◉すずらん通りはいま

2018年1月15日
僕の寄り道――◉すずらん通りはいま

大宮駅東口。鉄道に沿った繁華街と並行する旧中山道とを結ぶたくさんの路地があり、そのうちの一本をすずらん通りという。細い路地の左右には昼間から飲める飲食店が立ち並び、雨に濡れずに歩けるようアーケード状の屋根がある。

アーケードの構造物とそれを支える柱は大宮アルディージャのチームカラーであるオレンジ色に塗られ、郷里清水エスパルスと同じ色あいなので、故郷の町に帰ったように懐かしい。

郷里清水の商店街は目を覆うようなシャッター通りになっているが、大宮の町は賑やかで人通りが多く、なんて繁盛する都会なのだろうと思う。だが古くから大宮に住む人たちは、往時に比べると見る影もなく寂れたという。

郷里清水も大宮も日本中どこでも、日本が戦後復興と高度経済成長を遂げた時代の面影は消えて行く。そして時代に取り残された商店主たちは嘆く。ネット上の記事を読めばいたるところ再開発待望論で溢れている。

郷里も大宮も日本中どこでも、高度成長期などもちろん知らず、生まれた時からすでに商店街がシャッター通りだった時代に生を受けた若者たちが、まもなく成人式を迎える年齢になる。彼らは「いま」に生まれて「いま」を生きている。

古びた味わいのある街を嬉しそうに歩いている若者たちも、余所者としてやってきてこの街が好きな自分たち夫婦も、みんな古びたこのアーケードが好きなのだろう。「むかし」の栄華など知らないし、再開発の先にある「みらい」が良いものとも思えない。

「いま」に対して「むかし」と「みらい」は誰のためにあるのか、「むかし」と「みらい」が「いま」「ここ」にいない者たちの私利私欲を満たす道具にされないか、そこはちょっと注意したほうがいい。


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◉脂下がる

2018年1月14日
僕の寄り道――◉脂下がる

「やにさがる」という言葉を久し振りに聞いた。聞いたと言っても耳で聞いたのではなく本で読んだので、正確には目で見た文字が頭の中で読み上げられて「やにさがる」と聞こえたのだ。

先日家の雑事をしながら時計がわりにテレビをつけたら、障害を持った人のための道具を開発している若者が紹介されており、彼が試作したメガネをかけた人が街に出て看板などを見ると、メガネに仕込まれた撮像機が文字を認識して音声で読み上げてくれるようになっている。

世の中には文字を見て、「図形としての文字」を、話したり聞いたりできる「ことば」へと翻訳する能力を阻害された人たちがいる。ディスクレシアという言葉は失語症の本で知っていたけれど、後遺症として負う以外の識字障害の存在を初めて知った。彼らは文字を見て音声として読めないだけで、誰かに読んで貰えば意味はちゃんとわかるという。「頭の中の音読」ができず、目は見えても文字の音が見えないのだ。辛いだろう。

どうやら文字を読んで内容を理解するという行為は、目で見た図形が直接意味と結びつくのではなく、「頭の中の音読」が意味を発生させているらしいということを改めて知った。たぶん世の中は常態者の知らない無限の苦しみで満たされているのだろう。

「やにさがる」だが文字としては「脂下がる」と書かれており、そういう漢字を当てることを初めて知った。キセルに煙草を詰めて吸うとき、雁首(がんくび)が吸い口に対して低い位置となる角度で咥えないと、脂(やに)が口の方へ下りてきて美味しくないという。美味しくないけれど雁首を高くして咥えた方がカッコいいので、やせ我慢でそうしている様子を「脂下がる」とというわけだ。

時計がわりにつけたテレビも、夜中にごろ寝しながらスマホでめくる古典文学も、見ているつもりで見えていなかった「なるほど」によって、世界が満たされていることを教えてくれる。


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◉胃弱と母親

2018年1月13日
僕の寄り道――◉胃弱と母親

漱石の名無し猫による胃弱の主人観察を読みながら、今更ながら思うに、自分もまた高校を出て母親の元を離れるまでたいへん胃弱だった。そもそも胃弱の原因は母親だったのかもしれない。

朝起きて全く食欲がない。鏡を見ると唇の色がひどく悪くてうんざりする。食欲がないどころか歯磨き粉をつけた歯ブラシを口に突っ込んだだけで吐き気がしてゲッと戻しそうになる。だから親元を離れるまで一貫して朝食抜きでそそくさと学校へ行った。

幼い頃からうつぶせで寝る癖があり、顔を押し付けて眠る枕にはバスタオルが巻きつけられていた。いつもよだれを垂らして枕を汚すからで、胃液でも逆流していたのか黄ばんだシミができていた。

母親は
「やだねえこの子は、よだれなんか垂らして。お母さんにもしものことがあって人様の家で寝起きするようになったらどうする?」
と苦笑いしていた。

朝飯抜きは好ましい習慣でもないし、よだれは言われるまでもなく恥ずかしいが、高校を出て上京し、高齢の婆さんが営む素人下宿で寝起きするようになったら、意識せずともよだれはぱったり止まってしまい、下宿仲間で囲む質素な朝の賄いが実においしいと思った。胃弱母親原因説の由来である。

2018年1月13日、豊島清掃工場、朝一番の一服。


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◉夏の六分目

2018年1月12日
僕の寄り道――◉夏の六分目

風邪をひいて寝込んで一週間。かろうじて美味しく食べられるのが梅干しとお粥くらいしかなくて、そんな暮らしが続いたらずいぶん痩せた。

満腹の手前でやめておくことを腹八分目という。「八分目」は感じ方なので、多少無理する辛さと、引き換えに得られる達成感を重視すれば、自分にとって満腹の手前は六分目くらいかなと思う。

外食になることの多い昼食に腹六分目を意識し、日焼けしながら歩き回った昨夏は少し痩せて身体が軽くなり、きつくなっていた洋服もゆったり着られて妻には好評だった。冬場に入ったせいかちょっと皮下脂肪がたまり、運動不足によるリバウンドもあるかなと思っていたけれど、お粥生活一週間でまた夏に戻った。

東洋の思想には多食を戒め少食を陰徳と考える気風があるようで、多少の罪悪感と達成感に後押しされたやせ我慢で「腹八分は医者いらず」とも言う。これを機に風邪が治ってもずっと六分目くらいを意識していたい。

   ***

写真は静岡県清水の三保海岸で拾った小石。波打ち際に転がる丸石も、転がり続けた果てにこんな小さい粒になる。


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◉本を読む姿勢

2018年1月11日
僕の寄り道――◉本を読む姿勢

風邪をひいて熱が下がらないので昨夜も薬を飲んで早々に寝た。早寝すぎて未明に目がさめるので、退屈して眠くなるまでスマホで電子書籍を読んでいる。病人になると読書は主にこうなる。

   ***

寝転んで本を読むなどとんでもないと怒っておられる人がいた。机に座って背筋を伸ばし、正しい姿勢で行う読書でなくては読んだ中身が頭に入らないと言う。

読んだ本の中身を頭に入れるのは難しい。書き手が呻吟した末に書き上げたものを、ただ読むだけでちゃっかり頭に入れるなど、たとえ正しい姿勢でも難しいのではないか。少なくとも仕入れてきたキリンを冷蔵庫に入れるより難しい。

本を読んで頭に入れておきたいと思った時は手帳にメモをとることで再読・精読している。だが、そうやってたまった手帳をパラパラめくってみると、頭に入れたかったけれど入らなかったことの目録にしかなっていないことが多い。見事に入っていない。

逆にメモも残さなかったのに、読んだ内容がしっかり頭に入っていることもある。たぶん頭に入る入らないにはコツがあって、意図せずコツに適って記憶がすんなり定着されることがあるのだと思う。

マンション内で会って飲み友達になった女性からいただいた新刊書。
同会編集者だった彼女の原稿も掲載されており、今年最初の課題図書。 

小学校で授業内容が身につかない子どもを観察すると姿勢が悪く、背中が丸くなって前方に突き出た顎を頬づえついて支えている。その結果内臓にかかる力が不自然になり、呼吸が浅くなることで集中力が阻害されているのだという。これはたぶんその通りで、姿勢を正せというのはただの精神論ではない。

寝転んで本を読むと集中力が阻害されて読んでも読んでも中身が頭に入らないというのは嘘だろう。寝たきりの読書しかできなくて、口述筆記で優れた仕事を残す人も多い。正岡子規を見よ。

要は正しい呼吸法こそが中身を頭に入れるコツのひとつだと思うので、ごろ寝読書時の姿勢で正しい呼吸をするため、正しい呼吸法について書かれた本をごろ寝読書をしながら勉強している。ごろ寝読書の方が中身が頭に入りやすいということだって有り得るかもしれないのだ。


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◉「しょせき」と「しょじゃく」

2018年1月10日
僕の寄り道――◉「しょせき」と「しょじゃく」

年が明けて三日間の老人ホーム訪問を終え、「正月三が日」という日記を書いて気が緩んだせいか、夫婦揃って風邪をひいてしまい、その後は老人ホーム訪問も取りやめ、枕を並べて臥せって過ごした。とうとう連休が終わって仕事始めになっても熱が下がらないので、新年の診察開始を待って近所の診療所に行った。

小さな待合室は大変な混雑で、ほとんどが風邪ひきのようだった。今年86になるという爺さんが、
「昔の医者は喉ちんこに赤チン塗ってはいおしまいだったが最近はそれをやらないから待たされる」
と文句を言うので笑った。1時間以上待たされて名前を呼ばれたので夫婦揃って診察室に入ったら、「二人揃って予防接種を受けにきて、二人揃って感染したか」と笑われた。

日が暮れる前に病人でも食べられそうなものを買いに出た。

早速昼から服薬を始めたら気分的に調子が出てきたので、妻を先に寝かせて1時間ほど漱石を読んで早めに就寝した。

   ***

書籍と書いて「しよじやく」とルビが振られたのを読んで、書籍に「しょじゃく」という呉音の読みがあるのをはじめて知った。

いまこうして iPhone でメモを取っていても「しょじゃく」と打って「書籍」と普通に変換されるので、自分が無知なだけで、書籍を「しょじゃく」と呉音で読む人も普通にいるのかもしれない。

朝鮮半島や中国南部から「伝わった」古い読み方である呉音を、のちの時代になって中国への留学僧が「持ち帰った」新しい読みに対して区別するため後付けされた名称が「呉音」であり、そういう名付けをレトロニム(再命名)という。再命名といえば「よだかの星」のひどい話をを思い出すけれど、昔ながらの読み方を「呉音」と再命名することには言語に対する差別の意図があったのだろう。

書籍と書いてわざわざ「しよじやく」とルビをふるには「しょせき」と読まれることへの抵抗が感じられて面白い。戒名を考える話が出てきたあたりなのでこだわりが強まっていたかもしれないし、落語のような語り口で知識ひけらかしの与太飛ばし競争をしたりという部分でもあるのだけれど、いかにも漱石らしいのではないかと猫を読んでいて思ったので寝る前にメモした。


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◉猫と「なるへそくん」

2018年1月9日
僕の寄り道――◉猫と「なるへそくん」


山根青鬼(あおおに)という 1935 年生まれの漫画家がいて、弟の赤鬼とは双子である。「なるへそくん」という漫画が思い出深くアニメで観たような記憶があるのだけれど、ウィキペディアによると動画化はされなかったらしい。

なんで動画を観た記憶があるかというと、なるへそくんが「なるほど」の「ほど」を略して「ナール」と言うのをなんども聞いた気がするからだ。

「なるへそくん」の画像検索結果

漱石の猫を読んでいたら寒月くん(寺田寅彦)が訪ねてきて、主人が猫を膝に乗せたまま相手をしてこんな会話がある。

「なに二人とも去る所の令嬢ですよ、御存じの方じゃありません」と余所余所しい返事をする。「ナール」と主人は引張ったが「ほど」を略して考えている。(『吾輩は猫である』)

ネット上の会話で「ナール」と相槌打つ人を見かけると、ああなるへそくんを知っている同年輩だなと思う。「ナール」という言い方が流行ったことがあるのかもしれなくて、テレビラジオでなんども聴いているうちに、なるへそくんの記憶と混線しているのかもしれない。ちょっとした謎でアール。


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◉吾輩は猫である

2018年1月8日
僕の寄り道――◉吾輩は猫である

友だちの友人が本を出されるそうで amazon で検索したら予約受付中になっている。ずいぶん年の離れた友だちだけど、今までどんな本を書かれていたのだろうと検索したら、『漱石の孤独 近代的自我の行方』行人社(1984)という著作があり、ちょうど哲学者内山節が中高生向けに書いた哲学入門書を正月休みを利用して2冊読んだ直後だったので、時宜を得た偶然に喜んで古書で探して注文してみた。

内山の著作は自由競争に基づく近代社会が孕むさまざまな問題に気づいた少年が、哲学の冒険をしながら成長して行くさまを日記風に綴ったものだ。近代を疑い反抗するということを生涯かけて深めたのが漱石であり、明治の開化期直後からそういう問題意識を持ち得た理由を知りたいと思っていたところだった。もうすぐ読み終えるけれど教えられること満載の良い本だった。

他人に認められたいくせに、競争させられ比較されるのが大嫌い、だから現状の中でじっと動かず、すべてを運命のように受け入れつつやり過ごしていく。そういう主人公が漱石自身の投影であり、そういう人間的な傾きが幼少期に身の置き所がなかったことの結果であるとすれば、自分にとても似ていることに驚いた。自分の場合、両親が不仲で、小学校を終えるまで色々な人の家に預けられて育った。他人に認められたいくせに、競争させられ比較されるのが大嫌い、だから現状の中でじっと動かず、すべてを運命のように受け入れつつやり過ごしていくのが得意だ。

そういう主人公の設定に気づいたらもういちど発表順に漱石を再読したくなり、さいしょに『吾輩は猫である』から読み始めた。『吾輩は猫である』は小学生時代に読まされ、明治の文豪だとありがたがらされた割につまらないと思ったが、再読を始めたらなんだかとても面白い。内容もさることながら、漱石の写生に現れる町が今の住まいに近く、猫の家から数十メートルの場所に十年以上住んでいたことも面白さの一因になっている。猫の家跡前に行くと愛犬が片足を上げて用足ししたがるので困った。

「仕方がない、何でもよいから食物のある所まであるこうと決心をしてそろりそろりと池を左りに廻り始めた。どうも非常に苦しい。そこを我慢して無理やりに這って行くとようやくの事で何となく人間臭い所へ出た。ここへ這入ったら、どうにかなると思って竹垣の崩れた穴から、とある邸内にもぐり込んだ。」(『吾輩は猫である』)

はて、猫の家のそばに大きな池なんてあっただろうか、大きな池なら不忍池だが捨てられた子猫がフラフラと歩いてたどり着くには遠すぎる。子猫にとっての「大きな池」だったのだろうと明治時代はじめころの地図を見たらちゃんと向かいに池がある。

「吾輩の家の裏に十坪ばかりの茶園がある。広くはないが瀟洒とした心持ち好く日の当る所だ。うちの小供があまり騒いで楽々昼寝の出来ない時や、あまり退屈で腹加減のよくない折などは、吾輩はいつでもここへ出て浩然の気を養うのが例である。」(『吾輩は猫である』)

ということは、あの地図にこの茶畑も載っているだろうかと、もういちど見たらちゃんと茶畑があった。正確に書かれている。この地図内には十年近くわが夫婦が暮らした家もあり、その裏手は木下順二の家だった。そんな風に記憶に寄り道しながら読んでいる。


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◉薬局の棚

2018年1月7日
僕の寄り道――◉薬局の棚

義母にここ数日熱があり念のため隔離されて居室での食事になっている。義母より先に倒れるわけにいかないので、近所の薬局に行ってイソジンうがい薬と、全薬工業のジキニン顆粒と、龍角散のいちばん小さいやつを買ってきた。

たくさんの薬が並んで賑やかに自己主張する棚を前にすると、結局子どもの頃から慣れ親しんだものに手が伸び、昔なつかしいパッケージを見ると安心する。自分で選ぶ市販薬というのは、きっと習慣としての安心を買っているのだろう。


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◉剔抉

2018年1月6日
僕の寄り道――◉剔抉

剔抉が読めなくて調べたら「てっけつ」と読んでえぐり出すこと。「漱石がえぐり出した」と書くとなまなましいので「漱石が剔抉した」と書いた方が字面(じづら)がいい、と剔抉という言葉をを知ったから思う。人は言葉を知らなければ思いつけない。

剔抉の剔(てつ)の刂(りっとう)は旁(つくり)で易が音、抉(けつ)の扌(てへん)は偏(へん)で夬が音になる。刀(かたな)=刂や手(て)=扌で切り取ったりほじったりするわけで、同じような意味をあわせた熟語になっている。

同じような意味の漢字をあわせた成り立ちの熟語はたくさんあるけれど熟語名のような名前はないらしい。この「熟語名のような名前はない」という文章は「名」と「名前」で同じ意味が重複するのでくどい。こういうくどい文章を重言(じゅうげん)という。

同じ文字をふたつ重ねると意味が強まり、正正と書くといきいきし、堂堂と書くと立派で、正正堂堂と書くとくどいがゆえに意味がさらに強まった感じがして、こういう語法を畳語(じょうご)という。

山や川や海辺を歩いてひろった石たち

剔と抉をあわせた「剔抉した」も、えぐると出したを重ねた「えぐり出した」もそういうくどい言い方であり、それによって文豪漱石先生の威厳が強調される。ゆえに、読めないくらい難しい漢字をふたつも使った剔抉は、堂堂として字面の座りがよい。


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◉耄碌爺

2018年1月5日
僕の寄り道――◉耄碌爺

子どもの頃に読んだ他愛のない滑稽話の中で忘れられないものがいくつかある。そのうちのひとつ。

爺「いま何時?」
孫「もう6時」
爺「なにっ耄碌爺(もうろくじじい)だと!」*

昔の人は今の人よりずっと若くして老けていた。祖父は1894(明治27)年生まれ、祖母は1900(明治33)年生まれだったが、物心ついたとき既に「おじいさんおばあさん」に見えた。だがその時の祖父母はいまの自分たち夫婦よりずっと若い。

瓦職人だった祖父

孫たちをかまいながらする晩酌が何より好きだった祖父は、妻や子どもたちには鬼のように恐い父親だった。家族が食べる質素な夕食でも、絶対君主の祖父にだけは毎晩マグロの刺身がついた。

マグロの刺身でちびちび酒を飲みながら、酔いがまわってくると祖父は
「小遣いをやるから肩を叩け」
とろれつの回らない声で孫たちに言う。肩たたきされながら気持ちよくてうとうとしているので、わざと手を滑らせて頭を叩き
「こらっ!」
と怒るので
「わーいもうろくじじー」
と囃しながら逃げた。振り返ると祖父はふらふら頭を揺すって、竹中直人のように怒りながら笑っていた。

毎晩の晩酌が楽しみなのは自分も祖父とかわらない。昨夜も「秘密のケンミンショー」拡大版を観ながら飲むうちに、最後まで起きていられず途中で寝たらしいが、何時まで起きていたのか記憶にない。孫がいたら自分が寝た時刻を聞き
「わーいもうろくじじー」
と囃されるところである。

* 【耄碌(もうろく)】年をとって頭脳や身体のはたらきがおとろえること。




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◉Strike another match, go start anew

2018年1月4日
僕の寄り道――◉Strike another match, go start anew

ボートの影に屈(かが)んで湿(しけ)た燐寸(まっち)を何度擦っても火が点かない*。「Strike another match, go start anew」とノーベル文学賞歌人が言う。「やりなおせよ」と**。

ふるい年がおわったあとに来るあたらしい年のはじまりは、うまくいかなかったことをやりなおすのに都合よくできている。三が日が終わったのを機に別の燐寸を擦ろう。

2017年に相模湾や駿河湾の浜辺で拾った小石たち

あたらしいことを始めるのではなく「やりなおす(start anew)」ことはたいせつだ。あたらしいことを始めるのにくらべたら、やりなおすことはそう簡単ではない。「いまでしょ!」である。いまを逃したらまた毎日おなじような朝が来る***。

* 来生たかお
『さよならのプロフィール』
** Bob Dylan 
『It’s All Over Now, Baby Blue』
*** 斉藤和義
『歩いて帰ろう』



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◉正月三が日

2018年1月3日
僕の寄り道――◉正月三が日

労働基準法上は国民の祝日と同じ法定外休日である正月三が日をどう過ごしたかという、ちゃんとまとまった記憶がない。

元日と二日は雑煮を食べたが三日目ともなると餅にも飽きてラーメンをつくって食べたとか、元日の夜はウィーンフィルのニューイヤーコンサートを観て二日三日はゴロゴロしながら箱根駅伝を観たとか、そういうのはまとまった記憶と呼ぶにはあまりに散漫だ。

川端康成に『正月三が日』という短編がある。
「20年来の友人同士の飯田と松本が、それぞれの妻(町子、友枝)を連れて大晦日の晩に東京を旅立ち、熱海で除夜の鐘を聞き、伊豆をひとまわりして正月三ヶ日を送る物語」
とウィキペディアにまとめがある。そういうまとめができるのが、まとまった過ごし方というものだろう。

そんなわけで今年は
「結婚三十七年を迎えた熟年夫婦が、隣県の老人ホームで暮らす妻の母親に会うため、山手線、京浜東北線、宇都宮線を乗り継ぎ自宅と老人ホームを往復して正月三ヶ日を送る物語」
という筋書きで過ごしてみた。

写真は老人ホームへ向かう電車に乗り換える田端駅ホーム脇の鑑賞池。切り通しから湧出した地下水がシダ植物下を通って流れ込んでおり、いつも金魚が大阪の立ち食い寿司のように並んでいる。なにか美味しい栄養が含まれる、一種魚付林(うおつきりん)のようなものかもしれない。


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◉大晦日の残響

2018年1月2日
僕の寄り道――◉大晦日の残響

元旦の老人ホーム訪問で、気の利いた介護ができる現場主任の若者が、BGMに正月向け邦楽CDをかけようとしたらゴ〜〜〜ンという鐘の音が流れてしまい、
「あ、鐘の音はまずい」
と笑いながら慌てて盤を交換していた。

おそらく大晦日の老人ホームでは、夕食後の就寝時刻が来たら除夜の鐘のCDをかけ
「みなさん除夜の鐘が鳴り始めましたの口腔ケアをしておやすみしましょう」
などと言ってベッドへ誘導しているのだろう。大晦日に使ったCDがプレイヤー内に入れられたままだったわけだ。確かに昼食介助中なので寝られたらまずい。


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◉関取とカレンダー

2018年1月2日
僕の寄り道――関取とカレンダー

元日に続いて老人ホーム訪問。交代で初出勤してくる介護職員に新年の挨拶ができるので三が日は毎日出かけることにした。

義母が暮らす居室で隣りにいるおばあさんは、施設内で行われる大相撲勝敗当て競争に参加できるくらい達者で、昨年度は年間最多的中率を記録したらしい。年末の尾車部屋力士による老人ホーム訪問では、尾車親方から直々に表彰状をもらっていた。

そのご褒美なのか、ベッド脇に一人ひとり支給されるカレンダーが、今年は日本相撲協会の力士カレンダーになっていた。

一、二月はまず四横綱が登場し、その写真には暴行事件の責任を取って引退した日馬富士関もいる。表紙は制作当時の幕内力士カタログになっており、怪我を負う前の貴ノ岩関の姿もある。

いろいろな感慨が去来するのとは別に、情抜きでケースに並んだ関取の標本写真を眺めると、力士同士の体格が比較できてとても興味深い。

めくられて古新聞の上に置かれたカレンダーの表紙が捨てられてしまう前に写真に撮らせてもらった。今年一年が終わる頃には幕内から陥落したり、土俵自体から去ってしまう力士もいるわけで、たった一度しかないこの年にふさわしい記念写真かもしれない。

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