【あっち側とこっち側】

【あっち側とこっち側】

 

(『電脳六義園通信所』アーカイブに加筆訂正した 2004 年 10 月 12 日の日記再掲)

清水橋の架け替え工事が中間点まで近づき、エレベーター付き歩行者専用部分の取り付けも始まっている。

「(そうか、歩行者専用部分が付くのは、あっち側かと思ってたらこっち側か、あっち側なら海も富士山も綺麗に見えて、徒歩で清水橋を渡ればついつい足の止まる、なかなかの観光スポットになりそうな気もしたけど、まさかあっち側にも歩行者専用部分があるなどというお金のかけ方はしないだろうから残念だな、でも入江岡跨線橋だって富士山の見えるあっち側もいいけれど、沈む夕陽が見えるこっち側だってなかなかいいから、まあどっち側でもいいかな)」、などと考えたりする。

他人の子どもが大きくなるのは早いと言い、自分の子どもはいないのでよくわからないけれど、他人の子どもでも頻繁に会う子どもはなかなか大きくならない。普段気にも留めず失念したりしているから滅多に会わない他人の子どもは早く大きくなったように感じるのであり、
「あらまぁ、あっという間に大きくなったねぇ!」
と他人の子どもに言うのは、
「(あんたのことなんか、はなっから忘れてたっけもんで、たまに見たらいかくなってて驚いたやぁ!)」
となぜか清水弁で言っているに等しい。

自動車を運転して帰省する機会が少なくなり、清水橋を渡る事も少なくなったので、地元のタクシー運転手が、
「まーったく、なにょおしらっくらやってるだか知らにゃあけーが、いつまでも橋んできなぃもんで、やっきりしちゃうやあ」
と清水弁で嘆く橋の工事も、「(おっ、もう半分できたか)」などと感じたりする。

テレビで高齢の芸能人の訃報が流れたりすると、
「おっ、あの人が亡くなったか、で、いったい何歳だったの?」
と驚く事があり、実はそういう芸能人がいた事すら忘れかけており、それが驚くほど高齢になるまで生きていて、この世界のどこかでついさっきまで存命だったという事に、ホップ・ステップ・ジャンプの三段階で驚いたりするのだ。

こっち側で子どもが育つ事にも驚く反面、あっち側で老人が滅びる事にも驚く機会が増えてきて、清水橋の残り半分が解体されて初めて、「(ああ、路面電車が東海道本線を跨ぐ情緒溢れる橋がかつて清水にあったっけなあ)」と驚きつつ懐かしむのかもしれず、未来への記念にと残った片身を撮影していたら、工事現場の掃除をしているおじさんに、
「記念写真ですか?」
と声をかけられた。

そう、記念写真はあっち側とこっち側をつなぐ橋に似ている。ちなみに清水弁では「むこっかた」と「こっちっかた」と言う。

写真上段上:入江岡跨線橋から見る“こっち側”。
写真上段下:完成間近の清水橋“こっち側”。
写真下段上:“あっち側”と“こっち側”の橋脚が並ぶ今しか見られない風景。
写真下段下:もうすぐこの世界から永久に見られなくなる清水橋の“あっち側”。
[Data:SONY Cyber-shot DSC-F707]

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