酔生夢死浪人日記

 日々、思いついたさまざまなことを気ままに綴っていく

目取真俊「魚群記」~沖縄を内在化するための神話

2019-03-08 10:25:39 | 読書
 2015年夏、国会前で毎週のように戦争法反対集会が開かれていた。何度か参加した俺だが、識者たちの空虚なアピールに憤りさえ覚えたことは当ブログで記した通りである。戦争法や憲法9条を語る時、不可分というべき日米安保と沖縄が捨象されていたからである。

 別稿(昨年3月20日)で紹介した「沖縄と国家」(角川新書)を読んで、自分の直観が正しかったことを確信した。同書は辺見庸と目取真俊(芥川賞作家)のラディアルな対談集で、<国家という暴力装置に対峙する側は、表現はともかく、暴力の内在化が必要>と感想を記した。

 読書案内人である辺見の導きで、大道寺将司の俳句、堀田善衛の「時間」ら多くの本を手に取った。辺見の同伴者というべき目取真の短編集「魚群記」(影書房)を読了した。表題作はデビュー作(1983年)で、89年までに発表した8編が収録されている。

 目取真は現在、ペンを措き、カヌーチームの一員として辺野古移設反対運動に関わっている。闘いの経緯や熾烈な弾圧はブログ「海鳴りの島から~沖縄・ヤンパルより」で知ることが出来る。メッセージが前面に出た〝政治小説〟との先入観は的外れだった。沖縄の言葉がちりばめられた作品の感想を記したい。

 ♯1「魚群記」の背景は、度重なる米軍関係者の犯罪や毒ガス漏洩に抗議し、沖縄県民が立ち上がったゴザ暴動(70年)だ。主人公の僕は騒然とした時代の熱気と距離を取り、仲間たちとテラビア釣りに興じている。テラビアは戦後の食糧難の時期、日本に持ち込まれた外来種。アメリカのメタファーと読み取ることも可能だ。

 僕の兄は釣り場の対岸にあるパイン缶詰工場で働いている。アメリカに牙を剥く集団のリーダーだが、出稼ぎの台湾人の女工を見下しているあたり、差別の歪んだ構造が窺えた。僕は女工のひとり(K)に心をときめかせ、ロマンチックな夢に耽る。沖縄の土壌に根付いた豊饒で濃密な空気を描いた祝祭的な作品だった。

 ♯2「マーの見た空」は、「魚群記」の後日譚の趣もある。帰省した大学生のマサシは、不思議な力を秘め、エロチックな精霊の如きマーの消息を辿る。仲間たちの誰も思い出せなかったが、恋人Mの記憶により、リアルと幻想を繋ぐ合歓木と再会する。マサシも異界の入り口に佇んだ。

 マジックリアリズムに彩られた小説を紹介してきた。日本では熊野の風土に育まれた辻原登を挙げてきたが、目取真にも同じ薫りがする。♯3「雛」、♯6「蜘蛛」、♯7「発芽」はボルヘスの怪奇譚を彷彿させる掌編だった。♯8「一月七日」については稿を改めて記したい。

 ♯4「風音」は85年に発表された。風葬場に残された特攻隊員と思しき遺体を巡り、テレビ局ディレクターの藤井、最初に遺体を発見した清吉、その息子アキラの主観を交え、40年の時空をカットバックしながら物語は進行し、泣き声のように聞こえた風音の正体が明らかになる。戦争がもたらす悲劇を浮き彫りにし、記憶の風化に警鐘を鳴らす作品だった。

 ♯5「平和通りと名付けられた街を歩いて」は沖縄国体(87年)の前年に発表されたメタフィクションで、皇太子夫妻訪沖と、ある家族の日常がシンクロする。「ひめゆりの塔事件」の再発を防ぐべく、警察は厳戒態勢を敷き、露店は休業を余儀なくされた。最重要の監視対象になったのは、痴呆症で徘徊するカジュの祖母ウタだ。反権力、反皇室を公言するウタは、周りから一目置かれていた。

 カジュの協力もあり、厳重な警備を突破したウタは、皇太子夫妻の乗る車のフロントガラスに自身の糞を塗りたくる。痛快な不敬小説は新沖縄文学賞を受賞した。ウタの思いは30年後の今も受け継がれ、辺野古移設を強行する安倍政権に怒りは沸騰している。

 想像力も衰えた今、沖縄を内在化する道程は険しい。神話の領域に達した目取真の小説、そして活動報告に接することが、俺の限られた手段だ。
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