【水上特攻隊】

【水上特攻隊】

(『電脳六義園通信所』アーカイブに加筆訂正した 2003 年 4 月 24 日の日記再掲)

教師という職業は教えることが好きであることが、まず第一の資格なのだろうな、と郷里清水で中学時代社会科を教えていただいた恩師に電話し、三十数年前と変わらない話しぶりを聞いていて思う。

『乱れ撃ち清水ノート』に「謎の建物」と題して掲載した写真について、「戦争中に作られたもので、名前の通り小型船舶の格納庫なのです。船の名称は知りませんが、一人乗りの特攻船だったようです」と友人に教えていただき、数年前恩師から【清水海軍航空隊】に関する資料が送られてきたのを思い出したのだ。
「【清水海軍航空隊】と【特攻船】は関係があるのですか?」
ということが知りたくて恩師に電話してみた。

【清水海軍航空隊】は昭和 19 年 9 月 1 日、予科練教程専門の練習航空隊として静岡県清水市三保に開設された。戦局が悪化し、航空機の製造が間に合わず、本土決戦を決意するにいたり小型船舶等による体当たり攻撃を目的とした【水上特攻隊】が編成された。全長 15 メートル、幅 1.5 メートル、200 キロの爆薬を搭載して、時速 40 キロで敵艦に体当たりする乗員 2名のベニヤ製モーターボート【震洋(マルヨン艇)】を用いるため【震洋特別攻撃隊】と呼ばれたという。 

この建物は【震洋】を敵機の攻撃から守るための【覆帯壕(えんたいごう)】だったのだそうだ。

清水以外では、海岸の崖などに穴を穿って【震洋】を格納したのだけれど、三保は海抜 0 メートルに近い平坦な砂嘴なので、コンクリート製の【覆帯壕(えんたいごう)】が平地に作られ、これは全国的にも珍しいという。現在 9 基が残っており、清水市の文化財保護審議会で保存も検討されていたらしい。

蕩々と話す恩師の言葉を一言一句聞き漏らすまいとメモをとると、懐かしい清水市立第二中学校の木造校舎に戻ったようで懐かしく、教わることが好きであることこそ生徒の第一の資格だったのかも知れないなと、決して熱心な生徒でなかった自分が申し訳ない。嬉々として教えてくれる博識の師が身近にいることは人生の宝物だと思う。

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