魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

青年の夢

2013年04月11日 | 日記・エッセイ・コラム

もう、今年の初めの立春から66日、春分から22日も経つ。
桜も散り、日が長くなった。あっという間だ。

光陰矢の如し。株は上がったが、100日目のアベノミクス。第三の矢が、ちゃんと飛び出すか皆心配している。
既得権の抵抗勢力を根こそぎ引き抜く規制緩和ができるのだろうか。支持率の高い内に農地法改革のような、世紀の大改革をやって欲しいものだが、どうなんだろう。

年寄りは口を揃えて、「自分の年が信じられない」と言う。
若い人には信じられないだろうが、たいていの年寄りは、10代のまま暮らしている。せいぜい20代だ。

しかし置かれた環境は変わっている。
年寄りは時代に取り残されていく。
半世紀前の当たり前は、捨てなければならない。
高度成長の夢は、白紙にして考えなければならない。
右肩上がりや工業・貿易立国、農業保護、バラマキ福祉・・・
これを当然と固執するのは、思い出世界の年寄りだ。

これらが全て不可能なら、どんな未来に向かっていくのか。それを考えるのが、本当の万年青年の年寄りだ。
しかし、青春埋没老人よりもっと困った年寄りは、初めから年寄りの青年だ。