酔生夢死浪人日記

 日々、思いついたさまざまなことを気ままに綴っていく

「また会う日まで」~ちりばめられた池澤夏樹の思い

2023-07-27 13:53:40 | 読書
 森村誠一さんが亡くなった。731部隊の真実に迫った「悪魔の飽食」に衝撃を受けたが、小説は読んだ記憶がない。佐藤純彌監督による「人間の証明」と「野生の証明」は素晴らしい映画だったが、「棟居刑事シリーズ」、「終着駅シリーズ」など森村誠一原作と銘打たれたドラマに人間の本質への洞察の深さを感じた。反戦平和の思いを作品に託した作家の冥福を祈りたい。

 池澤夏樹著「また会う日まで」(朝日新聞出版)を読了した。700㌻以上の長編だがゆったりとした叙述に基づく歴史小説で、キリスト教徒、海軍軍人、天文学者の三つの貌を併せ持った秋吉利雄を主人公に据えている。折に触れて綴られる秋吉の心の内が〝巨視の人〟である作者自身と重なるのは当然で、秋吉は池澤の大伯父にあたる。多くの親族が登場するが、そのうちのひとりが池澤の父である福永武彦だ。

 凝縮や濃密とは対極にあるが、池澤ワールドの精華がちりばめられている。まずは穏やかな語り口だ。池澤が脱原発を早い段階から訴えてきたことは「すばらしい新世界」に示されている。「カデナ」には沖縄への強い愛着が描かれているが、池澤は表立って政治的な発言はしない。「作家は政治的な意見を作品の中で語り尽くすべき」と考えているのだろう。

 海軍少将にまで上り詰めた軍人でありながらキリスト教徒……。天皇を現人神と奉りながら、イエスの御心に忠誠を尽くすという矛盾に直面しながら精神のバランスを保てたのは、科学者であったからだ。池澤は「科学する心」で<科学とは五感をもって自然に向き合う姿勢>と記していた。秋吉は戦闘艦で指揮するのではなく、海図制作、海洋測量、天体観測を担当する水路部を束ねる軍人で、いずれ敵になる可能性がある他国とも連携する必要があった。

 最も記憶に残るのは、日食観測のため東カロリン群島のローソップ島へ向かうエピソードだ。秋吉は現地での観測を統括する立場にあった。300人ほどの住民はキリスト教徒で、秋吉は親近感を覚えていた。池澤は緩やかなアイデンティティーと多様性を重視している。アイヌの少年ジンを主人公に据えた「氷山の南」では、人種や宗教による独自性を止揚する試みが描かれていた。ローソップ島での出来事は秋吉にとって忘れ難い思い出になる。

 2人の妻も秋吉に大きな影響を与える。結婚10年で召されたチヨ、再婚相手のヨ子(よね)とは信仰で強く結ばれていた。女性が学ぶこと、自由に発言することに世間は抵抗を感じていたが、そんな時代にチヨもヨ子もしっかり自己主張しながら秋吉と向き合っていた。ヨ子がアメリカで暮らしていた頃、フランクリン・ルーズベルト大統領夫人のエレノアと交友があったというエピソードも描かれている。

 秋吉は戦後、公職追放処分を受ける。肺に疾患を抱えていたが、息子と訪れた後楽園球場でずぶ濡れになっても待避せず、結果的に自死を選ぶ。戦闘には関与しておらず、政治とも距離を取っていたが、海軍少将として多くの国民を死に至らしめた責任を逃れることは出来ない。神に仕える身であるがゆえ、葛藤と懊悩を抱えていた。沈む軍艦と運命をともにした友、戦争に至る過程を書き記そうとしながら不審な死を遂げた友……。親友たちの最期も秋吉を死に誘った。

 日本の近現代史を背景に描いた小説だが、現代に警鐘を鳴らしている。欺瞞に満ちた政府、流されやすい国民という構図は変わらず、戦争の記憶が薄れた日本は好戦的なムードに溢れている。戦前回帰を目論む保守派の抵抗で、女性の地位は極めて低い。そして、環境破壊だ。「苦海浄土」を自ら選定した世界十大小説に挙げるなど、池澤は石牟礼道子の理解者として知られている。40度以上の炎暑で世界は壊れつつある。「また会う日まで」は俯瞰の目で現在の世界を見据えた小説だった。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 「告白、あるいは完璧な弁護... | トップ | 「サントメール ある被告」... »

コメントを投稿

読書」カテゴリの最新記事