大隈重信没後100年記念展

2022-05-15 00:00:00 | 美術館・博物館・工芸品
先月、早稲田大学の村上春樹ライブラリーに行った折に、開催中の大隈重信没後100年記念展を見に行く。早稲田大学の1号館の建物が早稲田博物館になっていて、その特別展として関連資料が展示されている。



大学が創設者の展覧会をするので、悪いことが展示されるわけはないという前提で書くと、政治家としての批評ではなく、大学創設にかかわる事項が中心になっているといえる。



よく早稲田と慶応を比較して、早稲田を在野精神ということになっているが、政治から離れていたのは慶応の方で大隈重信は政治家そのもので、総理大臣を2回も務めているし、内務大臣はじめ大臣職も長く勤めている。また、総理大臣をやめる時も政党政治のバランスの中で野党になったり与党になったりしている。万年野党ということではない。

そして、自分で年表を見ながら考えると、幕末史に登場する有名人の中で、最後に亡くなった(1838-1922)ということもできる。同年代の井上馨とか板垣退助とか、また年下の伊藤博文は先立つこと13年前に暗殺されている。

一方、尾崎行雄とか犬養毅といった純粋な政治家よりは15歳ほど年上で、明治大正という二つの時代を自ら変貌しながら生き抜いていたという評価がいいのではないだろうか。

さらに細かく見ると、明治維新のあと、大久保利通をはじめ岩倉使節団が訪米訪欧している間に日本留守居役として西郷隆盛と不仲の中、様々な日本の基礎作り(鉄道とか)をしている。

帝国主義者であるという批判が正しいかどうかはにわかに決めがたいが、当時の大国はすべて帝国主義であったということだろう。


ところで会場となった早稲田博物館だが、大学の1号館にある。この1号館は1935年竣工であり、戦火にも残ったそうだ。入口の二本の門柱だが、明治時代に作られた大学の正門の柱を加工したものだそうだ。加工ということは石を削ることだろうから移動するたびに細くなるはずだ。