いぶろぐ

3割打者の凡打率は7割。そんなブログ。

独眼竜は眼帯の裏に何を見た

2008-03-05 00:02:04 | いぶたろう日記クラシック
仁が過ぎれば弱くなる。
義が過ぎれば固くなる。
礼が過ぎればへつらいとなる。
智が過ぎれば嘘をつく。
信が過ぎれば損をする。

人間が生きていく上で大切とされる「徳」も、
程度が過ぎれば害を及ぼすという、
仙台藩主伊達政宗の言葉だ。
見事に達観している。
ビタミンが体に良いからと摂りすぎれば害になるように、
何事も「過ぎたるは及ばざるがごとし」なのだが、
ことこういう「善」とされることに関しては、
どうにも鈍かったりでやんなっちゃう。
こういう心のもやもやを一掃してくれるような見事な表現に出会えるのは実に爽快だ。
それが自分よりも数百年も昔の人物の言葉であるところがまた趣深い。
思えば、文字が書物がなかったら到底触れることも叶わないわけだ。
そこもまた古代のタイムカプセルを開封したかのような高揚感を呼ぶ。

この言葉に出合ったきっかけは、意外にも読売新聞。
大嫌いなヨミウリだが、1面下のコラム「編集手帳」は例外。
職場においてあるので読むようになったのだが、
このコラムは本当に毎度すばらしいと思う。
何がすばらしいって、流れるような文脈や豊富な語彙、博識ぶりはもちろんのこと、
何よりお高くとまっていないところ。
つまり「聖人君子」に収まらずに、書きたいことを書いている、
にも関わらず品性を失わない高潔な文体であるところだ。
ここ数年どうも薄味で面白みのない「天声人語」にも優る。
手本としたいところだ。

ナベツネのヨミウリだからと食わず嫌いで居ては、
これを知ることもなかったと思うと、
つくづく何事も見て聞いてやってみるものだと思う。

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1 Comments

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温故知新 (うさ子)
2008-03-16 02:37:46
おばあちゃんっ子だったせいで、時々ことわざが頭をよぎります。昔の人の教えに説得力があるのは、彼らの方が苦労をしていたせいでしょうか。 読売新聞は、タダなら読むかもだけど、広告が多くて 読む場所を探しているうちに その気が失せてしまうです。 新しい書き込みがなくて、手持ちぶさたでついやっちゃいましたm(_ _)m
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