魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

天真爛漫

2013年04月19日 | 新鎖国論

日本人が劣化していると言われて久しい。
劣化とはどういうことを言うのだろう。精神やモラル、あるいは能力のことだろうが、これは人間が人間として生きていく上で欠かせない要素であり、集団としての日本人を考える場合も、おそらく同じことが言えるのだろう。

人間として生きると言うことは、鶏小屋のブロイラーのように、ただ生きていても人間とは言えない。
社会性をもち、生産活動をし、何らかの価値を生み出していなければ、人間とは言えないだろう。

日本人が劣化したとは、以前の日本人が人間として行っていた、価値の創造が希薄になったと言うことだろうし、ハッキリこれが、この行為がと、指摘することができなくても、なにをしようとしているのかよく見えなくなったと言うことだろう。

日本人という場合、おそらく、他とは違う特異性に対する誇りを含んでいる言葉だろうし、もし、そういうものがあるとすれば、島国の環境と鎖国政策の中で生まれた、自立採算への気概だろう。
世界と比べて明らかに違う環境で生まれた文化と意識は、自覚無自覚にかかわらず他とは異なるものだ。

その日本人は、150年にわたる異文化との交わりの中で、他流試合の不利と有利を経験したが、オリジナルの有利性は、世界的にも驚くべき成功を生み出した。

その反面、世界との交わりにより、無菌状態で過剰な吸収をしたことで病魔に冒され、それが日本人本来の姿を失い「近代病」の重症患者になったのかも知れない。。

企業国家日本
「近代病」とは産業革命パラダイムの病だ。大量生産大量消費を追求し、効率だけを求めるあまり、「遊び」を失い、金にならないことには無気力になった。
これを生んだのは、国家と学校と企業であり、その総合システムが成功と行き詰まりを生んだ。

企業が冒険をしないのは、企業は人間では無いからだ。人間は感情や情熱でワケの解らない行動を取るが、企業はムダや危険なことはしない。
日本人の生真面目さ、信仰心に篤い「ひたむき」さゆえに、産革パラダイムに一丸となって冒されているのが、現代日本人であり、これが劣化の正体だ。

本来の日本人、劣化していない日本人は、現代日本の落ちこぼれの中に生きており、オタクやサブカルチャーが、行き詰まった企業国家日本を救う芽となって大きく育ってきた。

遊び心、冒険心を持っているものこそ人間だ。そして、その天真爛漫を1500年の長きにわたり大きく育ててきたのが日本列島だ。