反原発集会(21日、代々木公園)にオルタナプロジェクト(AP)のブーススタッフとして参加した。年に2回開催されるこの集会は台風直下、季節外れの雪、AP大場代表の緊急入院とハプニング続きだったが、今回は強風に悩まされる。パネルが倒れたり配布物が飛んだりとてんてこ舞いだった。
今回は「最後の一滴まで」上映&トークイベント、「冤罪3部作」上映会、「獄友イノセンスバンドライブ」の告知が主な目的で、高江村ヘリパッド反対運動への連帯を込めた手ぬぐい、グリーンズジャパン会員が作った有機野菜も併せて販売する。福島瑞穂議員、狭山事件で不当逮捕された石川一雄さんの妻早智子さん、反原発を訴える漫才コンビおしどりなど、ブースを畳むまで多くの方が訪れてくれた。
帰宅してイチローの引退を知る。俺にとってイチローは、美学を貫いた秀逸な表現者だった。プレーの数々だけでなく、「古畑任三郎~正月スペシャル」(06年)で演じた犯人役にも感嘆させられた。俳優としても才能を発揮出来るのではないか。
イメージフォーラム(渋谷)で韓国映画「金子文子と朴烈」(17年、イ・ジュンイク監督)を観賞した。主人公は不逞社リーダーの朴烈(パク・ヨル)と、10代を朝鮮で過ごした金子文子で、ともにアナキストだ。本作のキーになる朴烈の詩「犬ころ」は冒頭、文子のモノローグで流れる。
<私は犬ころである 空を見て吠える 月を見て吠える しがない私は犬ころである 位の高い両班の股から 熱いものがこぼれ落ちて 私の体を濡らせば 私は彼の足に 勢いよく熱い小便を垂れる 私は犬ころである>……
この詩に感動した文子は押しかけ同棲する。〝不逞鮮人〟と呼ばれていたことを逆手に取り不逞社を結成した辺り、朴烈の反骨精神が窺える。大日本帝国と天皇制に、〝勢いよく熱い小便を垂れた〟朴烈に重なったのは、別稿(3月8日)に紹介した目取真俊の「平和通りと名付けられた街を歩いて」(1987年)だ。老女ウタは警備をくぐり抜け、皇太子夫妻(当時)の乗る車のフロントガラスに自身の糞を塗りたくった。
出会った時、朴烈は21歳。映画「高地戦」や「建築学概論」でキャリアを積んだイ・ジェフンは実年齢より10歳以上若い朴烈の情熱と衒いを表現していた。同年齢の文子を演じたチェ・ヒソに圧倒される。「太陽の墓場」(60年、大島渚監督)の炎加世子を彷彿させる熱がスクリーンを焦がしていた。
三・一運動への苛烈な弾圧への憤怒が燻る関東大震災(1923年)前後という時代設定、朝鮮人虐殺、アナキスト群像、天皇制を抉った点で、本作と「菊とギロチン」(18年、瀬々敬久監督)は写し絵になっていた。夢想家的な朴烈は、ピュアーな文子によって芯を注入される。
「菊とギロチン」の<菊>とは皇室だが、朴烈と文子は当時の摂政(昭和天皇)を暗殺対象にしたとのフレームアップで大逆罪に問われ、死刑判決を受けた。二人は死を恐れず、法廷を自らの思想を知らしめる勝負の場所に決める。植民地支配の象徴としての皇室を否定し、〝社会の寄生虫〟と断じた。
関東大震災直後、正力松太郞(警察官僚、後の読売新聞社主)が流した「朝鮮人が井戸に毒を混入した」との偽情報に扇動され、軍、警察、自警団が6000人以上の朝鮮人を虐殺する。正力の上司である水野錬太郎内相(キム・インウ)は国際社会の批判を逸らすため、次々に策を講じた。
大逆罪適用を迫る水野の圧力と闘いながら、立松判事(キム・ジュンファン)は法の独立を守ろうと苦闘する。予備尋問で朴烈と文子の真っすぐな志と愛に感銘を覚えた立松は、二人の記念写真を認めた。高圧的だった刑務官も家族に捨てられた文子の境遇に心を動かされ、書き残した自伝を保管する。韓国映画に特徴的な<対立する者たちに芽生える友情>が本作にも描かれていた。周到に準備したのか、俳優たちの日本語に違和感は覚えなかった。
太宰治が「斜陽」で登場人物に語らせた<人間は恋と革命のために生れて来た>を、朴烈と文子は鮮やかに実践した。メッセージ性が前面に出ているが、互いへの優しい視線に紡がれた清冽なラブストーリーに魂を揺さぶられる。絶賛コメントにPANTAと福島泰樹の名を見つけて嬉しくなった。
今回は「最後の一滴まで」上映&トークイベント、「冤罪3部作」上映会、「獄友イノセンスバンドライブ」の告知が主な目的で、高江村ヘリパッド反対運動への連帯を込めた手ぬぐい、グリーンズジャパン会員が作った有機野菜も併せて販売する。福島瑞穂議員、狭山事件で不当逮捕された石川一雄さんの妻早智子さん、反原発を訴える漫才コンビおしどりなど、ブースを畳むまで多くの方が訪れてくれた。
帰宅してイチローの引退を知る。俺にとってイチローは、美学を貫いた秀逸な表現者だった。プレーの数々だけでなく、「古畑任三郎~正月スペシャル」(06年)で演じた犯人役にも感嘆させられた。俳優としても才能を発揮出来るのではないか。
イメージフォーラム(渋谷)で韓国映画「金子文子と朴烈」(17年、イ・ジュンイク監督)を観賞した。主人公は不逞社リーダーの朴烈(パク・ヨル)と、10代を朝鮮で過ごした金子文子で、ともにアナキストだ。本作のキーになる朴烈の詩「犬ころ」は冒頭、文子のモノローグで流れる。
<私は犬ころである 空を見て吠える 月を見て吠える しがない私は犬ころである 位の高い両班の股から 熱いものがこぼれ落ちて 私の体を濡らせば 私は彼の足に 勢いよく熱い小便を垂れる 私は犬ころである>……
この詩に感動した文子は押しかけ同棲する。〝不逞鮮人〟と呼ばれていたことを逆手に取り不逞社を結成した辺り、朴烈の反骨精神が窺える。大日本帝国と天皇制に、〝勢いよく熱い小便を垂れた〟朴烈に重なったのは、別稿(3月8日)に紹介した目取真俊の「平和通りと名付けられた街を歩いて」(1987年)だ。老女ウタは警備をくぐり抜け、皇太子夫妻(当時)の乗る車のフロントガラスに自身の糞を塗りたくった。
出会った時、朴烈は21歳。映画「高地戦」や「建築学概論」でキャリアを積んだイ・ジェフンは実年齢より10歳以上若い朴烈の情熱と衒いを表現していた。同年齢の文子を演じたチェ・ヒソに圧倒される。「太陽の墓場」(60年、大島渚監督)の炎加世子を彷彿させる熱がスクリーンを焦がしていた。
三・一運動への苛烈な弾圧への憤怒が燻る関東大震災(1923年)前後という時代設定、朝鮮人虐殺、アナキスト群像、天皇制を抉った点で、本作と「菊とギロチン」(18年、瀬々敬久監督)は写し絵になっていた。夢想家的な朴烈は、ピュアーな文子によって芯を注入される。
「菊とギロチン」の<菊>とは皇室だが、朴烈と文子は当時の摂政(昭和天皇)を暗殺対象にしたとのフレームアップで大逆罪に問われ、死刑判決を受けた。二人は死を恐れず、法廷を自らの思想を知らしめる勝負の場所に決める。植民地支配の象徴としての皇室を否定し、〝社会の寄生虫〟と断じた。
関東大震災直後、正力松太郞(警察官僚、後の読売新聞社主)が流した「朝鮮人が井戸に毒を混入した」との偽情報に扇動され、軍、警察、自警団が6000人以上の朝鮮人を虐殺する。正力の上司である水野錬太郎内相(キム・インウ)は国際社会の批判を逸らすため、次々に策を講じた。
大逆罪適用を迫る水野の圧力と闘いながら、立松判事(キム・ジュンファン)は法の独立を守ろうと苦闘する。予備尋問で朴烈と文子の真っすぐな志と愛に感銘を覚えた立松は、二人の記念写真を認めた。高圧的だった刑務官も家族に捨てられた文子の境遇に心を動かされ、書き残した自伝を保管する。韓国映画に特徴的な<対立する者たちに芽生える友情>が本作にも描かれていた。周到に準備したのか、俳優たちの日本語に違和感は覚えなかった。
太宰治が「斜陽」で登場人物に語らせた<人間は恋と革命のために生れて来た>を、朴烈と文子は鮮やかに実践した。メッセージ性が前面に出ているが、互いへの優しい視線に紡がれた清冽なラブストーリーに魂を揺さぶられる。絶賛コメントにPANTAと福島泰樹の名を見つけて嬉しくなった。