魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

大関越え(2)

2013年04月25日 | 探訪・紀行

合流点の「逢坂一丁目」を過ぎると、道は国道1号線の東海道の逢坂山を、ひたすら登って行く。と言っても、登り切るまでⅠ㎞もない。蝉丸の昔は本当に険しい峠だったらしいが、江戸期に掘り下げられ、今日の姿になったのだそうだ。

峠を登り切ったところが、大谷駅手前の有名なうなぎ屋だ。ここには関蝉丸神社とは別に、蝉丸神社がある。大谷駅から後は、なだらかな坂道が追分まで続き、その後も、四宮、山科まで、ほとんど下り坂だ。
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蝉丸神社
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蝉丸神社から、大谷町、東海道を見下ろす

昔は三条、今は五条
東海道は京都の三条に続くので、昔から三条通と呼ばれてきた。
しかし、国道1号線は、四宮の合流点で五条方面に別れて五条通りに続くことになる。京都で国道1号線とは五条通を指す。
ここからが、「わけわからん???」の始まりだ。

昔の東海道は弥次喜多の像がある三条大橋が京都の入口だが、自動車時代の現代は、五条大橋が京都の入口で、鉄道JR京都駅は八条だ。
なお、京阪鉄道は昔ながらの三条通に沿って三条駅に抜けている。
現在の東海道線ができるまで、京阪のコースが当初の東海道線で、大津港から長浜までは船で渡していた。しかも、琵琶湖が東海道線最後の分断点だった。

三条大橋への旧東海道は、大谷駅から山科を抜け御陵のJR高架下で、新三条通と合流するまで4㎞下りだが、そこから南禅寺や都ホテルのある蹴上げまで登って行く。徒歩や自転車にはこの道がふさわしい。

大谷駅から、東海道を下っていく
追分駅の手前、大谷駅寄りに国道1号線から旧東海道に別れる道があり、歩道橋の下に仏立寺と藤尾交番が建っている。
地図で見る限り、国道1号線をこのまま行くと、三条・山科側に渡る方法が無いし、自転車なら旧東海道だと思うので、藤尾交番の前で、旧街道に斜めに左折し、下って行った。
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左手が藤尾交番、旧東海道方面

「追分」の地名となった、東海道から伏見方面に分かれる髭茶屋追分の分岐点を通り過ぎ「京都方面」に向かう。

地図では見当たらないが、突き当たれば、きっと自動車道をくぐるトンネルがあるはずだと、突き当たったら、再び自動車道の大河、四宮の合流点に出てしまった。対岸に渡るには、そこの歩道橋しか無い。

自転車道が無い そんなわけ無いだろうと、もう一度、来た道に引き返して、自動車道の壁沿いを更に下って行った。
坂道を勢いよく下って行くが、行けども行けども、抜け道が無い
グルーっと回って、竹中電子を通り過ぎた頃には、向きは完全に180゜変わった。

ようやく、十字路のトンネルが有った。しかし、このトンネルを抜けても、三条山科方面に引き返すには、相当離れて、方向も解らない。

『まてよ、まてよ、どう行きゃいいんだ?』と、スマホを出して地図確認をするが、それでもよく解らない。
ふと後ろを見ると、佐川急便のお兄さんが、停車した運転席で眉間にしわを寄せて、やはりスマホをいじっていた。

つづく