魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

恋愛結婚 補足

2013年04月21日 | 日記・エッセイ・コラム

このところ、頭痛で、長い文が書けないため、昨日の話には、多少、付け加えなければならないところがあるようだ。
「恋愛結婚」は不幸になるようなことを書いたが、すべてに当てはまるわけではない。

恋愛の相互誤解、いわゆる、スタンダールの結晶現象のような恋の末の結婚は不幸になるという意味で、一般に言う恋愛結婚には様々な姿がある。

始めから結婚のために出会う男女の恋愛は、恋の結果ではなく、結婚のために近づこうとする「相互努力」の場合が多く、実体は、現代的な見合い結婚だ。
多くの場合、合コンや紹介は、これに含まれる。ある程度の条件が既に考慮されているからだ。

危険な恋は、互いに探してもいない時に発生する、ある種の一目惚れで、いわば、交通事故だ。
互いが、何の根拠も無く「運命の人だ」と思い込むわけだから、二人揃って、よほど勘の良い人でない限り、まず勘違いだ。

この勘違いの仕組みを語り始めれば、万巻の書が生まれるが、一言で言えば人間の、あるいは、男女の「性(さが)」につきる。
生物として、同時に、社会的動物ゆえに起こる、破壊衝動であり、
秩序を破って、新しいDNAをつくりたい。ただそれだけだ。

秩序維持の仕組みである「結婚」には、恋愛とは相反する行動が要求され、当然、そのまま結婚すれば、極めて難しい問題が待っている。

恋は、新DNAを創ろうとする、突撃のスピリッツ(酒)であり、結婚は、勢いだけでは続かない、面倒な繁殖小屋の営みだ。