魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

デッサン

2013年04月23日 | 日記・エッセイ・コラム

画学生が必ずしなければならないことはデッサンだ。
彫刻や服飾、工業デザインでも、基礎力を付けるために一度はデッサンを学ぶ。
何の基礎力かと言えば、絵を上手く画く技術ではない。
物を見る力を付けるためだ。
このことを、案外、解っていない画学生もいる。

見た物を再現しようとして、物を見ることと、ただ、何だろうと思って見るのとは、客観性が全く違う。
何だろうと思って見る時は、見る瞬間、自分がそれにどう反応するかに注意が向けられる。
しかし、見たものを再現しようとする時は、自分がどう反応するかは全く関係ない。対象となる物の、在るがままの姿に注意が集中する。

デッサンの下手な人は、もちろん手先が不器用な人もいるが、多くは上手な絵を描こうとする人だ。対象物をよく見ないで、自分の思い込みを再現しようとする。見た目は美しいが、現物とはかけ離れた形になっていたりする。

絵を描く人が、意外と核心を突いたことを言うのは、物の実体を客観的によく見ているからだろう。

絵を描かなくても、デッサンはやってみる方が良いと思う。
何の問題も無く生きているつもりでも、ほとんどの人が、物や現象に反応することで生きている。

自分の思い込みや願望と関係の無い、客観的事実に対する姿勢を持つことで、自分自身の考え方も変わってくる。見た目に反応することから、対象の実体を考えて対処することを考えるようになる。

デッサンは上手い絵を描くための練習ではない。物と対峙することで、座禅のような効果がある。
ある意味では、自分が考える瞑想より、対象物というどうしようもない現実と向き合うことで、また別の優れた修行になるかも知れない。