酔生夢死浪人日記

 日々、思いついたさまざまなことを気ままに綴っていく

川上弘美「大きな鳥にさらわれないよう」~時空を超えたパズルに惑う

2019-03-15 11:36:32 | 読書
 映画「凶悪」、TVドラマ「64」(NHK)、「きんぴか」(WOWOW)など、個性と表現力に瞠目していたピエール瀧が逮捕された。新井浩文に続き、道を踏み外したことになる。二人は映画「ゆれる」と「64」で共演していた。今後の邦画界を背負って立つ存在だっただけに、頓挫が残念でならない。

 沖縄、福島と重いテーマが続き、胃に鈍いしこりが残っていた。すっきりさせようと「大きな鳥にさらわれないよう」(2016年、講談社)を読んだが、逆効果だった。川上弘美の作品を読むのは、四季折々の移ろいを織り込んだ「センセイの鞄」(01年)、現実と仮想の混濁と生死の淡い境界を描いた「真鶴」(06年)、孤独の影に紡がれた「夜の公園」(同)に次いて4作目だった。

 「大きな鳥に――」は泉鏡花文学賞受賞作で、SF大賞にもノミネートされていた。帯に記された筒井康隆の評<僅かな継承によって精緻に描かれてゆく人類未来史。ファンタジイでありながらシリアスで懐かしい物語たち。これは作者の壮大な核である。うちのめされました>が本作のポイントを突いている。

 想像力が疾走する作品に巨匠は〝うちのめされた〟が、俺は呆然と指を止め、反芻した。繊細な筆致で読む者の記憶の扉をこじ開け、孤独や愛の意味を問い掛ける川上は、本作でスケールアップし、俯瞰の視線で人類を見据えていた。お茶の水大理学部卒生物学科卒で、生態系への理解が深いことが窺える。

 時空をドラスチックに行き来する14の短編が収録されている。縦軸は数千年以上、横軸は地球全体に延びている。リエンは♯2「緑の庭」、♯4「踊る子供」、♯10「奇跡」に登場し、♯5「大きな鳥にさらわれないよう」のエマと♯「Remember」のノアは、♯11「愛」と♯12「変化」で走査と同調能力を共有するカップルになる。♯1「形見」と♯14「なぜなの、あたしのかみさま」は<クローン>がキーワードで、♯14→♯1の循環を暗示していた。構成の妙に感嘆するしかない。

 全章が一本のビーズで結ばれた創世記、黙示録といえるだろう。主観の大半は女性で、一人称の「わたし」、「私」、「あたし」は無限に存在する。子供の多くは生殖行為ではなく、クローン組成で生まれた。コントロールされているがゆえ感性が近い「わたし」は年の離れた「わたし」と何度も出会い、一定の時間をともに過ごした後、別れていく。複数の「わたし」は「母たち」と結ばれていた。

 集中力、注意力、記憶力が試されるから、全てに劣る俺にはハードルが高い作品だった。迷路を彷徨う感覚で読み進めていたが、♯13「運命」で全体像が明らかにされる。イアンとヤコブは数千年以上前、人類を滅亡の危機から守るため集団の分断、隔離を実行する。協力したのは人工知能を活用した「母」で、各集団に「見守り」を配置した。

 機を見て壁を壊し、集団間の交配を奨励する。結果として生まれた変異個体――リエン、エマ、ノアたち――が進化の端緒になることを期待したのだ。「母」は総じて無個性だが、時に個性豊かな「大きな母」が登場し、子供たちの愛を呼び覚ます。「クローン人間」は「人間」特有の愛、愛を育む憎しみ、競争心、希望を持たないから自足していて穏やかだが、それが進化を閉ざす理由にもなる。

 集団への帰属意識に縛られることで〝異物〟を排除する傾向、他の種に対する鈍感さなど、人間に対する川上の考察がちりばめられている。3・11が本作に大きな影を落としていた。原発は「バベルの塔」と「イカロス失墜」の神話に重なる。自然との調和に反し、崩壊間近まで過ちに気付かぬ愚かさを象徴するのが3・11なのだ。

 <あなたたち、いつかこの世界にいたあなたたち人間よ。どうかあなたたちが、みずからを救うことができますように>……。ラストの記述は人類へのレクイエムなのか。「気配」(異界の住人?)など填め込めないピースが散乱したままだが、最大の謎はタイトルだ。大きな鳥はきっと、何かのメタファーなのだろう。答えに辿り着いた時、脳内のジグソーパズルは完成する。
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