つきみそう

平成元年に出版した処女歌集の名

大井宿

2012-07-05 | 岐阜県
 二日目は、中山道、江戸から数えて46番目の大井宿から巡りました。上の写真は、広重の大井宿の版画を見本にして、記念館の作成コーナーで作ったもの。中山道広重美術館での体験講座です。素人でもできるよううまく設定されています。5色刷り。浮世絵の多くは、名古屋の三菱東京UFJ銀行貨幣資料館でも見ましたが、今回の展示は、これまで見たことがない、京都、大阪のものもありました。

 恵那駅に近い、中山道ひしや資料館は、2億円以上をかけて復元。元は倍以上の敷地で、蔵も8棟あったそうです。写真は玄関の扉をあげてありますが、かつてはくぐり戸も使用されていました。

 中津川の熊谷守一記念館に15年ぶりに覗くと、新装となり、場所も移転。内部は撮影禁止のためパンフレットと庭の写真だけ。東京都豊島区にある旧宅跡の熊谷守一記念館にも20年前に行きましたが、それに似た感じですが、15年前の物とは少し違います。聞けば、東京の記念館館長は、次女の熊谷榧さんが今も務められているようです。
 15年前は熊谷守一記念館の近くに前田青邨記念館もありましたが、今は休館中。大作が一点盗難に遭い、閉鎖されています。海外にも流出した心配もあり、惜しまれます。

 最下段は、中津川の中山道歴史資料館の展示案内。展示を見ていると、折よく説明員の方がおられ、色々を聞くことが出来ました。かなり碩学の人で、藤村の夜明け前は数回読んでおられます。私の旧知のエッセイストは、夜明け前の有名なプロローグの部分の出典を見つけたと、自慢されていたのですが、ここではとっくの昔にそのことは解明されていて、誰でも知っていることだと言われてしまいました。でもそのエッセイストは、もう故人。どうしようもありません。
 東濃の報告はここまでで、明日から鎌倉、箱根の記事となります。

           
            中山道広重美術館

 
  美術館中庭

  
   中山道ひしや資料館の上げられたくぐり戸

     
      753の格子の欄間

  
  1棟残った蔵


大井宿本陣は焼失し、門と塀だけ残り、そこにこの説明板があります

   
   
    
   熊谷守一記念館のパンフレットと記念館庭

 
   

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8 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (フクちゃん)
2012-07-05 07:44:07
色々お出かけお元気ですね
今度は箱根ですか
楽しみにしています
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Unknown (tona)
2012-07-05 08:55:43
熊谷守一は岐阜県でもこんな方面だったのですか。
平田篤胤もこの地に関係していたのですね。
中山道と言いますと長野県までしかルートが浮かびませんが、岐阜県内のルートを地図で見ました。初めてです。中津川や大井宿があるのですね。山深いような感じですが、こんな道を皇女和宮さまが通られたのでした。
知人が東海道を歩き、次は中山道を歩き始めたと言っていましたが挫折したようです。
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縁の地 (pfaelzerwein)
2012-07-05 10:08:33
大井にも縁がありまして、旧家の裏口から眺めた上の川に記憶があります。
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フクちゃん (matsubara)
2012-07-05 19:42:09
元気な間にいろいろ機会を逃さず
出かけたいと思っています。
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tonaさま (matsubara)
2012-07-05 19:48:20
熊谷守一のお父上は岐阜市の
初代市長でした。
地方に住まわれていたのですが、
当時はエリートでした。
ここで平田篤胤の名が出るとは
思ってもいませんでした。
期待以上収穫のある旅でした。
そうです。和宮様が通られました。
でもお籠でしたから・・・

街道を踏破するのは、相当覚悟が
いると思います。
何日にも分けて歩かねばならないと
思いますし、中山道は山道も多くて
楽ではないでしょうね。
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pfaelzerweinさま (matsubara)
2012-07-05 19:52:02
再びドイツからのコメント
ありがとうございます。
岐阜によい思い出がおありのようで
嬉しく存じます。
帰国されたら再訪下さい。
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Unknown (慕辺未行)
2012-07-05 23:41:00
こんばんは (^o^)/
東海道の宿場町は、よく知られているのですが、中山道は馬篭や妻籠、奈良井などの有名なところしか分かりません。
ご紹介の大井宿も知りませんでした。
安藤広重は東海道だけでなく、中山道も描いていたのですね。
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慕辺未行さま (matsubara)
2012-07-06 19:00:20
私はまだ奈良井宿には行っていません。
馬篭は何度も行きましたが
チャンスがないのです。
大井宿は焼失して塀と門しか
ありませんし、その家には人が住んでいて
門も内側からは見るのは難しいです。
犬が吠えますし・・・

広重は、江戸や京、浪花もたくさん
描いています。私もこれまで知りません
でした。
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