酔生夢死浪人日記

 日々、思いついたさまざまなことを気ままに綴っていく

「サントメール ある被告」~曖昧な境界に迷い込む法廷劇

2023-08-01 22:21:05 | 映画、ドラマ
 4年ぶりに開催された隅田川花火大会に足を運んだ。知人が申し込んだ有料席で満喫した至高のページェントは冥土の土産かもしれない……。そんな風に考えてしまったのは理由がある。混雑を避けるため三ノ輪駅から会場まで歩いて往復したが、帰り道、前に進まなくなった。腰が痛くなり、バランスが崩れてフラフラする。脳梗塞と熱中症が重なったのか、駅や道で何度も休憩しながら思い出していたのは父である。

 花火マニアの父は毎夏、いくつもの花火大会をはしごしていた。仕事に遊びにアクティブに取り組むバイタリティーに感心していたが、今の俺と同じ年の頃(60代半ば)に母と所用で上京した際、衰えを痛感する。ゆっくり歩いて何度も休み、結局タクシーを拾ってホテルに向かった。4年後に召されたが、俺にも遠からず〝その日〟が来るかもしれない。

 確執というほどではないが、父と理解し合っていたとはいえなかった。俺の生き方が父の期待から大きく外れていたことが大きかったと思う。父と息子ではないが、移民社会を背景に、母と娘の距離を描いたフランス映画「サントメール ある被告」(2022年、アリス・ディオップ監督)を渋谷で見た。法廷をメインに描かれていたが、裁判官と弁護士は女性、検事が男性という設定に製作側の意図を感じる。ちなみにフランスの法曹界は女性が多数を占めているという。

 移民社会フランスの実情を知らない男にとって、「サントメール ある被告」は難解な作品だった。白人男性との子供をみごもったアフリカ系の2人の女性の視点から描かれている。実際に起きた事件とその裁判がベースで、裁かれているのは生後15カ月の娘を海岸に置き去りにし、死に至らしめたセネガル人の若い女性ロランス(ガスラジー・マランダ)だ。茶色の肌に茶色の服を纏い、法廷の茶色の壁に同化したロランスは感情を面に出さず、視線を斜めにやっている。

 傍聴に訪れたのは同じくセネガル系だが、フランスで育った作家のラマ(カイジ・カガメ)だ。妊娠中のラマは冒頭、マルグリット・デュラス原作の映画「二十四時間の情事」(原題「ヒロシマ・モナムール」)をテーマに大学で講義している。ナチス将校と恋仲だった女性が髪を切られて引き回されるシーンが印象的で、後半には嬰児殺しが描かれた「王女メディア」のカットが挿入されていた。

 「二十四時間の情事」は広島への原爆投下が描かれており、「王女メディア」には長唄が使われるなど、日本と縁のある2本の映画が「サントメール ある被告」と深くリンクしていた。ロランスが〝完璧なフランス語を話す〟のは両親の教育方針の反映だが、期待に沿えなかったことで疎遠になる。<フランス語が完璧=アイデンティティーの喪失>で、決定的な孤独に苛まれたロランスは30歳も年上の男と付き合うようになる。

 裁判で罪状を問われたロランスは「私は本当に娘を殺したんでしょうか。教えて下さい」と答えた。子供を消して元の自分に戻りたい、あるいは海が本来あるべき場所に子供を送ってくれるという感覚に陥っていたのだろうか。善悪、罪と罰、ジェンダー、母娘、白人とアフリカ系……。見る側は境界が次第に曖昧になるのを感じ、複眼的に真実を見据えることが求められる。ロランスが囚われた呪術的風習、弁護士が終盤で示したマイクロキメリズムも、物語を重層的な世界に導いていた。

 妊娠中している母親と胎児の関係など、俺が理解出来るはずもない。ハードルが高く、感想を述べることさえはばかられる作品だった。次に観賞するのもフランス映画だが、本作と比べてわかりやすい気がする。
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