【認識の認識】

【認識の認識】

パソコンやスマホの新機能情報にはひどく疎くなっている。疎くても自分に必要な機能は使っているうちに自然に気づくだろう、それでいいやと思っている。そして自然に気づいて数年遅れでびっくりしている。

昨日も自分の日記【ペンギン辞典】に英英辞書のスクリーンキャプチャを貼り付け、ウェブブラウザの Safari で確認していたら、 PING 形式の画像データ内の文字がテキストとして選択できるようになっているので驚いた。

2022/10/26
DATA : PENTAX Optio RZ10 1 : 1 format

なんと画像内の文字をテキストに変換して取り出せる OCR 機能がついていたのだ。試しに仕事の原稿を写真にとって Safari で開いてやったら日本語もちゃんと読み取れるのでびっくりした。季刊清水の表紙写真もこんなふうに選択できて「Quartely SHIMIZU 清水」とコピーできる。

「テキスト認識表示」という機能でだいぶ前から実装されていたらしい。「やや、これは便利だ!」といまさらながらに喜んでいる。

 

コメント ( 0 ) | Trackback ( )

【ペンギン辞典】

【ペンギン辞典】

いま読んでいる本の著者が『ペンギン心理学事典』や『ペンギン哲学事典』を引いている。たぶんペンギン・ブックス(Penguin Books)にそういう辞書シリーズがあり、米国で研修医をされていたので英語で書かれた辞書を難なく読みこなすのだろう。

2022/10/25
DATA : PENTAX Optio RZ18 1 : 1 format

舶来の学問には先人が苦労してつけた漢字訳がついていて、それが災いして意味不明や誤解のもとになっていることが多い。そういうとき英英辞書を引くと良いと高校時代に教わったのでときどきヨタヨタと引いている。

コメント ( 0 ) | Trackback ( )

【ケリをつける】

【ケリをつける】

昔の青春活劇などを観ると石原裕次郎や小林旭が
「今夜こそケリをつけてやるぜ!」
などと啖呵を切るシーンがある。

ちょっと年下の医師が書いた本を読んでいたら、健康長寿至上主義の人生観に「ケリをつけてもいい年齢」という表現があって上手いことを言うものだと思う。

2022/10/24
DATA : PENTAX Optio RZ18 1 : 1 format

このケリをつけるの「ケリ」って何だろうとふと思って辞書を引くと思いがけないことがこともなげに書いてある。こんなことは誰でも常識的に知ってるんだろうかと驚いたので
「ケリをつけるのケリって何だと思う?」
と妻に聞いたら
「一発蹴りを入れるの蹴り」
と言うので安心した。
デジタル大辞泉にはこう書かれていた。

けり[名]
《和歌・俳句などに助動詞「けり」で終わるものの多いところから》物事の終わり。結末。決着。

意表を突かれて驚きにけり。

コメント ( 2 ) | Trackback ( )

【午後三時の嘆息】

【午後三時の嘆息】

このところ肌寒いので、毎日午後三時が近づくと牛乳を使った甘いホットドリンクをつくっている。温かい飲み物が嬉しい季節になり、喉を通っていくとき「あ〜〜おいしい」と声が出る。

「今日は暖かい抹茶オレです」と言って妻の机脇にホット抹茶オレ置く。カップを取り上げてひと口飲んだので「あ〜〜おいしい」という声が聞けるかと思ったら、「あ〜〜むずかしい」と言う。いまやっている作業に夢中なのである

2022/10/24
DATA : PENTAX Optio RZ18 1 : 1 format

人は「あ〜〜」につづく感想として、「むずかしい」とか「どうしよう」とか「こまった」とか「かなしい」とか「はらがたつ」など自分のこころを満たしているその場の感情が「おいしい」という感謝のかわりに出る。

コメント ( 0 ) | Trackback ( )

【うわのそら】

【うわのそら】

文字を読む人間には「読む」と「読みながら考える」という異なる状態がある。「聴く」と「聴きながら考える」ともいえる。

聴き上手に向かって話すと相手に引き込まれそうな「空(くう)」を感じ、人の話を聴きながら今にも話し出しそうな相手には噴出してくる「色(しき)」を感じる。

「読む・聴く」と「考える(言う)」を切り分けて同時にふたつのことが生起しないようにする工夫がたいせつだ。同時にふたつあるから囚われが生じる。その囚われが「うわのそら」だ。

2022/10/22
DATA : PENTAX Optio RZ10 1 : 1 format

「読む・聴く」と「考える(言う)」を切り分けて別別にすることがたいせつだ。読むなら一心に読む、聴くなら一心に聴く、観るなら一心に観る、それから考えて言う。「うわのそら」になりがちな読書についてそんなことを考えた。

舎利子みよ空即是色花ざかり(小笠原長生)

としごとにさくや吉野のさくら花樹をわりてみよ花のありかを(一休)

コメント ( 0 ) | Trackback ( )

【思わぬ解説】

【思わぬ解説】

文庫本には巻末に「解説」がついていることが多い。読み終えたら意外な人の解説つきで驚くことがある。著名人の感想が聞けるとは思ってもみなかったので嬉しい。

思いがけない得をしたと喜んで読んでみたら、会って話したこともないこの著者とは歳も近いし研究分野も近いし考えも違うので、文庫化される前の原本出版当時に会って討論してみたかったと書いてある。

2022/10/22
DATA : PENTAX Optio RZ10 1 : 1 format

本の中身自体は真綿でやんわり包んで「あとがき」の文字数内に収まるようぎゅっと圧がかかっている。理系でも文系でも、学者が書くあとがきは提灯記事になっていない正直なものが偶にあり、依頼した出版社も載せないわけに行かないので思わぬ拾い物になっている。

コメント ( 0 ) | Trackback ( )

【石枕】

【石枕】

海辺でごろごろしながら考えた。
智に働けば腹が立つ。情に棹させば泥沼だ。意地を通せば居場所がない。高校時代は深夜に家を出て港の岸壁まで自転車を走らせ、コンクリートの防波堤の上で仰向けになって夜明けまで寝た。

清水区新港町(1971)

テトラポッドの間から聞こえるチャポンチャポンという波音が子守唄のようで気持ちいい。持って出たタオルを小さくたたんで後頭部の下に敷くと石の枕でも痛くないので便利だった。

コメント ( 0 ) | Trackback ( )

【抜苦与楽】

【抜苦与楽】

すべての人の苦しみを救いたいと願うこころを抜苦(ばっく)、すべての人にほんとうの楽しみを与えたいと願うきもちを与楽(よらく)という。人が悟りの智慧を得て利己を離れたとき、その先にある大きな利他的悲願について書かれたものを読んで、そうか、与楽ってそういうことかと田端の与楽寺を思い出した。

与楽寺は、東京都北区田端1丁目にある真言宗の寺で、寺伝によれば弘法大師空海によって創建され、本尊の地蔵菩薩は弘法大師作と伝えられている。

駒込駅北口から谷田川通りを東に歩き、矢田橋交差点を過ぎ、都民生協を右に見て東京毎日新聞店向かいあたりの路地を左に入ると与楽寺前の閑静な道に出る。その道を北上すると右手に与楽寺があり、そのまま進むと坂道となって坂の名を与楽寺坂という。

1986 年、矢田橋交差点にて

この坂下あたりに総理大臣若槻礼次郎や渋沢栄一が贔屓にした宮崎直次郎の会席料理天然自笑軒があった。この直次郎の娘が芥川龍之介の義弟に嫁ぎ、直次郎が芥川家に斡旋した坂上の土地が田端四三五番地で、あの芥川龍之介終焉の地になる。

コメント ( 0 ) | Trackback ( )

【虚往実帰】

【虚往実帰】

他人の家を訪問するときは腹を空かせて行く、そうすればどんなものでもうまい。虚(きょ)にして往(ゆ)いて実にして帰るという意味で虚往実帰(きょじゅうじっき)というのだそうだ。出典は荘子にあるらしいのだけれど味わうとこれは深い。

六義園正門前から丹沢越しに富士山が見える季節になった。
DATA : PENTAX Optio RZ10 1 : 1 format

本来は、師の教えを授かりたければ心を空っぽにして乞えということだという。だけど心を空っぽにしたってわからない教えは入らない。「たいしたものもありませんが」と言われて「おいしいです」と本心から言えるためには、こころがけ(空腹)によって本心をつくれと言っている。後者の解釈がいい。すぐに役立つ。

コメント ( 0 ) | Trackback ( )

【勤労福祉会館で卓球】

【勤労福祉会館で卓球】

マンション内の友人から、文京区勤労福祉会館の体育館で卓球ができると思いがけないことを聞いたので妻とふたり昼休みに行ってみた。勤労福祉会館までは徒歩で 600 メートルあり、わが家の標高が海抜 35 メートル、勤労福祉会館は海抜 17 メートル、不忍通りを差し引き 18 メートル上り下りする坂道なので帰路は 1 キロ弱を歩いたくらいの距離感がある。

DATA : PENTAX Optio RZ10 1 : 1 format

体育館内にはバドミントンが 2 面、卓球台が 4 台用意されている。12 時 15 分から 1 時間のつもりだったけれど延長して 2 時間打ち合った。料金はひとり 1 時間 240 円なので合計 960 円だった。体育館内で運動するのはなんと 50 年ぶりである。

コメント ( 0 ) | Trackback ( )

【消えた若葉】

【消えた若葉】

六義園から飛来してベランダの片隅で発芽したイロハモミジを鉢に植え替えて育てている。樹高 20 センチほどに育って元気にしていたけれど、昨日水やりしながら見たら先端近くの若葉がきれいになくなっている。

DATA : PENTAX Optio RZ10 1 : 1 format

今朝も水やりしながら、どうして若葉がなくなったのだろうとしゃがんで観察していたら、なんと下の方で枝に擬態した 3 センチほどのシャクトリムシがいた。焦茶色したシャクガの幼虫で、その大きさに育つまで気づかなかったわけだ。しがみついているのを割り箸でつまんで引き剥がし、申し訳ないけれどよそへ行ってもらった。

コメント ( 0 ) | Trackback ( )

【高神覚昇】

【高神覚昇】

寺でよく聞かされる般若心経に出てくる「色・受・想・行・識」の「行」について「意志的形成力」という田辺元のむずかしい解釈にならんで、行とは修行の行と同じ「歩む」ということだという高神覚昇(たかがみ・かくしょう)の解釈が引かれており、高神覚昇ってどういう人だろうと辞書を引いたら西田幾多郎の教え子だという。ラジオでのわかりやすい解説が人気で、西田が広く読まれた遠因の一つではないかという人もいる。

DATA : PENTAX Optio RZ10 1 : 1 format

この人の書いた『般若心経講義』を読んでみたいなと思って検索したら、青空文庫でも Kindle でも無料で読めるようになっていた。

1894-1948 大正-昭和時代の僧,仏教学者。
明治27年10月28日生まれ。真言宗。大谷大で西田幾多郎に哲学・宗教学をまなぶ。大正12年母校智山勧学院の教授となり,大正大との合併で昭和19年同大教授。昭和9年ラジオ講座で般若心経を講義,また友松円諦(ともまつ-えんたい)と真理運動をおこすなど仏教の大衆化をはかった。昭和23年2月26日死去。55歳。愛知県出身。旧姓は斎藤。著作に「般若心経講義」「密教概論」など。(出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plus)

コメント ( 0 ) | Trackback ( )

【へちま】

【へちま】

この夏、清水の先輩がへちまを栽培していたのは知っていた。それを乾燥させて網状になったものを上京する際に手土産としてくれた。むかし銭湯で年寄りが使う姿をよく見たので垢すりのように使うものだということはわかる。わかるけれども自分が使ったことはない。

DATA : PENTAX Optio RZ10 1 : 1 format

持ちやすいよう半分に切って入浴時に使ってみたら非常にいい。肘や膝や踵などの皮膚が角質化しやすい場所をゴシゴシやると気持ちがいい。ゴワゴワしているのだけれど肌当たりがやさしい。やはり天然素材には化学繊維とは違う良さがある。

DATA : PENTAX Optio RZ10 1 : 1 format

台湾料理店でへちまを食べたことがある。ひょっとして九州あたりでも食べるのかと思い、熊本出身の友人に聞いたら「食べるよ」とこともなげに言う。

へちまは言葉としてもこともなげである。「だってもへちまもない!」などと言う。「食べますか?もへちまもないだろう」と言っているのである。

DATA : PENTAX Optio RZ10 1 : 1 format

素晴らしい垢すりである乾燥したへちまの構造を眺めると驚異的だ。よくこんなに複雑な構造体をひと夏で編み上げるものだと思う。コンピュータが描き出す多面体のワイヤフレームモデルのようになっている。

これを作るのはたいへんだったでしょうとへちまに聞けば「たいへんもへちまもない」と言うだろう。

コメント ( 0 ) | Trackback ( )

【ガスと風船】

【ガスと風船】

紀元2世紀に生きてその理論が 1000 年もの長きにわたってヨーロッパ医学界で支配的だった医学者ガレノスは、小アジアのペルガモンに生まれた。小アジア(Asia Minor )ってどこだろうと辞書を引くと「アジアの西端にあり、トルコの大半部を占める、地中海と黒海に挟まれた半島」だという。

ガレノスによれば人間の中には精神ガス(psychic gas)という三種類の精気があって、それが生成し循環しニューマという精神性空気(psychic pneuma)となって脳室に蓄えられ、それが感覚器や筋肉に供給されて生きた人間を活動させる。この脳室がたましい(こころ)の溜まり場であるという考え方が 16 世紀ごろまで信じられていたという。

DATA : PENTAX Optio RZ10 1 : 1 format

なるほどそうなるだろうなと思うのは、亡き人の遺骸と対面するたびに、この人の空気はどこに抜けちゃったんだろう、抜けた空気の方に会いたいのにと遺された者は思うわけで、人間は見えない精神性空気の存在を、しぼんだ風船のようなものとの別れ、という奇妙な体験を通じて納得しやすいからだろう。

コメント ( 0 ) | Trackback ( )

【1・2・3】

【1・2・3】

1と3を知らないと2を「2」としてわかることができない。3人のうちから1人が欠けてはじめて1人でなく「2人」でいることのありがたさがわかり、1人ぼっちでなくてよかったと思うのだ。

DATA : PENTAX Optio RZ10 1 : 1 format

どうも存在とはすべて三竦(すく)みの関係の中にあって、概念化したその関係の内から、関係のひとつとしてしか言い表せないものなのかもしれない。ふとそう思う。

コメント ( 0 ) | Trackback ( )
« 前ページ 次ページ »