ローマ人への手紙 2章1−16節
上を飛んでいる飛行機がどこに行くものなのかがわかるアプリがあります。明け方に近くで轟音がしましたので調べてみたら、台北からの飛行機でした。どうしてこんなことがわかるのでしょう。不思議ですね。未だに、あんな重いものが空を行き来しているなんて、ありえないと思っているのが私です。いかがですか。
この章は、「すべて他人をさばく人よ」ということばで始まります。これまでパウロが書いてきたのは、まことの神を恐れ敬うことのない異邦人。その異邦人をユダヤ人は「ほんとうの神を知らない人々」だとしてさばいていたのです。ところがパウロは、そのようにしてさばくことによって、自分を罪に定めていると語っています。
この箇所で何度も出ているのが「さばく」ということばです。ユダヤ人を異邦人をさばくように、人が人をさばくというのは、私たちの身の回りにも見られます。私たちは気がついてみると、人の噂をし、さばいています。さばくといえば、メディアには不正をした人に容赦なく追及します。しかし、そのような立場が逆転しますと、今度はみじめにも自分があれこれと突かれるのです。盛んに追求している人も、守勢に回ったら何も主張するものはないのです。
けれども、もっと恐ろしいこと、そしていつも心に留めるべきは、神がすべてのものを正しくおさばきになるということです。人は神のさばきの前には、沈黙せざるをえません。私たちは誰もが、このさばきの日に向かっているのだ、ということを16節から考えました。