酔生夢死浪人日記

 日々、思いついたさまざまなことを気ままに綴っていく

「フライ・ミー・トゥ・ザ・ムーン」~スカーレットのキッチュな魅力に魅せられた

2024-08-06 22:19:18 | 映画、ドラマ
 79年前のこの日、広島に原爆が投下された。人々の願いもむなしく、世界で戦火が消えることはない。ロシアのウクライナ侵攻は続き、イスラエルは被害の刃を反転させ、パレスチナでジェノサイドを行っている。広島市はなぜ、核保有国とみなされるイスラエルを招待し、パレスチナを招待しなかったのか。

 ニヒリスティックな気分になり、猛暑で脳は溶けかけている。込み入った内容は厳しいので、リラックスして観賞出来そうな映画をチョイスした。TOHOシネマ新宿で上映中の「フライ・ミー・トゥ・ザ・ムーン」(2024年、グレック・バーランティ監督)である。1969年、アポロ11号のアームストロング船長とオルドリン操縦士は月に着陸し、その光景は全世界に生中継された。中学1年生だった俺もテレビ画面に見入った記憶がある。本作はアポロ計画を背景に描かれた作品だ。

 1961年、ソ連と熾烈な宇宙開発競争を繰り広げていたアメリカのケネディ大統領は「1960年代の末までに人類を月に着陸させる」と宣言した。63年にケネディは暗殺され、計画そのものを〝夢物語〟と揶揄する向きもあったが、無事に成功したのは上記の通りである。着陸した時の<これは一人の人間にとっては小さな一歩だが、人類にとっては偉大な一歩である>のアームストロングの言葉はその後も語り継がれている。

 マンハッタン計画をテーマに描いた映画「オッペンハイマー」は多くの諜報関係者が登場するなど緊張が途切れない作品だったが、同じ国家プロジェクトを扱った「フライ・ミー――」は、原爆と月着陸と志向するものは異なるものの、色合いが真逆のコメディーだった。作品のトーンを決めたのは製作を担当し、結果的に主演のケリー役に収まったスカーレット・ヨハンソンのキッチュな魅力である。

 ケリーはPRのプロという設定で、アポロ計画の認知度を高めるためにNASAに派遣される。美貌に加え、口八丁手八丁でNASAを闊歩するケリーはまさに、安っぽくて俗悪というキッチュを体現していた。本作はキッチュではなく、〝塗りたくっていない〟ケリーの真の姿に迫るラブコメディーで、NASAの発射責任者で堅物のコール・デイビス(チャニング・テイタム)との距離感が揺れ動く。コールは健康上の理由で宇宙飛行士の道を諦めており、かつて自身の判断ミスが事故に繋がったことを悔いていた。

 月着陸に成功した69年7月は、まさに激動の時代だった。全世界でベトナム反戦の嵐が吹き荒れ、ソ連もプラハ侵攻でヒールの側に加わった。文化大革命は当時、肯定的にみられることが多かったが、紅衛兵を動員した毛沢東の奪権闘争は中国に大きな傷痕を残す。興味深かったのはケリーの助手であるルビー(アンナ・ガルシア)が事あるごとに反ニクソンを表明することだ。アポロ計画を提唱したケネディだが、ケリーをNASAに派遣したモー(ウディ・ハレルソン)の後ろ盾はニクソン大統領だった。

 ケリーがモーから受けた指令は、月着陸のシーンのフェイク映像を製作すること。ケリーは3人の宇宙飛行士だけでなく、コールのそっくりさんまで用意し、フェイク映像を準備した。何がリアルで何がフェイク?というテーマは、そのままケリーとコールの関係にも重なるという見事なストーリーに感嘆させられた。ちなみに、フェイク映像に映り込んだのがNASA敷地内で暮らしていた黒猫というのも手が込んでいた。

 理屈っぽい映画を見て、理屈をこねるというのが、俺の映画との接し方だが、見終えた後に安堵のため息が洩れる作品に出合えてよかった。
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