いぶろぐ

3割打者の凡打率は7割。そんなブログ。

僕が死んだら

2007-04-26 02:24:20 | 特選いぶたろう日記
どうなるだろう?と、たまに考える。
死んだ後の世界については考えないことにしている。
考えたって解りっこないからだ。
子供にとって大人の世界が想像もつかないように、
けれど大人になってみれば、ああこんなもんかとわかるように、
死後の世界も死んでみれば解るものなんだろうと思う。
いつかも書いたが、この世の過ごし方で来世が決まるなんて、ぞっとする。
そんなあーた、中学生の内申点じゃないんだから。
死んでみなければわからない、
あるかどうかもわからないのに、あるという前提に立つのもばからしい。
そこで、死んだら何もないという仮説に立つ。

とすると、自分が死んだ後この世の中はどうなるのか、
自分は関知することが出来ない。
もちろん、自分独りいなくなったところで、地球は回る。
海の魚が一匹死んだとて、海に変わりはないように、
僕ひとりが消えたとて、
陽は昇り、電車は走り、テレビはわめき、タイガースは勝つだろう。

自分の周囲はどうか。
あの世がどんなところかはわからないが、
この世がどんなところかについてはまあまあ知っているので、
自分の周囲が、自分を欠いた時どうなるのか、
想像してみるのはわりと面白い。

「僕が死んだって誰も何にも思わない」
「誰か悲しんでくれますか」
とことさらに言うのは、構って欲しくてたまらない、
本当に寂しい人みたいだ。
そういう意図じゃないことは誤解なく伝わっているだろうか(笑)。
念のため、本当に念のため言っておくけれど、
自殺とかそういうことを考えているわけじゃないからね(笑)。
僕は基本的に自殺というものに対して否定的だ。
特に、五体満足でありながら死を選ぶ者についてはアホだとすら思う。
何を、どうして、どれほど苦しむかは人それぞれなので、
「そんなことで」とは言いたくないが、
それでもやはり、自ら死ぬからにはよっぽどのことじゃなきゃだめだと思う。
くだらないとは言わないが、
考え方ひとつ、やり方ひとつでどうにでも改善できるようなことを気に病んで、
苦しみながらもなんとか闘おうともせず、抗おうともせず、
実に気軽にリセットボタンに手をかける人々を、僕は軽蔑する。
世の中にはもっと生きたくても生きられなかった人が大勢いるのだ。
事故で、病気で、犯罪で、戦争で、天災で。
その人達の無念を思う時、多少ツライことがあったって、
自分の人生を安易に切り上げてしまうなんてことはできっこない。
健康で五体満足でさえいられるならば、こんな幸せなことはないと思い直すべきだ。
あまつさえ、世の中には健康を失い、身体の不自由を抱え、
それでもなお懸命に生き抜こうとしている人々もいるのだ。
その人達にも、失礼じゃないか。

で、死にたいと思っているワケじゃないんだけれど。
でも、僕が死んだらみんなどう思うのか、どうするのか、
誰が悲しんでくれるのか、誰が喜んでしまうのか(笑)、
興味は尽きない。
意外と、無反応だったりして(笑)。
まあ、親兄弟がしみじみしちゃうのはしょうがないとして、他はどうかなあ。
ロクに付き合いもなかったくせに、また別に悲しくもないくせに、
あるいは生前僕のことなんか鬱陶しがってたりしたくせに、
死んだことでチャラにしてやるみたいな感じで、
葬式で「あいつも・・しょうがないヤツだったけど、死んじゃうと寂しいな」
なーーーんて、ぬかしやがっちゃったりして、
で、周りの人に
「あいつ、イブキと仲悪かったのに、本当はイイヤツなんだな」
みたいなポイント稼いじゃうの、それだけは許し難いな(笑)。
ウソ発見器とか置いておきたいなあ。
生徒は泣いてくれるだろうか。
リバっ娘はどうだろうか。
Rebirthメンバーは来るヤツ来ないヤツ、はっきり色分けできるな(笑)。
男と女の来場比率はどちらが高いであろうか。
「どうして死んじゃったのよー!・・・好きだったのに・・・」
なーんて、棺桶にすがりつかれようもんなら、生き返ってしまいそうだ。
ちょっと、女の子何人かでやってみてくれる?(笑)

ともあれ。
ふと想像してみた時、アイツは困るだろうな、ここは大変だろうな、
そんな風に思えるようでありたい。
例えば塾の先生なんて、世の中にごまんと居るわけだが、
僕の授業は僕にしかできないものでありたい。
もちろん、僕がいなくても塾は続く、
僕の授業は代わりの誰かがやるだろう、
それは僕の授業よりもずっと質の高いものかも知れない、
しかし生徒がみんな僕のことを忘れない、
そんな存在でいられるために頑張ってなきゃいけないなと思う。
歌だって、文章だって、そうだ。
僕よりもうまいやつは掃いて捨てるほど居るだろう、
だけれど、僕のがいいんだ、と言ってくれる人を一人でも多く作りたい。
有名か無名か、カネになるかならないかは、もはやどうでもよくて、
僕が僕として生きた証、僕でなければならなかった必然性というものを、
どうにかこうにか、この世に残していきたいと思う。
その意味で、僕の闘いはRebirth退散で終わったわけではないのだ。

次の目標は、葬式で泣いてくれる人、
惜しんでくれる人を一人でも増やすこと。
手段は、問わない(笑)。

Comments (4)
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