尖閣諸島問題を契機に、反中国デモの参加者が増えている。APECに合わせて13日、横浜で数千人規模の反中国デモが開催されたが、メディアはなぜか黙殺した。思想信条に身体性が伴えば、有形無形のプレッシャーが個々に及ぶ。立場は俺と異なるが、彼らの熱が反貧困など他の闘いに伝播することを願っている。
天皇制には否定的な俺だが、皇室関連の記事にホロッとしたことが一度だけある。皇太子との結婚を控えた小和田雅子さんはインタビューで、最も感動した小説に「ドクトル・ジバゴ」を挙げていた。ロシア革命に翻弄された医師ジバゴとララの物語だが、作者パステルナークはソ連政府の圧力でノーベル文学賞辞退を余儀なくされた。
<日本のドクトル・ジバゴ>と評するに相応しい小説を雅子さんはご存じだろうか。ヒロインのモデルが、他ならぬご自身であることも……。
「彗星の住人」、「美しい魂」、「エトロフの恋」(いずれも新潮文庫)からなる「無限カノン三部作」を先日読了した。島田雅彦は開国から21世紀に至る日本の近現代を背景に、漂流する一族の悲恋の歴史を紡いでいる。
<恋とは、恋人たちが想像しえなかった未来に向けられた終りなき願望なのだ。恋は現世では決して満たされることがない彼岸の欲望なのだ>(「彗星の住人」から)
三部作のテーマは上記に凝縮されている。ビタミンI(愛)欠乏症で乾いた人は、言葉の純水に潤され、癒やしと温もりに満たされるだろう。
主人公の野田カヲルは、息子を奪われ10代で自ら命を絶った〝マダム・バタフライ〟の曽孫に当たる。恋と音楽に生きた一族の祈りによって育まれた声で、カヲルは名声を博す。類まれな容姿もあって女性たちを魅了するが、〝宿命の人〟麻川不二子とは悲恋に終わる。
物語の冒頭、カリフォルニアで暮らすカヲルの娘文緒が、父の消息を追って伯母アンジュを訪ねる。生存しているはずの父には墓があり、赤いスプレーで「ケガレモノ」、「ヒコクミン」と落書きされていた。愛ゆえ汚名を着せられた父と野田家の数奇な運命が、視力をなくしたアンジュによって語られる。
カヲルと不二子の出会い、数少ない逢瀬とすれ違いは、蝶々夫人とピンカートン、カヲルの父蔵人と松原妙子(モデルは原節子)の悲恋の写し絵だ。一族の歴史が哀調のカノンになって、究極の愛のメロディーが奏でられる。
白眉というべきは「美しい魂」のエンディングだ。国家に引き裂かれたカヲルと不二子は、警備関係者とマスコミの目を欺いてドライブする。瑞々しい言葉と封印された思いが驟雨のように降り注ぎ、クチクラ化した俺の心もしとど濡れ、ページを繰る指が震えた。
壮大なラブストーリーの土台は<天皇制>で、島田の問題意識が轍として刻まれている。カオルの祖母と母は南朝の流れを汲む吉野出身者という設定だ。三部作に描かれる三角関係は、見方を変えれば南北朝時代に遡る寓話といえぬこともない。
〝暴力装置としての天皇制〟の逆鱗に触れたカヲルは、放浪と転落を経て、死者の魂が彷徨う〝黄泉の国〟エトロフに漂着する。縄文人と繋がりが深いアイヌの文化に触れたカヲルは絶望と孤独の淵から甦り、不二子への変わらぬ思いを確認する。
読了後、自らの人生を振り返ると、〝宿命未満の恋〟に出合ったような気がしてきたから不思議である。俺がもうひと押ししたら、何とかなったはず……ってことにしておこう。
最後に、スポーツの感想を。エリザベス女王杯で英愛オークス馬のスノーフェアリーがインを突き抜けた。日本の硬い馬場にも適応できそうで、中1週のJCに出走してもチャンスはあるかもしれない。
マニー・パッキャオ(フィリピン)が13日(日本時間14日)、WBCスーパーウエルター級(69・86㌔)王座を獲得し、6階級制覇を達成した。無類のタフネスを誇るマルガリートとの体格差に苦しむ場面もあったが、終盤はKO寸前に追い込む圧勝だった。最初の世界王座はフライ級(50・8㌔)だから、人知を超えた偉業といえる。
パッキャオの名声は天井知らずで、今回の試合もカウボーイスタジアムに6万人を集め、137カ国に放映された。不世出のアスリートによる奇跡の旅はいつまで続くのだろうか。
天皇制には否定的な俺だが、皇室関連の記事にホロッとしたことが一度だけある。皇太子との結婚を控えた小和田雅子さんはインタビューで、最も感動した小説に「ドクトル・ジバゴ」を挙げていた。ロシア革命に翻弄された医師ジバゴとララの物語だが、作者パステルナークはソ連政府の圧力でノーベル文学賞辞退を余儀なくされた。
<日本のドクトル・ジバゴ>と評するに相応しい小説を雅子さんはご存じだろうか。ヒロインのモデルが、他ならぬご自身であることも……。
「彗星の住人」、「美しい魂」、「エトロフの恋」(いずれも新潮文庫)からなる「無限カノン三部作」を先日読了した。島田雅彦は開国から21世紀に至る日本の近現代を背景に、漂流する一族の悲恋の歴史を紡いでいる。
<恋とは、恋人たちが想像しえなかった未来に向けられた終りなき願望なのだ。恋は現世では決して満たされることがない彼岸の欲望なのだ>(「彗星の住人」から)
三部作のテーマは上記に凝縮されている。ビタミンI(愛)欠乏症で乾いた人は、言葉の純水に潤され、癒やしと温もりに満たされるだろう。
主人公の野田カヲルは、息子を奪われ10代で自ら命を絶った〝マダム・バタフライ〟の曽孫に当たる。恋と音楽に生きた一族の祈りによって育まれた声で、カヲルは名声を博す。類まれな容姿もあって女性たちを魅了するが、〝宿命の人〟麻川不二子とは悲恋に終わる。
物語の冒頭、カリフォルニアで暮らすカヲルの娘文緒が、父の消息を追って伯母アンジュを訪ねる。生存しているはずの父には墓があり、赤いスプレーで「ケガレモノ」、「ヒコクミン」と落書きされていた。愛ゆえ汚名を着せられた父と野田家の数奇な運命が、視力をなくしたアンジュによって語られる。
カヲルと不二子の出会い、数少ない逢瀬とすれ違いは、蝶々夫人とピンカートン、カヲルの父蔵人と松原妙子(モデルは原節子)の悲恋の写し絵だ。一族の歴史が哀調のカノンになって、究極の愛のメロディーが奏でられる。
白眉というべきは「美しい魂」のエンディングだ。国家に引き裂かれたカヲルと不二子は、警備関係者とマスコミの目を欺いてドライブする。瑞々しい言葉と封印された思いが驟雨のように降り注ぎ、クチクラ化した俺の心もしとど濡れ、ページを繰る指が震えた。
壮大なラブストーリーの土台は<天皇制>で、島田の問題意識が轍として刻まれている。カオルの祖母と母は南朝の流れを汲む吉野出身者という設定だ。三部作に描かれる三角関係は、見方を変えれば南北朝時代に遡る寓話といえぬこともない。
〝暴力装置としての天皇制〟の逆鱗に触れたカヲルは、放浪と転落を経て、死者の魂が彷徨う〝黄泉の国〟エトロフに漂着する。縄文人と繋がりが深いアイヌの文化に触れたカヲルは絶望と孤独の淵から甦り、不二子への変わらぬ思いを確認する。
読了後、自らの人生を振り返ると、〝宿命未満の恋〟に出合ったような気がしてきたから不思議である。俺がもうひと押ししたら、何とかなったはず……ってことにしておこう。
最後に、スポーツの感想を。エリザベス女王杯で英愛オークス馬のスノーフェアリーがインを突き抜けた。日本の硬い馬場にも適応できそうで、中1週のJCに出走してもチャンスはあるかもしれない。
マニー・パッキャオ(フィリピン)が13日(日本時間14日)、WBCスーパーウエルター級(69・86㌔)王座を獲得し、6階級制覇を達成した。無類のタフネスを誇るマルガリートとの体格差に苦しむ場面もあったが、終盤はKO寸前に追い込む圧勝だった。最初の世界王座はフライ級(50・8㌔)だから、人知を超えた偉業といえる。
パッキャオの名声は天井知らずで、今回の試合もカウボーイスタジアムに6万人を集め、137カ国に放映された。不世出のアスリートによる奇跡の旅はいつまで続くのだろうか。
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