つきみそう

平成元年に出版した処女歌集の名

米国東部紀行 4

2013-11-09 | 海外旅行
 次の訪問地は、NY。こちらも二人とも行っています。著しく変わったのは、9.11によって破壊された貿易センタービル。前のように二棟でなく、一棟です。娘たちが新婚旅行で最上階でディナーを取った思い出のビルが破壊され、ショックだったようです。スーツ着用の指示があり、二人は正装で行ったのに・・・
 再建されても、破壊されたあと、郊外のビルに引っ越した会社も多く、元通りの形態になるのには時間がかかるようです。写真はマンハッタンクルーズの船から撮ったもの。生憎の雨でした。数年前ハドソン川に不時着した飛行機があり、「ハドソン川の奇跡」と呼ばれましたが、そのポイント近くを通りました。前回のツアーでエンパイヤステイトビルは上っています。エレベーターを乗り換えて・・・

 美術館中心のツアーを選び、NYのメトロポリタン美術館は期待していました。MOMAは18年前に行きましたが・・・
 ここにもフェルメールが3点収蔵されています。今回の旅で多くのフェルメールに会えました。でも昨年オランダのマウリッツハイス美術館で見た「真珠の耳飾りの女」が最高でした。

 最下段の2枚は増築部分にある神殿。このギリシャのテンドール神殿は、水没を免れるための移設費用を、米国が全部負担したため、米国のどこかの美術館に寄贈するということにギリシャ政府が決めました。近くにオナシス(ギリシャ人)夫人となったケネディ元大統領夫人だったジャクリーンさんの住まいがあったこともここに寄贈された理由の一つ。でも厳しい条件があり、特別に増築し、光が広く入るように設計し、神殿の向きも決められました。ここは、天井の高さまでガラス張りとなっています。

 NYでは、「シカゴ」も見ました。ツアーに含まれていたのです。NYの目ぬき通りに日本の「TOSHIBA」の広告が出ています。年間契約料は20億円とか・・・米国は何でもケタが違いますね。

    
     NY摩天楼

            
             新装の貿易センタービル 

    
     自由の女神 青いのは銅が緑青をふいたため

       
         セントラルパーク 夫が行った30年前は治安が悪くて近寄れなかったそうです

    
     メトロポリタン美術館

             
              美術館玄関ホール ハロウィンのかぼちゃも・・・

             
              フェルメールの水差しを持つ若い女

       
        ゴッホの糸杉

       
        モネの睡蓮

            
             イーゼルを立てて模写する人

   
   ギリシャから寄贈されたデンドール神殿 

   
    神殿のために増築された展示室
    
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米国東部紀行 3

2013-11-08 | 海外旅行
 ワシントンDCのナショナルギャラリーと、スミソニアン航空宇宙博物館は夫は二度目。日本の美術館では撮影禁止ですが、海外では大抵許されます。それに入館料も無料であったり、取っても日本ほど高くないです。下のラファエロの作品はこの美術館の代表的な収蔵品で、よく貸し出されるらしいですが、この日は戻ったところでラッキーでした。36歳のゴッホ自画像も見られました。
 フェルメールは、寡作の画家で世界中で32点くらいしかないのですが、ここには5点もあり、これもよく貸し出されるのに、この日は揃って見られ、これもラッキーでした。写真は天秤を持つ女。

 
 スミソニアン航空博物館の展示品は、すぐ動くものばかり。骨董ではありません。日本のゼロ戦戦闘機も展示。米国、イタリア、ドイツ、フランスのものもある中で、ゼロ戦の機能は突出しているらしいです。日本は無残な負けいくさでしたが、米国では、小回りの利くゼロ戦の秘密を探ろうと、壊れた機体をつなぎ合わせて、元の姿に戻したそうです。

 最初は、「あんなに小回りの利く優秀な飛行機は、黄色いサルには作れる筈がない」とバカにしていたのですが、機体をつなぎ、飛ばせてみて、その性能に仰天したそうです。オイルとボディの材質を変えると更に飛ぶことが分かり、日本の技術に恐れて、「日本は今後20年間飛行機を作ってはいけない」という禁止令を出しました。おかげで日本の航空技術は、その後大きく出遅れてしまいました。今もその影響があります。戦勝国の嫉妬とエゴで・・・

   
    ナショナルギャラリー

     
      ダヴィンチのジネヴラ・デ・ベンチの肖像

             
              ゴッホの自画像

         
          フェルメールの天秤を持つ女

   
    ライト兄弟の飛行機

          
           ジェミニ計画

   
   月面ロボット

   
    ゼロ戦
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米国東部紀行 2

2013-11-07 | 海外旅行
 次の観光はフィラデルフィア。ここは、夫は45年ぶりでした。最初に米国に出張した時、土日の仕事の休みを利用して出かけたようです。米国の歴史はここからスタートということで、独立記念館は、小学生の見学のコースらしく、かわいい子ども達を多く見かけました。自由の鐘は、世界遺産に認定されています。生憎この日は雨に祟られてしまいましたが、紅葉はここも美しかったです。
 ところで独立記念の鐘は、最初から亀裂が入っていました。リハーサルで割れてしまい、修理に間に合わなかったためだそうです。

 フィラデルフィアは、首都がワシントンに移るまでの10年間首都機能を果し、国会議事堂もあり、今も残っています。今の上院と下院は、小さな二階建ての建物の一階と二階からスタートしました。一階が下院で、二階が上院。その建物は、100ドル紙幣の裏側に印刷されています。

 次はワシントンDC。ここは二人とも二度目。州には属することはなく、特別自治区。リンカーン像は、パルテノン神殿に似た大理石の建物の中にあり、周囲の壁には、「人民の、人民による、人民のための・・・」という有名な宣誓文が刻まれています。
 国会議事堂の前の広場には、三々五々人がくつろいでいました。ホワイトハウス周辺の道路にオバマ大統領が現れると、車が大渋滞するとか・・・ 
 アーリントン墓地の紅葉も美しかったです。奥まったところにケネディ元大統領の墓があり、人が絶えません。50年前のあの日より、ずっとお墓の前の炎が絶えることはありません。

            
             自由の鐘


リンカーン記念堂                        国会議事堂

        
         ホワイトハウス

     
     
      アーリントン墓地

           
            ケネディ元大統領の墓の炎





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米国東部紀行 1

2013-11-06 | 海外旅行
 10/29~11/4まで、米国東部4都市を旅して来ました。私は18年ぶり、夫は30年ぶりの米国で、旅先がアジアやヨーロッパに傾き、日付変更線を長く越えなかったことになります。中部国際空港から成田までの国内線も、成田からボストンまでもJAL。米国東部時間は、日本との時差は、13時間半。11/3に冬時間となり、帰りの時差は、14時間半。成田からボストンまでの所要時間は、12時間半。帰りは向かい風のため一時間増しでした。

 久しぶりにJALに乗り、機体全体がかなり改善されたように感じました。お手洗いに入る時、ドアの細かい横文字を見なければならなかったのですが、大きな赤いランプが使用中を知らせています。どうしてこんな簡単なことが早く出来なかったのでしょう。機内食も以前より美味しく感じました。デザートのアイスクリームは、ハーゲンダッツ。

 一行は28人。旅慣れた人が多かったです。添乗員の西村さんもベテランで快適な旅でした。沖縄、福岡、長崎、広島、愛知、静岡、千葉、東京から成田に集合。いろいろな方と知り合いになりました。岐阜は私達だけ。

 9.11以後は入国検査が厳しくなったらしく、指紋も取られ、靴も脱がされました。18年前と全く違います。また日本を発つ前日までに、ESTAカードをネットで取っておかねばなりません。今回は座席予約も往復ともネットで自分で取らねばならなかったです。

 最初の観光地はボストン。ここは最終日にも寄ります。マサチューセッツ工科大学は車窓に見ただけでしたが、ハーバード大学はゆっくり見学。広大な敷地には、学生寮や30もの図書館、4つの教会、さまざまな建築物が並んでいます。米国最古の大学で私立。学費は年間500万円もかかります。ケネディ元大統領も、オバマ大統領もここの卒業生です。皇太子妃の雅子さまも・・・


    
     成田空港

    
     機内食

       
        ハーバード大学の門


大学構内 

     
      大学内の図書館の一つ


宿泊したマリオットホテルのロビーで炎が迎えてくれました  

    
     100ドル札は科学者で政治家であったフランクリン
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