今年度発行の短歌通信「月見草18号」の原稿を、ようやく印刷屋さんに渡すことが出来ました。一昨日、Tさんから表紙絵を受け取ってからフルスピードで編集しました。80%は完成していましたが・・・
年々ページ数が増え、今年は46頁。ありがたいことだと思っています。辛いことは、今回も物故者のお知らせです。早大教授だった植田先生もとうとう他界されました。
この冊子の端緒となった「月見草」の花の種を下さった森田氏も92歳になられ、伊豆のホームに入られてしまいました。いつも、最初に冊子をお送りしていたのに・・・
写真は同窓会の日、長良橋から上流を撮影したもの。右側が金華山で、頂に岐阜城が建っています。
年々ページ数が増え、今年は46頁。ありがたいことだと思っています。辛いことは、今回も物故者のお知らせです。早大教授だった植田先生もとうとう他界されました。
この冊子の端緒となった「月見草」の花の種を下さった森田氏も92歳になられ、伊豆のホームに入られてしまいました。いつも、最初に冊子をお送りしていたのに・・・
写真は同窓会の日、長良橋から上流を撮影したもの。右側が金華山で、頂に岐阜城が建っています。
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