【雪ん子納豆】

【雪ん子納豆】

『地産地消』、地元でとれた魚や野菜を地元で消費することの良さは誰にでもわかりやすいけれど、地元の商家が仕入れた商品を地元住民が買って消費することは地産地消と言わないのだろうか。

親が飲み屋をやっていてくれたおかげでためになったことのひとつは、客の一人ひとりが小さな店の財布に直結しているということ、大げさにいえば店主とその家族が首にかけた命の綱を客が握っているといえることを、身をもって痛感したことである。

たとえば毎晩部下を連れて飲みに来る上司がいて、みんなで割り勘して 1 万円ほど飲食し、週 5 日 1 ヶ月 4 セットで来店してくれたら、月 20 万円の売り上げになる。この店は飽きたといってご無沙汰すれば、その飲み屋は途端に月 20 万円収入が減るのである。

小さな店ほど客と店主は顔馴染みになりやすく、互いに厚いサービスを受けることによって抜き差しならない関係になるわけで、小さな店のそれは互酬互助の関係に近いかもしれない。

郷里清水に帰省する前日に風邪を引き、取りあえず風邪薬でも飲まなくてはと思うと実家近くの薬屋が目に浮かび、新幹線と静鉄を乗り継いで清水に辿り着くまで我慢してしまう。馬鹿げたことのようにも思えるけれど、「馬鹿げてるなぁ、薬なんてたいした額じゃないしどこで買っても同じだし……」という考えはゴキブリのようなもので、一人がそう考えれば十人がそう考えていると思った方が良いわけで、「まぁ、一人くらい客が減ってもこの店は潰れるわけではないし……」と思った途端、不思議にそう思われた店が潰れたりすることもあるのだ。


浜田踏み切り脇、元巴川製紙倉庫跡にも大型スーパーができていた

郷里清水に戻っても、近所に大型スーパーができたと聞けばとんでいって写真は撮るものの、意地になって近所の個人商店や弱小スーパーで買い物をしたりする。


フジマキ醗酵(清水辻町)の『雪ん子納豆』

大きなスーパーになくて小さなスーパーにある商品が楽しいのだ。大きなスーパーには水戸納豆しかないけれど、小さなスーパーには地元清水辻町で作られている納豆があるし、豆乳だって紙パック入りのナショナルブランドのじゃなくて三保で作られている瓶詰めのがあるのだ。


ラテン系といわれる清水育ちの納豆はメキシコ産のアボカドとも良く合う

小さなスーパーや個人商店というのは地元製造者と抜き差しならない互酬互助の関係をもっているのである。それを買うことによって「関係に一枚噛む」ことは地産地消の気持ちよさと同じくらい楽しいことであり、やっぱり互酬互助と地産地消は似ている。

( 2009 年 3 月に閉鎖した電脳六義園通信所 2004 年 4 月 26 日、18 年前の日記に加筆のうえ再掲載。)

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