い公園内の初めての道を歩いた(制覇した☜大げさ)喜びも味わいました。

 パウロのアブラハムやダビデについての考えを読んだユダヤ人の中には、カチンときた人がいたのかもしれないと想像しました。イスラエルの民にとってアブラハムとは自分たちの父祖という特別な存在でした。けれどもパウロは、アブラハムが割礼を受ける前に、信仰によって義とみなされたと説きます。それは、アブラハムは割礼を受けないままで信じて義と認められたすべての人の父となり、割礼のある者の父となるためだなどと言うのです。

 ダビデは姦淫、むさぼり、偽証、殺人というひどい罪を犯しました。しかし、神は罪を悔い改めたダビデをお赦しになったのです。パウロはダビデもまた、信仰によって義とされたひとりなのだと取り上げているのです。

 ここからは、「行いとは別の道で」ということばを心に留めました。イスラエルの人々に限らず、人は自分が何をなしたか、何ができたかに自分の価値を見出そうとしています。しかし、それは自分や周りを納得されることはできても、神の義を得ることはできないのです。「別の道」が示されたのです。

 「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです」(ヨハネ14章6節)とのイエス・キリストのことばを思います。


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