いぶろぐ

3割打者の凡打率は7割。そんなブログ。

ツアー日記:5/3移動編

2005-05-03 14:49:48 | Rebirth歴史資料館
ゴールデンウィークに遠出したのは、バンドとしても個人としても初めてのことだった。毎年語られる渋滞と大混雑の情報だけでうんざりして、地方とは好対照に割と空いてる都心で遊ぶのが通例だったからだ。それにしても、連休ってひどいもんだね。幸い渋滞にはあまりつかまらずに済んだけど、宿泊先ではとことんめげさせられたな~。ツアーの宿泊と言えば健康ランドやサウナなんだけども、もう仮眠室がいっぱい。子供からいい年したおばちゃんまで、ソファやら廊下やらそこかしこで雑魚寝してんの。家族連れで食堂の畳に座布団敷いてるのもいたな。ホテルくらいとってやれよ…。

行き場がないのでロビーのソファーに戻るとみんながいた。俺とシュンスケは結局5時頃までスタッフ交えて飲み食いしながら喋ってて、挙げ句ゲームコーナーの一角にある遊戯場「ちびっこらんど」の床がやわらかそうだってんで、そこで寝た。俺は7時くらいにちびっこたちの奇声で目を覚まして、ぼちぼち空きの出た仮眠室に移動したけれど、シュンスケなんてちびっこに踏まれてんだぜ。「ごめんなしゃい」なんて言われてんの。そりゃあ、あんなトサカ立ちっぱなしの赤鬼ににらまれたらたまらんわなあ。俺がちびっこだったら死を覚悟するもんな。

まあしかし、この日はライブのない移動日。このゆとりは大きい。午前中はたっぷり睡眠に充て、朝風呂もたしなんでゆっくり出発。途中、「義経の東下り」とかいうイベントがあり、今年は間の悪いことに「タッキー」の大河ドラマの関連で本人が来るとかで、高速が一部渋滞。韓国ドラマの俳優についても思うことだけど、まあみんな、物好きというかヒマなんだねえ。なんか面白いことやってくれるってんならわかるけど、見るだけでしょ。俺にはちっともわからんな。渋滞を抜けたところで前沢PAで軽食。かの前沢牛の産地だ。Rebirthにも一頭いることだし、大変ゆかりの深い土地といえよう。まずは「前沢牛」ののぼりのところでウチの牛の記念写真をとる。出店を見て回るともう昨今のガソリンもびっくりの高価格。牛タン串なんて1本1000円だぜ。俺は盛岡についてからうまいもんを喰おうと考えていたので、あえてPAのマズいなんちゃって名物には手を出さず、パックの焼きそばと焼きトウモロコシで済ませた。丸々一本トウモロコシを喰うなんて久しぶりだ。ぶっといトウモロコシを見ていたら、なんだか排泄欲(大)を催した。人情というべきものだろう。

機材車はその後も快調にかっとばし、盛岡市内には夕暮れ前に到着。ここでメンバー各自8時まで自由行動に。こういうときも集団行動が苦手な俺は、ひとり駐車場前に偶然あった「ほぐし屋」へと向かう。ツアー中は連日の機材車移動と、決して良いとは言えない寝床事情のせいもあって体中ががたがたになる。首や肩が凝り固まっていると声も出ないので、時間があるときはマッサージを受けるようにしているのだ。いまいち効かなかったが、それでもなにもしないよりはずいぶんいい。更衣室にあったハンガーは商品名が「Rebirth」だった。リサイクル商品であろうことは想像に難くない。その後はうまいものを探しに盛岡駅周辺をひたすら歩き回る。駅ビルを探索してたらマックでメシを食っているメンバー&スタッフに遭遇。何でもどこもかしこも行列で、ここしかないのだという。ふふふ。団体行動の弱点だな。盛岡まで来て「うーむ、やはり前沢牛(んなわけねえ)のマックは違うな」などと虚言で自分を慰めざるをえない彼らを尻目に、俺は単独行動ならではの機動力を活かしてなおも探索。駅ビルを出て、川をも越えて、あちこちと歩いてみた。なるほど、確かに行列が多い。いつもの俺なら見ただけで避けるところだ。しかし俺はせっかくここまで来たことだし、盛岡らしい何かを口にしたいと並んでみた。実に珍しいことだ。しかしじゃじゃ麺、期待の割にはうーん、それほどグっと来なかったなあ。麺を食い終わってから入れるべき生卵を店員の目を盗んで2つほどぶち込み、そこに酢とラー油をばしばし入れて、俺好みに改造して大盛り食った。さらにチータンタン
(麺を食べた後、生卵とゆで汁で戴くスープ)でかなりの満腹。しかも俺、鶏の唐揚げまで詰めちゃったぞ。うむ。苦しい。さらにコンビニで夜のおやつと昔読んだマンガ「100億の男」を購入し、機材車へ戻る。

夜の盛岡を機材車はしんしんと進む。やがて見えた予定の宿「健康大陸マーズ」は、仮眠室がいっぱいとのことで既に入場自体できなくなっていた。何が大陸だ。いーとこ島国じゃねーかとの思いしきり。しゃあないので次の候補地を目指す。この道中、俺にじゃじゃ麺の妖精がとりついて、色々厄介なことになった。「じゃーじゃーめん、じゃじゃめんっ。」「起立!冷麺!じゃじゃめん。」とちっちゃな裏声で連呼し、かと思えば「岩手県は歩道橋が多いんだよ」「ほんと?」「うん、知ったかぶり」などとやりだし、実に始末が悪い。盛岡は色々不思議なことが起こる。やがて到着した「赤湯温泉」。ここがまたドラマの舞台となるのだった。

やはり満杯の仮眠室。ダメもとで見に行った仮眠室では、なんと一組のシートが空いていた。ラッキー!と思って横になったらしばらくして憤然とした老醜女登場。「2時間前からここは場所取りしています、どいてください!」と来た。「は?場所取り?そんなんあんの?」「その座布団が証拠です!失礼じゃないですか!」だってよ。俺が老醜女の荷物をどかして居座ったってんならともかく、座布団一枚でわかるわけねえだろ。まあ地球はこの老醜女を中心に回ってるようだから仕方ないか。あまりの自己中ぶりに俺も相当トサカに来たが、仮眠室でこんなのとケンカしてるのもみっともなくていやだったので、紳士の俺は一言だけそっと伝えてその場を立ち去った。

「おばあさま、公共の福祉のためにも、そう遠くない時期に是非とも涅槃へ旅立ってみられてはいかがですか?」(文中一部表現を差し替えております)

またもや行き場をなくした俺、ロビーに行くと談話コーナーでこみかよとシュンスケが飲んだくれていた。またこのメンツか。うだうだしゃべっているとこのツアー中最強のパーソナリティ登場。「ササキさん」というおっさんだ。どっから見ても70近くに見える58歳。うちの親父と同い年だ。お湯を入れた日清どんべえを片手に現れ、突如話しかけてきたのだが、岩手弁全開で何を言ってるのか76%くらい解らない。身振り手振りも交えてどうにかコンタクト。種子島に漂着したポルトガル人とコミュニケーションをとった1543年の日本人は偉大だとつくづく思う。何でも近くに住んでいるのだが、カミさんと「これ」(指を重ねて×を作る)のため、ここへ避難してきたのだという。互いに色々と身の上話をして打ち解け、後半は酒の勢いもあって歌と下ネタの競演。なぜかマラカスまで持っている。何者なんだ。ダジャレを言っては理解の遅い俺たちに「すこす、めぐらせ!」(頭を使え)とムチを入れる。そして俺の腕を引っ張って「おめが一番さかし(賢しい)かろから、いーことおしえでやっがら!」と言う。ほかの連中から引き離されて座らされ、そこで俺が見たものは匠の技であった。風呂の黄色い手ぬぐいに水を含ませ、くるくると巻いたかと思うとあっという間にそれは「男性自身」へと変貌を遂げた。細かい部分まで誠にリアル。これには本当に驚いた。この貴重な岩手県の伝統工芸を廃らせてはならない。未来へと受け継ぐべく、先を争うように特訓に励む俺とシュンスケ。二人の情熱を見てか、教えているササキさんにも「ちがう!そんなでは東京ではず(恥)さかぐ!」と熱がこもる。近くにいた年配の女性が笑っているので、ご存じなのか伺ったところ、「こんせんさま」という昔からの民間信仰なのだという。男根崇拝の文化があるのは本などで読んだことがあるが、こういう形でふれあえるとは。ツアーはいい。何が起こるかわからん。ササキさんは一晩中俺たちを笑かしてくれて、やがて朝焼けの中に消えていった。
最後まで、なぜかどんべえには手をつけずに。
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