Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

春の準備をするこの頃

2017-02-25 | 生活
久しぶりに森を走った。雨などが降っていたので帰宅後はじめてだ。スピードコースを試した。坂を上がり始めると直ぐに厳しく感じた。気管支の痒みも消えていないので咳が出るのだが、走り続けるとそれ以上に全身が厳しくなってきた。足の土踏まずも以前ほどではないが左足に少し違和感を感じた。酸素が回らなくなって来たりと普段ではありえない厳しさがある。どうしてこうなのかは分からないほどの久しぶりの辛さであった。理由は分からない。疲れなのかもしれないが時間も経過している。気温は摂氏8度と高かったが、風が強く、パンツを脱ぐ気は全く起きなかった。

春の強風が夜中中吹きまくっていた。明けるとと晴天で陽射しがあったので、気温はそれほど上がっていないが、久しぶりに籠もり部屋を出て、デスクに座る。冬の間でもこうした木漏れ日を楽しむような時があるのだが、今年はあまりにも春らし過ぎる。謝肉祭が後にずれれているので余計にそのように感じるのかもしれない。二月も終わろうとしているから、四旬節で寒の戻りとなる感覚とは大分違う。

このような時に備えてラズベリーパイも設置してあるので、籠もり部屋のノートブックをそれのVNCで中継する。文句なしに使える。但し久しぶりに目の辺りにするベンキューのモニターの位置が高過ぎてまぶしく感じるので、そろそろウィッシュリストに入っている机に固定するモニタースタンドを準備しておかなければいけないと思った。

暫く温度計としてしか使っていないと元に戻す方法を忘れてしまっていたが、何とか時計もターミナルも戻すことが出来た。要は、.config>lessental>LXDE-piでターミナルをオートスタートしないようにして、データーの書き出しを.bashrcを編集して元に戻しておけばよい。そしてインターネットに接続して時計を合わせるために、 dhclient -r wlan0で IPアドレスを解放してdhclient wlan0で再設定する。序にソフトのアップグレード、アップデートもしておいた。これでまた直ぐに冬篭りから戻れる準備となる。



参照:
弁証法的な辛い生活 2016-12-10 | テクニック
未来へのルーティン 2016-10-25 | テクニック
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夏タイヤについてのファクト

2017-02-24 | 雑感
自動車会社のマンハイム支店から電話があった。預けてある夏タイヤが擦り減っているので準備しておこうかというオファーだった。価格を聞くと一本180ユーロという。既に書いているようにブレーキディスクを交換しなければいけないのでそれを優先に考えていて、まだ冬タイヤで走るので全く考えていないと、一週間先にもう一度電話して貰うことにした。交換のアポイントメントなどとは別の話で準備しておくということだったが、問題になっているのは後輪の溝の深さだった。左右其々2mmと3mmということで法律上の規制値1.6mmまではまだあるが、それ以下となると警察沙汰になるというのだ。

つまり後輪二本を交換すれば事足りる。但し同じプロフィールでないとあまり良くない。面倒だが資料を調べてみるがコンティネンタルの商品名が思い出せなかった。それでもネットを調べると大体分かった。こうした事務仕事が面倒なのだが、電話が掛かって来た時にファクトを話せる。

ネットで購入するとコンティプレミウムコンタクト5の同じ大きさのものが100ユーロ以下で買える。つまり二本で360ユーロと190ユーロでは大違いだ。取り外しなどの一回の手間を入れてもまだ安くつく。電話が掛かって来たので、先ずは商品名を確認した。その通りだった。「あまりにも高すぎるから自分で調達する」として「先に持ち込もうか」というと、それならば「もう少し走って夏場に取り換えればよい」ということになった。最初からそれならばブレーキディスクの方が高額となるので、要らない心配をしないで良かったのだ。200ユーロの買い物予定と、タイヤ交換時に470ユーロの出費では全く意味が違う。

ヤフー日本を見ていると最年長指揮者の死亡記事が載っていた。スクロヴァチェフスキーというポーランドの指揮者でポップス管弦楽団と合併されたザールランドの放送交響楽団を指揮していた人である。車中で同地のラディオ放送からブルックナーの交響曲を明晰なサウンドで指揮しているのは何回か聞いている。しかし2000年以降になってネット情報が日本からも充分に入ってくるまでは正直全く知らなかった指揮者である。アメリカのミネソタで名を挙げた指揮者で欧州に戻って来るまでは無名だったのだから当然かもしれない。

バイエルンの放送協会の朝の番組で死去に伴うインタヴューが少し流れていた。最も興味深く聞いたのは前の大戦で爆弾が近くで炸裂したために両手を怪我して志望していたピアニストになれなかったことについて、「幸運だった」というところである。理由は技術がそこまで至っていなくて、技術を学ぶことに興味が無かったからだというのである。こうした言い方がまた「ドイツの正直さ」とは異なる「朴訥なポーランド人」らしさである。そして、作曲をしたかったのだが生活が出来ないので経済的理由から指揮者になったというのも面白い。少なくともこのインタヴューからの印象はとてもよい素直さで、同じ程度の指揮者ならば世代は異なるがヤノスキーよりもこちらの方に関心が向く。

ブルックナーとの出会いも六歳の時に窓の外から聞こえてくる七番のアダージョだったと言う。要するにヴァークナーへの葬送曲である。兎に角、ブルックナーを得意にしていたのはこれで分かるのだが、ヤノスキーに比較するとミネソタで死亡したことを見ると欧州でよりも合衆国での方が過ごしやすかった人なのだろう。そうした人がブルックナーなどを得意にしていたというのも面白い。



参照:
再び安全なゴム使用の話 2006-11-26 | 雑感
距離の伸びそうな冬模様 2011-10-25 | 料理
驚愕ラズベリーパイ3 2016-10-22 | テクニック
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春の躁がやって来た

2017-02-23 | 
春がそこまでやって来ている。春一番である。色々と準備をしなければいけない。先ずはロシア音楽勉強をチヤイコフスキーの悲愴交響曲で一旦終えることになる。まだその復活祭まで四旬節の期間があるが、これもあれよあれよという間に日が経ってしまうだろう。この曲も最後に生で聞いたのはレニングラードフィルハーモニーをムラヴィンスキーが指揮した時だった。今回のお勉強で深く楽曲に迫れるだろうか。少なくとも第五番をキリル・ペトレンコ指揮で体験したので、それを参考にすれば予め第六番も楽譜の読み方が大分わかる筈だ。

バーデンバーデンでの発券状況に不思議に感じた。何と最初の二三ヵ月殆んど出てしまったキリル・ペトレンコ指揮の演奏会よりも出だしが悪かった翌日曜日のサイモン・ラトルの方が殆んど売り切れている。状況からすると他のオファーと組合されて買券されたようで、業者が纏めて購入したのだろう。やはり、多くの大衆にとっては今でもサイモン・ラトルの方が知名度が高いから当然の市場の構造なのかもしれない。やはり、バーデンバーデンは、ミュンヘンともベルリンとも違うのは当然だろう。

そのミュンヘンの歌劇場の2017/18のプログラムの先情報が出ていた。先ずは関心のあるキリル・ペトレンコ指揮の新演出は二つで、その他は「ニーベルンゲンの指輪」再演ということだ。集客力があるので経済的な意味も大きいのだろうが、そこまで再演するとなるとライヴ録音でも残すのかもしれない。クリーゲンブルクの演出はケント・ナガノ音楽監督時の新演出だったが、再演でこれだけ集客力があればとても効率が良い。2018年7月のオペラ祭りに合わせて来るのだろう。カーネーギーホールの為の「ばらの騎士」も三回ほどあるに違いない。

興味津々の二つの新演出は状況からするとヴァークナーはないだろう。リヒャルト・シュトラウスは伝統を立て直して継承するという意味で、まだ一つ二つはあるのかもしれない。過去のミュンヘンでの演奏実績を見ると音楽監督就任以前からロシアオペラもボリス、オネーギン、ピケダーメなどやっている。チャイコフスキーやムソルグスキーを就任中に新制作する可能性も強いがさてどうだろう。「モーゼとアロン」は是非取り上げて欲しいが、その他にも20世紀の古典が存在する。いずれヴェルディなどイタリアものも一つぐらいは加わるのだろうか。古典ではハイドンなどは指揮のテクニックからしても興味深い。

ヴィーンでの「ばらの騎士」のヴィデオ映像を観た。カルロス・クライバー指揮で日本でも公演したものと同じであろう。予想通り、ミュンヘンでのそれよりも価値が低かった。なによりもヴィーンそのままで上演されているのでパロディーの在り方が全く時制的な視座の相違だけになってしまっていて、そこで奏され歌われるヨーデルもヴァルツャーもなんら意味を持たなくなってしまっている。なるほど日本の聴衆がその夢のような響きに陶酔したのも分かるそのもの観光地の歌芝居のような次元になり下がっている。まるでオーヴァ―アマルガウの四年に一度の受難劇と変わらない。そこで思い出すのが日本では録音やヴィデオで得た複製品の情報のそのままを芸術の本質と認識して、その通りの本物を目の辺りにして満足するという芸術需要の特徴がここでも当てはまる。観光情報のそのままを現地で確認してその他の現実への感覚を遮断して満足するというあれであり、芸術における感性とは一切関係が無い。それにしても天才指揮者カルロス・クライバーはどう見ても躁鬱の病に侵されていたとしか思えない映像で、流石に日本公演の後は躁の自身の非芸術的な行いを考えるとより鬱に落ち込んで仕舞ったのがよく分かる記録である。



参照:
苦みの余韻の芸術 2017-02-11 | 音
ペトレンコの「フクシマ禍」 2015-12-21 | 音
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日本国民への警鐘

2017-02-22 | マスメディア批評
フランクフルターアルゲマイネ新聞は、音も無く迫る日本国の変革に注意を促している。それはフランスのルペンや合衆国のトラムプのようには目立たないが、確実にやってきているというのだ。この新聞としては珍しい名前が出ていて、ハムブルク大教授ガブリエレ・フォークトへの取材と、ジェフ・キンストンら専門家共著の新刊「現代日本の報道の自由」(Press Freedom in Contemporary Japan)などを参考に記事を綴っているのは編集者アクセル・ヴァイデマンである。

フォークト教授が言うように、今進められている回帰的なつまり安倍首相の「日本を取り戻せ」のスローガンに代表される日本会議や伊勢神宮を代表とする神社本庁の考え方を日本国民の多くは支持していないとして、現在音も無く進む変革への警句としている ― これは一部で囁かれている右翼革命であるという認識に近い。

具体的には、憲法九条に代表される合衆国占領以降の骨抜き教育や社会を21世紀に適応した憲法に変えようとする動きである。それに対してプロパガンダ組織である日本の報道機関が全く手も足も出なくなってきているということへの強い疑念が示される ― この件に関してはガウク前大統領が日本訪問した節の発言では事の軽重が逆になっていたが、なぜ今こうした見解がこの政財界にも大きな影響を与える新聞で大きく紹介されているのかがとても興味深い。

恐らくそれは前記の新刊本に書かれているようなNHK司会者の更迭やそこに存在する黄色本とよばれる政府に対して配慮したハンドブックの内容がジャーナリズム業界で大きな話題となって、また朝日新聞のような未だにリベラルと思われている新聞のお手上げ状態を見かねての発言であろう。我々ジャパンウォチャーにとっては今更と思うことでもこうした研究本が出ることで世界の言論になるということだ。

また「日本会議の研究」著者菅野完への日本会議の正会員からの脅迫電話がYOUTUBEにアップロードされているとして、それを取り巻く状況を紹介している。また、アパホテルの客室に置いてあって、シナの「微博」で炎上したような内容の書籍でも日本では問題にならないこと、そうした正会員が2014年秋の時点で全国会議員722人中289人もいるというニューヨークタイムスの記事も紹介している。それでも大多数の日本国民の抵抗の声はいつものように静かであるとしている。

2014年秋に発生した坂本フランクフルト総領事のFAZ本社強襲事件以降この新聞の安倍政権への批判記事は巧妙なジャーナリスト的な記事に終始していたが、ここにきてガウク大統領訪問以降にベルリンの外交部の日本担当で何かの変化があるのだろうか?あり得るとすれば、トラムプと安倍の関係からEUの新たな軸足のあり方に変化があるのだろうか?題して「国民不在の島国」。



参照:
Kein Volk ist eine Insel, AXEL WEIDEMANN, FAZ vom 21.2.2017
自虐的国家主義安倍政権 2015-07-24 | マスメディア批評
異常なI’m not Abeな事態 2015-04-30 | マスメディア批評
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やらかしてくれる人

2017-02-21 | アウトドーア・環境
予定より一日早く帰宅した。予想通り、あとで追加参加した家具親方がやらかしてくれた。石切り場でどうなるだろうと話していた通りになった。自分自身は準備しつつ慎重に完走の可能性を考えていたが、そこまで分かっている者ならばこのようなことにならないとは言えないのがこの世界であり、不慮の事故の可能性を下げることはアウトドーアスポーツの基本中の基本である。

早朝3時30分起床、4時30分に親方の家前で集合、40分四人同乗で親方の運転で出発、6時15分シュツッツガルト空港でスキー教師女性をピックアップ、ヒンデンランクの駐車場に到着、バスでオーバーストドルフへ移動、世界的に有名なスケートリンクの横のロープウェー片道で登山、そこから出発した。スキー場上部の新雪スキーの出来る斜面の横を登り、鞍部上のところから先へと進む。そして雪原を超えて向こうの谷への鞍部に登りつく。休止を挟んでニ時間半ほどだったろうか。

そしてシールを剥がして初滑降の準備である。自身の靴の調子は履き始めから気温が高かったのかとても良かった。期待が高まる。それでも最初の斜面では息が上がって仕舞った。滑りが悪い。それでも前回の総オープンとは違って三つ目のバックルを締めれるようになってきたので大分スキーがコントロール出来るようになっている。シールを付けたまま少し斜面を滑らせても安定している。荷物もこの程度ならば滑りには影響しないが太腿には堪える。

谷向こうの大きな斜面の頂上の岩山の下に今夜の寝床の小屋がある。先ずは降りる谷が覗き込めるようになるまで滑り降りた。降りてそして長い登りが待ち構えているのである。スキー場の荒れた上級者コースのような小さな滝があった。雪が悪いのかと思って落ちていったが重めだったが普通だった。そして親方を待っていると。躊躇しているようだった。そして意を決して降りると思うとこけて「糞ったれー」と、いつもの悪態をついた ― 大抵この使い方をする者は自分自身が「糞ったれー」であることに気が付いていない。何でもない歩くほどのスピードで膝を捻っているだけだったのだが、15㎏近い荷物で足を痛めている ― 技術が無いのに体力でどうにでもなると考えているのが話にならないのだ。そのようなことははじめから分かっている筈なのだ。それが予想出来ないのがこの手の人に多い。自分自身も「やらかさないことはない」のだが、流石に山に関しては経験が上回っているので大抵の状況は想定可能である。そして山登り関連では最もこの想像力が重要であることを習ってきたのである。だから通常以上に準備を怠らない。

厳しい山登りの経験があまりなく、そうした想像力が働かない者はかなり多い。所謂カミカゼ登山者と呼ばれる者で、それは独アルパイン協会のメソッドを網羅しても駆逐できない。それは全ての危険性が数限りないからで、経験値が高い登山者ならばそうした一つ一つの小さなエラーが致命的になることを知っていて、そのようにして初めて想定外の事象に備えることが可能になるのである。逆に言えば、そうした不慮の事象を如何に避けていくかのゲームもしくは確率論的な精査がアルピニズムの醍醐味なのだが、スポーツクライミングによる大衆化で嘗てのエリートによるそれが共有されていないのは致し方が無い ― 経験豊かな者がそうした手合いに厳しい眼差しを送るのはこれゆえであり、それらは自然淘汰される者と考えられても不思議ではない。一般社会を見ればわかるように、やはりそこまで想像力豊かな人々は広義の意味でエリート層でしかないということである。

結局親方はスキーを断念するどころか歩いて降りることもできない。下の林道の終わりに辿りつくまで、事故発生から救助隊のスノーボービルに収容されるまで二時間が経過していた。結局我々も10㎞ほどの谷を滑り、スキー靴で歩いて降りて来る。ヘッドライトで凍り付いた地面を照らしながら下の町に辿りついたのは19時過ぎだった。親方が収容されてから更に四時間以上経過していた。その後車までタクシー移動して、インネンシュターットの病院の緊急搬送棟に親方を迎えに行き、親方と夕食にする。ギリシャレストランでラムを食した。

スキー教師の友人のインターン女医の住んでいる看護婦寮に皆で泊めてもらう。本来の夕食であったスパゲティートマソースを食して雑魚寝する。薄着では寒かったが山小屋よりは暖かかっただろうということで、朝食も予定通りのものを各自が食する。予定外のシャワーを同行の弁護士は浴びたが、殆んど山小屋と同じような感じで二日目を迎えることになる。

親方は松葉杖で街に居残ってもらい我々は軽装で一日だけの代替の目的地を目指すことにした。朝食も充分の量が取れて、予定外に前日にラムと赤ワインまで楽しめたので、想定外の長い下りの疲れなどはあるものの体調を壊すことはなかった。



参照:
完走するための栄養分 2017-02-20 | アウトドーア・環境
メスナー爺さん世代 2017-02-19 | アウトドーア・環境
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完走するための栄養分

2017-02-20 | アウトドーア・環境
今回のスキーツアーは久しぶりに食事を持ち込む山登りである。前回は十代の時だったと思う。最後は単独で冬の壁に挑もうといた時だった。あの当時読んでいたボナティーの本などに壁の中での食事のことなども書いてあったと思うが、欧州ではどのような食料を持っていくのだろうかと思い描いていた。日本では当時はまだまだ朝からインスタントラーメンに餅を煮込んだ力ラーメンのようなものが一般的だった。

今回も軽く乾いたパンを探したのだが、メスナーが地元のパン屋で調達するようなものはなかった。色々と考えているうちに、パンにはバターやその他を塗らなければおいしくないので、あっさりとそれは断念した。色々と探して朝食に問題なく食せそうなのはワッフルで、それだけでは重くなるのでそれを補足する軽いものを購入してみた。もう一度数などを厳選してみたい。ソーセージは一対は焼き太ソーセージを干したものだから、それを食すると同じだけの栄養がある。朝食に少しでも齧れれば結構な力になるだろう。

行動食はいつものようにナッツ類とドライフルーツとジーフィーである。夕食は二食用意されていて、スパゲティーともう一夜は何になるのかは分からない。アルコール類が無いので出来るだけ清涼感を得るためにもいつも使っているハーブティーを行動時と共に小屋でも飲めるようにしておく。また朝食時にはリプトンのティーバックがあるので、四袋あれば濃い紅茶を楽しめるはずだ。スーパーで時間を掛けて探してレモンのエキスを購入したが、これも何かに移して重量を更に抑えたい。ポケットにはのど飴も持っていきたい。

その他では最小の衣服以外には、旅行用のサンクリームと歯磨き粉のミニュチュアーサイズを購入した。安くはないのだが重さには代えられない。歯磨きはどうしようかとも思ったが清涼感にも結び付くので持っていくことにした。タオル類も断念する。その代わりに濡れトイレットペーパーが全てを補ってくれると期待している。それだけである。

夕食の荷物分け前と飲み物二リットルがそれに加わるのである程度の重量にはなる。初日に夕食は半分になり朝食も半分になるので、二日目には少しでも身軽になるのを期待している。荷物を背負って登って、滑り降りて、最後まで完走出来るか?

実は最終日にはミュンヘンからのラディオ中継があると思っていたのだが、そのアカデミーコンサートは二日分を三月に改めて放送するようだ。今まではそのようなことはなくてただの生放送であったが編集の可能性を残すことになる。少なくとも良い方を選択できる。理由は分からないが、音楽監督キリル・ペトレンコがそれを望んだということには間違いない。演奏上で危ないところがあるというのだろうか、それとも何か永久保存の目的があるのだろうか?兎に角、生中継ではなくなったので、スキーツアー最終日に村に下りて早めのバスに無理して乗って駐車場まで戻ってこないでもよくなった。



参照:
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メスナー爺さん世代

2017-02-19 | アウトドーア・環境
先のスキーツアーでの我らがメスナー爺さんのことも書いておかなければなるまい。1947年生まれそうだから本物よりは三つ若い。影響を強く受けずにはおれない世代だろう。我々の世代の時には岩に関しては全て終わっていたので、ヒマラヤに行かない限り直接の影響は限られていて、精々ソロクライミングと七級概念がまだまだ通用している一方、既にヨセミテからの影響を受けていたので、直接的な影響は殆んどなかった。しかし親仁の場合はプファルツの岩登りなどでもああした孤高の試みというのを無視できなかった筈である。

だから今回若い室内から始めたクライマーとの議論は大きな世代間ギャップを明らかにした。若いお兄ちゃんは言う。プファルツの砂岩地帯の「一本目のハーケンが遠くて危険で仕方ない」と、少なくとも「室内から室外へと全く繋がりが無い」と苦情する。勿論親仁は、「登れない者はそれだけだ、終わり。」と切り捨てる。

これには事情があって、現在の地域を管理する組織は過去のパイオニア時代を尊重して必要最小限のハーケン等しか設置していない。その過去というのは何も開拓時代だけでなく、鉄の時代を通しても決してハーケン連打とはしなかった地域のフリークライミング志向があって、同じ砂岩のザクセンと共通している。つまりそうした支点の設置は砂岩においては自然を壊すものでしかないとなり、フランケンのユラそれとは大いに異なるのである ― だから言う「フランス風にハーケン連打されている国境を超えたエルザスに入って登れ、終わり。」。反面、メスナーの指す七級以上の核心部にはまた確保のスタンドにはハーケンが打ち込まれている。

しかしクライミングホールで始め世代にとっては最初の支点に至るまでが何もなくて簡単に試すということが出来ないようになっているので苦情しているのだ。また旧世代にとってはそれをどのように対処していくのかがノウハウであって、クライミング談議はそれで盛り上がるのは今でも変わらないのである。

メスナー爺さんの面白いのは、世界中の山を登っているようだが、自慢のようにしてビバークの話が加わることで、如何にメスナー世代のそれであるかというのがよく分かる。メスナー自体もスピードを上げるためにもソロ登攀となっていったのではあるが、当時の感覚としては時間切れ日没でビバークなどというのが結構話題になっていたのも事実である。自分自身も壁の中で何夜寒い夜を過ごしただろうと考えると、充分に重い荷物を背負ってゆっくりと登っていたことが思い出された。

新世代の人にその辺りの事情まで分かる筈がないと思うが、その若い世代も氷河を適当に渉って、その後に直ぐドイツからの登山者が同じ場所で氷河に落ちて遭難したという話をしていた。「偶々幸運だった」というのが皆の感想で、トレースを残して後の者が落ちたという責任もあったかもしれないというのはあり得ることなのだ。



参照:
小屋から出でて小屋に入る 2017-02-06 | アウトドーア・環境
久しぶりに疲れを感じた日 2013-06-14 | 生活
人類の将来の進展のために 2012-12-02 | アウトドーア・環境
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北壁登攀の準備?

2017-02-18 | アウトドーア・環境
沢沿いをもう一度走った。最近は20分以上走っていないので峠を攻めよううかどうか考えたのだが、夕方に出かけなければいけないこともあり、前日の散髪でもう一度シャムプーする気もなかったので、沢沿いでお茶を濁そうと思った。それも奥まで行くならば20分は超えるので週に何度も走りたくはないのだが、まだ樵作業で通行禁止になっているなら手短に終えられる。但し20分には満たない。走り出して、ペースを上げようかどうか考えていると、直ぐに向こうから歩いてくる広告屋の親仁に擦れ違って、「奥までいけるぞ」と声を掛けられた。それならば丁度良い走りになる。沢の対岸では伐採作業で倒木の音がしていたが、こちら側の斜面は作業は終わっていて、大分森がすいていた。往路は結構いいペースで走れたようなので、復路も頑張った心算だがお辞儀をしていて、25分掛かった。23分台で走れているかと思ったが予想以上に速度が落ちていた。パンツの影響もあるのだろう。やはり上り勾配となると足の上がり方が重要になるようだ。

スキーツアーのリーダーから石切り場へのお誘いがあったので出かけてきた。通常はこの時期にはいくら暖かいといっても北壁である石切り場で登るのはまたどこかを壊しそうなので怖いのだ。それでも親元に帰っていて暇そうなので付き合った。勿論ツアーの食料買い付けの情報を得る目的もあったので、昼過ぎに約束した。

思っていたように隣町から自転車でやってきた。前回のツアーの後でティロルでアイスクライミングと雪を見に前の週末にもアルゴイに出かけているので、我々とは全く条件も何もかも違う。それでも気温が摂氏二ケタとなっていても前日は放射冷却で森の中の水溜りが完全に氷結していたように冷たい思いをするのではないかと思った。「北壁でもやる準備か?」と聞いたのは当然である。陽射しは強くてもまだ二月である。

身体を壊さないように出来るだけ力を使わないで登ろうとしたが、苔むした感じで摩擦が効かないので手が滑りそうになって余計に力が入った。六級のルートに苦労しただけでなくて、それ以外のも全く簡単ではなかった。それでも七級マイナスに挑戦しようというのだから恐ろしい。流石に断念した。夏と比べれば条件が悪くてどのルートも一つ二つは完全に難しくなっている。誰も登りに来ないのは当然であろう。

身長が2メートルほどあって体重が100㎏を超えているので、最初のハーケンで直接の体重を受ける金具を購入して、既に室内壁に二回ほど試したということだった。バウワーというメーカーの商品で、実際に使ってみると一挙に体重が掛からないので確保者が飛ばされないので良い。勿論自身の安全のために購入したようだ。

靴もサイズ50なので33㎝である。するとドイツでも市場でも限られているので、中々安くは手に入らないようだ。決していいことばかりではないというが、やはりクライミングなどでは手が上に届いたり、足が突っ張れたりするのは有利だろう。

腕や手の力を否応なく使ったので、入浴して揉み解しておかないと酷い目にあうかもしれない。直ぐには肩には来ないと思うがストックを持つ手が震えたらどうしようかと思う。兎に角もう故障だけはしたくないのである。



参照:
雪道でツアースキー靴を試す 2017-02-10 | アウトドーア・環境
釣べ落としの秋の競争曲 2016-10-02 | 暦
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頂上へと一気登り降り

2017-02-17 | アウトドーア・環境
最終日は一番厳しかった。理由は小屋から林道を滑り降りて、駐車場で荷物をまとめて更に1000m以上を登り、降りてくるという行程であったからだ。それも二人が最初から断念して、残りの四人は二人が30歳以下で、もう一人が40歳そこそこなのでペースが早い。それに二人が下で待っていて、帰りの時刻があるので、途中でたった一回しか休まなかった。頂上でゆっくり腰を下ろせたのが幸いだった。

それでも頂上稜線に出るところの最後の登りも間隔を開けて登っていくのだが、前の者が登るのを見届けるのに足を止めても、自分の番になるとそのスピードで急いで登り終えると、足を止めても息が激しくなる。それが何度か繰り返されて稜線に出ると思わず息を付くしか法が無かった。頂上だと思っていたのに、まだ稜線を絡めて進んでから岩山に登らなければいけなかったのだ。

頂上を目指すスキーツアーこそが醍醐味だと思っているが、岩の下にスキーをデポして頂上に登るまでの20mほどの雪壁が厳しかった。標高は2550mほどしかない筈で、初日にその標高には既に達しているので高度順応している筈だった。それが慣れないスキー靴でそこを登るとなると息絶え絶えになってしまった。原因は分からないが、それなりに酸欠状態に近かったのかもしれない。ラッシュタクティクスの厳しさだろうか。壁の登攀の場合は確保するときに休んで、息を整えることが可能なのだが、所謂連続登攀の形になるととても厳しい。

頂上で写真を撮ったり行動食を片付けていると息は完全に正常に戻ったのだが、降りるとなると雪壁で足元が上手に定まらなかった。フラフラするようなことはなかったので稜線自体は問題なく歩けるのだが、スキー靴で雪壁を降りるのに少し苦労した。正直ピッケルが欲しかった。靴に慣れていないこともあるのだが、そのつもりで選択した靴であるから不甲斐なかった。雪壁を下りてからもう少し先の方へとシールを剥がしてからスキーを滑らせて降り口へと向かう。滑りはもう一つだったが、谷に近づくころには何とかなって来た反面 ― 初日は腰が引けていたけど大分よくなったと若い兄さんに言われても ―、足が大分疲れて来ていた。それでも駐車場を後にしてから二時間半ほどしか経っていなかったので、可成りのスピードで1000mを上下したことになる。道理でばてた筈だ。居残りの二人が、「だから行かなかったのだ」と嘯いていた。助手席に乗って帰るだけだった。帰宅は渋滞に巻き込まれても20時頃着で、スイスの山の頂上に登って降りてきたとは信じがたいほどの感覚も山スキーらしいスピード感である。



参照:
小屋から出でて小屋に入る 2017-02-06 | アウトドーア・環境
スイスの山小屋で露天風呂 2017-02-15 | アウトドーア・環境
山小屋での静かな休息 2017-02-03 | アウトドーア・環境
エネルギー切れの十四時間 2017-01-28 | アウトドーア・環境
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ヴァレンタインの朝の夢

2017-02-16 | 
ヴァレンタインの朝、夢を見た。どこかのパーティーに行って、フランクフルトかミュンヘンかは知らないが、キャリアー志向のビジネスウーマンと歓談している。結構大柄でビジネスの枠乍ら可成りパーティーに合わせたボディーを強調する服装である。

辞去して派手な女性なので様子を見ていると、奥の方に行って、年寄りの相談役のような会長職の人たちに挨拶し乍ら、こともあろうに爺さんたちのズボンのサイドを掴んで下に摺り下しているのである。爺さんたちは驚きながらもこの女性の笑顔と愛想に相好を崩しておろおろしているだけである。それを見ていてとても品が無いドイツ女性の行儀の悪い典型で、とにかく元気なキャリアー女性だとは思い乍らも、なぜかその屈託無さと笑顔に魅惑されていたのだった。

自分も彼女の後を追って奥の方の嵌め殺しの窓に近づいて、彼女とバーを囲む形になった。足を組んでいる向かい側に座ると更にコケットな表情をして魅惑するのである。これはもう抵抗出来ないなと、会場から連れ出そうとしたところで夢が覚めた。

その彼女の顔は初めて見る顔なのだが馴染み深いのである。しかし、なぜその顔になっているのかは正直分からなかった。身長も心当たりよりも明らかに大きくほぼ180㎝に近く、そのままモデルになりそうな肢体なのである。とても不思議に思った。どうも昨晩に食した豚の顔などの栄養が効いたようで、これで完全に健康体を感じれるようになった。兎に角、スキーツアーに間に合ってよかった。

予定通り、朝一番で床屋に行った。相変わらずヤリ手婆ばあ一人で、入り口に髪結い募集の張り紙がある。当分一人で回すようで、予約以外の床屋などはこうして朝一番で押しかけないと時間もないであろう。

耳が隠れているということで、少なくとも二ヵ月はそのままになっていた筈だというのだが、どれぐらい空いたかはピンと来なかった。調べてみるとマダムが言うように、11月の末にミュンヘンでの「マクベス夫人」に出かける前だった。流石にプロはよく分かっている。髪形を作ったりするのは娘よりも大分下手であるが、まあこれは仕方がない。それ以前とはそれほど悪くはなっていないからである。

「一月は寒かったし、あまり邪魔ににならなかったからね」と言っておいたが、実際にあれだけ寒いと髪だけでも暖かかった。しかしこうして春の日差しが感じられるようになれば、寒くても鬱陶しいだけとなる。なによりも今度の山スキーは無人山小屋で素泊まりの三日となるので、極力軽快感と清潔感を保っていたかったのである。



参照:
これもヤリ手婆の腕捌き 2016-11-24 | 女
オージーの天狗裁きの朝 2016-12-22 | 生活
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スイスの山小屋で露天風呂

2017-02-15 | アウトドーア・環境
前回のスキーツアー以降風邪をひいたので更に無精になっていた。三回目のランニングだった。前回同様に沢沿いの奥が樵作業で封鎖されているので短いコース取りしか出来なかった。しかし前回とは異なり奥まで走り抜く意欲もあった。そして戻ってきたら軽く汗を掻いていた。漸く普通の運動が出来るようになった。まだ少し気管支に軽い炎症のようなものは感じるが、前回よりも標高の低いスキーツアーで問題になるようなことはないだろう。但し今回は荷物を担いだままであるからそれだけでも苦しい。

その間、熱を出したが大変苦になっていた歯茎の腫れがあまり目立たなくなっていた。この冬の寒気はこの炎症にあると考えているがこのまま炎症が少なく成ってくれるとありがたい。目下健康上の懸案になっていることであるからだ。それでもスキーツアーでの間には一日中全く感じなかったことを考えても心理的なものもあるようだ。少なくとも一日中運動をしていれば血行が良くなっていることもあるに違いない。

この辺りでジャクジーの写真でもあげておこう。まさかスイスの山小屋で露天風呂に入れるとは思ってもみなかった。地質学の学徒と一緒に浸かりながら、日本の火山地帯の話をしていた。要するにプレートの境には山があって温泉が湧いていて、アフタースキーにつきものだということだ。自分自身は山ほどにはスキーにはのめり込んでいなかったので、日本の大スキー場は知らないのだが、こんなスイスのスキー場もない山奥で露天風呂とは考えてもみなかった。それも予約さえしておけば無料でお湯を沸かしてくれるのだ。

燃料はどうしているかというと、ただ薪で沸かすので二時間近く掛かるようで、あとはモーターでバブルにしているだけだ。自分自身はシャワーを浴びてから入ったことになるのだが、後でシャワー室をのそくとシャワーを浴びていて、汚い連中と同じ湯につかったかと思わず叫ばずにはいられなかった。サウナでも同じなのだが、ジャグジーとなると無精なことをしている。風呂の浸かり方から教えてやらなければいけない。日本の温泉のことを話すとサルの湯治の映像は皆が見ていて、なるほどと思った。

日本にスキーツアーしたという人のまた聞きでは森林地帯が多かったというので北海道で滑ったのではないかと説明していた。実際に日本アルプスのスキー場で森林限界以上のピステはどれぐらいあるのか知らないが、二月の西穂高のスキー場を歩いて降りた印象では充分に森林限界の上だった記憶がある。



参照:
山小屋での静かな休息 2017-02-03 | アウトドーア・環境
小屋から出でて小屋に入る 2017-02-06 | アウトドーア・環境
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バイロイト音楽祭ネット予約

2017-02-14 | 雑感
バイロイト音楽祭のネット予約を試みた。興味本位の試みであるが、流石に狙っていた初日のチケットは無く、それどころか新演出の「マイスタージンガー」は六回とも売り切れていた。すると興味あるのは格安ティケットであるが、一番安いのは150ユーロの「トリスタン」の一回目があった。これが「パルシファル」なら購入していたが、カタリーナ演出と初代音楽監督の公演では高価過ぎる。「パルシファル」の方も200ユーロを超えていたので駄目だった。それを購入するぐらいなら先に安いのを発注しておけば買えたかもしれない。一番人気は新演出、二番人気は二年目の「パルシファル」、三番人気は「トリスタン」で、2013年以来の「指輪」はなかなか完売しそうにない。

「トリスタン」や「指輪」などはそれどころか王のロージェの最前列を何枚も購入出来て、スポンサーなどの招待にもキープしてあるのだろう。受ける人がいないとなると幾らでも空いているようだ。価格も280ユーロぐらいなので東京で引っ越し公演の席よりも安いのだろう。だからバルコンの最前列の150ユーロは出し物さえ良ければお買い得だと思った。

それでも三時間ほど経つうちに「ヴァルキューレ」ばら売りも含めて、四部作「指輪」を除いては売れて行ったので、転売目的の購入もあるのかもしれない。毎年のように出かける人は新しい演出から購入していくので、また一年目はそうした枠があるので中々券が入手しにくいのは変わらないであろう。昔から三年目ぐらいに録画取りなどもあって、演出も音楽も整ってくるので質が高いと言われたがそうした伝統も壊されてしまったので、益々売券が難しくなってくるかもしれない。

ネットを探していたら、2015年バイロイトの「ヴァルキューレ」の比較的質の良い録音がYOUTUBEに出ていた。昨年亡くなったヨハン・ボータを偲ぶメディアとして出ていて、都合16分も聞ける。この年は当初録画が計画されていたのである程度残るものとして準備されていて、今一つ上手くいっていなかった「ヴァルキューレ」では特に成功していた。2014年にも「死なねばいけないのか」とジークムントが宣告される景は充分に効果を挙げていたが、恐らく死の病におかれていた歌手の歌は更に打たれるものかもしれない。

バイロイトの合唱団員として見込まれてトップソリストまでにのぼりつめた歌手であったが、2014年にも完全にぼてが入っていて年齢の割には動きも悪く不健康な感じがしたのも事実で、体ほどの声の威力は感じなかった。寧ろここの場面の切実な歌が深く記憶に残っている。


4. Szene Akt2


(Brünnhilde, ihr Roß am Zaume geleitend, tritt aus der Höhle und schreitet langsam und feierlich nach vorne. Sie hält an und betrachtet Siegmund von fern. Sie schreitet wieder langsam vor. Sie hält in größerer Nähe an. Sie trägt Schild und Speer in der einen Hand, lehnt sich mit der andern an den Hals des Rosses und betrachtet so mit ernster Miene Siegmund) 

Schicksals-M. 
Todesklage-M. 
Walhall-M. 

Brünnhilde:
Siegmund! Sieh auf mich!
Ich bin’s, der bald du folgst.

Siegmund:
(richtet den Blick zu ihr auf) 
Wer bist du, sag’,

Todesklage-M. 

die so schön und ernst mir erscheint?

Brünnhilde:

Nur Todgeweihten taugt mein Anblick;

Schicksals-M. 

wer mich erschaut, der scheidet vom Lebenslicht.
Auf der Walstatt allein erschein’ ich Edlen:

Walhall-M. 

wer mich gewahrt, zur Wal kor ich ihn mir!

Siegmund:
(blickt ihr lange forschend und fest in das Auge, senkt dann sinnend das Haupt und wendet sich endlich mit feierlichem Ernste wieder zu ihr.)

Schicksals-M. 

Der dir nun folgt, wohin führst du den Helden?

Todesklage-M. 

Brünnhilde:
Zu Walvater, der dich gewählt,

Walhall-M. 

führ’ ich dich: nach Walhall folgst du mir.

Siegmund:
In Walhalls Saal Walvater find’ ich allein?

Todesklage-M. 

Brünnhilde:
Gefallner Helden hehre Schar

Walhall-M. 

umfängt dich hold mit hoch-heiligem Gruß.

Walküren-M. 

Siegmund:
Fänd’ ich in Walhall Wälse, den eignen Vater?

Todesklage-M. 

Brünnhilde:
Den Vater findet der Wälsung dort.

Walhall-M. 

Siegmund:
Grüßt mich in Walhall froh eine Frau?

Todesklage-M. 

Brünnhilde:
Wunschmädchen walten dort hehr:

Freia-M. 
Walküren-M. 

Wotans Tochter reicht dir traulich den Trank!

Walhall-M. 

Siegmund:
Hehr bist du,
und heilig gewahr’ ich das Wotanskind:
doch eines sag’ mir, du Ew’ge!
Begleitet den Bruder die bräutliche Schwester?

Todesklage-M. 

Umfängt Siegmund Sieglinde dort?

Brünnhilde:
Erdenluft muß sie noch atmen:
Sieglinde sieht Siegmund dort nicht!

Siegmund:
(neigt sich sanft über Sieglinde, küßt sie leise auf die Stirn und wendet sich ruhig wieder zu Brünnhilde.)

Liebes-M. 

So grüße mir Walhall, grüße mir Wotan,

Walhall-M. 

grüße mir Wälse und alle Helden,
grüß’ auch die holden Wunschesmädchen: –

Freia-M. 

(sehr bestimmt) 
zu ihnen folg’ ich dir nicht.

Schicksals-M. 

Brünnhilde:
Du sahest der Walküre sehrenden Blick:

Todesklage-M. 

mit ihr mußt du nun ziehn!

Schicksals-M. 

Siegmund:
Wo Sieglinde lebt in Lust und Leid,
da will Siegmund auch säumen:
noch machte dein Blick nicht mich erbleichen:
vom Bleiben zwingt er mich nie.

Schicksals-M. 

Brünnhilde:
Solang du lebst, zwäng’ dich wohl nichts:
doch zwingt dich Toren der Tod:

Todesklage-M. 

ihn dir zu künden kam ich her.

Siegmund:
Wo wäre der Held, dem heut’ ich fiel?

Brünnhilde:
Hunding fällt dich im Streit.

Schicksals-M. 

Siegmund:
Mit Stärkrem drohe,
als Hundings Streichen!
Lauerst du hier lüstern auf Wal,
jenen kiese zum Fang:
ich denk ihn zu fällen im Kampf!

Schicksals-M. 

Brünnhilde:
(den Kopf schüttelnd) 
Dir, Wälsung – höre mich wohl:
dir ward das Los gekiest.

Siegmund:
Kennst du dies Schwert?
Der mir es schuf, beschied mir Sieg:

Schwert-M. 

deinem Drohen trotz’ ich mit ihm!

Brünnhilde:
(mit stark erhobener Stimme) 
Der dir es schuf, beschied dir jetzt Tod:
seine Tugend nimmt er dem Schwert!

Siegmund:
(heftig) 
Schweig, und schrecke die Schlummernde nicht!
(Er beugt sich mit hervorbrechendem Schmerze zärtlich über Sieglinde.) 

Geschwisterliebe-M. 

Weh! Weh! Süßestes Weib!
Du traurigste aller Getreuen!
Gegen dich wütet in Waffen die Welt:
und ich, dem du einzig vertraut,
für den du ihr einzig getrotzt,
mit meinem Schutz nicht soll ich dich schirmen,
die Kühne verraten im Kampf?
Ha, Schande ihm, der das Schwert mir schuf,
beschied er mir Schimpf für Sieg!
Muß ich denn fallen, nicht fahr’ ich nach Walhall:
Hella halte mich fest!

(Er neigt sich tief zu Sieglinde) 

Brünnhilde:
(erschüttert) 

So wenig achtest du ewige Wonne?

Schicksals-M. 

(zögernd und zurückhaltend) 

Alles wär’ dir das arme Weib,
das müd’ und harmvoll matt von dem Schoße dir hängt?
Nichts sonst hieltest du hehr?

Siegmund:
(bitter zu ihr aufblickend) 

So jung und schön erschimmerst du mir:

Todesklage-M. 

doch wie kalt und hart erkennt dich mein Herz!
Kannst du nur höhnen, so hebe dich fort,
du arge, fühllose Maid!
Doch mußt du dich weiden an meinem Weh’,

Todesklage-M. 

mein Leiden letze dich denn;
meine Not labe dein neidvolles Herz:
nur von Walhalls spröden Wonnen
sprich du wahrlich mir nicht!

Brünnhilde:
Ich sehe die Not, die das Herz dir zernagt,

Todesklage-M. 

ich fühle des Helden heiligen Harm –
Siegmund, befiehl mir dein Weib:
mein Schutz umfange sie fest!

Siegmund:
Kein andrer als ich soll die Reine lebend berühren:
verfiel ich dem Tod, die Betäubte töt’ ich zuvor!

Brünnhilde:
(in wachsender Ergriffenheit) 
Wälsung! Rasender! Hör’ meinen Rat:
befiehl mir dein Weib um des Pfandes willen,

Liebes-M. 
Entsagungs-M. 

das wonnig von dir es empfing!

Siegmund:
(sein Schwert ziehend) 

Dies Schwert, das dem Treuen ein Trugvoller schuf;
dies Schwert, das feig vor dem Feind mich verrät:
frommt es nicht gegen den Feind,
so fromm’ es denn wider den Freund! –

(Er zückt das Schwert auf Sieglinde) 

Schwert-M. 

Zwei Leben lachen dir hier:
nimm sie, Notung, neidischer Stahl!
Nimm sie mit einem Streich!

Brünnhilde:
(im heftigsten Sturme des Mitgefühls) 
Halt’ ein Wälsung! Höre mein Wort!
Sieglinde lebe – und Siegmund lebe mit ihr!
Beschlossen ist’s; das Schlachtlos wend’ ich:
dir, Siegmund, schaff’ ich Segen und Sieg!
(Man hört aus dem fernen Hintergrunde Hornrufe erschallen) 
Hörst du den Ruf? Nun rüste dich, Held!
Traue dem Schwert und schwing’ es getrost:
treu hält dir die Wehr,
wie die Walküre treu dich schützt!
Leb’ wohl, Siegmund, seligster Held!
Auf der Walstatt seh’ ich dich wieder!

(Sie stürmt fort und verschwindet mit dem Rosse rechts in einer Seitenschlucht. Siegmund blickt ihr freudig und erhoben nach. Die Bühne hat sich allmählich verfinstert; schwere Gewitterwolken senken sich auf den Hintergrund herab und hüllen die Gebirgswände, die Schlucht und das erhöhte Bergjoch nach und nach gänzlich ein) 

Geschwisterliebe-M. 



参照:
創作の時をなぞる面白み 2015-08-11 | 音
若い仲間たちへのエレジー 2015-08-09 | 雑感
意味ある大喝采の意味 2014-08-06 | 文化一般
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苦み走るようでなければ

2017-02-13 | ワイン
旅行に出かける前にリースリングを飲み干した。早くから開いていたファン・フォルクセム醸造所の2015年アルテレーベンである。残りが少なくなってパイロットワインとしての機能を果たすかどうか怪しくなってきたが、一本ごとに変化があるので楽しく、参考になる。酸はしっかりしているが、ミネラルは全開になってきて、若干粉っぽいのだが、スレート特有のおかしな味筋ではなく、底に固まっているような焦点の定まらないミネラルである。地所もアルテンベルクなどに近いことから赤スレート系の暈けたミネラルで、辛口にはどうかとも思わせるが、それはそれで開いてくると楽しいだろうと思わせる。それを感じさせるだけ充分に糖を落として醸造するようになってきているということで、モーゼル流域でも上質の辛口として恥ずかしくないものである。

そして苦みを感じさせるそれがまた深みを与える。苦み走ったとかいう言葉もあるが、これは比較的女性的な味筋であるので全開になって果実風味とのバランスが楽しみとなるということである。日本などでは甘いリースリングが云々とか批判されたモーゼル流域のリースリングであるが、酸とバランスをとるその残糖以上に重要なのがこの苦み成分であるミネラル風味である。このミネラル風味が綺麗に表出されない限り高級ワインとしての体を成さない。

食文化の味の中で「旨味」だけは日本の専売で世界語になっているが、嘗ては日本でも味の極意として苦みが愛されていたと思うのだが、ファストフードや人工甘味料などの味覚の汚染でアメリカ風の苦みなどの無い味が好まれるようになっているのかもしれない。そうなると苦みの極意などというものも分からなくなってくるのだろう。土井勝先生の「甘みは旨味」はあらゆる意味で誤りであったというのが結論となっている。

再び音楽に戻って、作曲家リヒャルト・シュトラウスの自作自演の「アルペン交響曲」を久しぶりに聞いてみた。ここに「苦み」はないのだが、ミュンヘンの宮廷座付き管弦楽団の音が良い。その楽器を駆使して楽譜に書き込んだ音符を忠実に弾かせているのでそのもの作曲の意図がよく分かる。そして指揮者としても一流で、朴訥としたテムポ運び乍ら揺ぎ無いテムポ運びとなっている。それにしても戦前のドイツの管弦楽はこうした響きだったのかと思わせ、現監督ペトレンコもこうした響きを可能な限り取り戻して後に伝えていくことにも留意しているのだろう。弦楽の合奏だけでなくて、木管も金管もツボにはまった音色を再現するための努力をしているのはオペラ公演でも聞き取られて、それなりの尽力をしているのが分かるからである。

そのように推測していくと、ベルリンのフィルハーモニカ―もクラウディオ・アバドの時代に音響の機能性をものにしたが、サイモン・ラトルの指揮でもまだまだ音響面でつるつるてんてんな面も残っていて ― ランランなどと共演しているようではどうしてもそうなる ―、今後はピエール・ブーレーズが示したような弦の強靭なサウンドの特徴にもう一つ今日的な深い音色などが試されるのだろうか。少なくとも楽譜の読み方が20世紀後半のようなフォン・カラヤンを代表するような流線型やまたは一筆書きの落書きのような読み方からは変わってきているので、管弦楽団の音響としても文化芸術的な成果を期待したくなるところである。北アメリカや極東などにもあるような音響だけでは欧州文化としては成立しない。そのためにも新しいサウンドを含んだ同時代の作曲家の作曲を遅れずに演奏していくことが重要なのである。



参照:
2015年アルテレーベンの出来 2016-09-17 | ワイン
苦みの余韻の芸術 2017-02-11 | 音 
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旅行負担の総決算

2017-02-12 | 雑感
買物に出かけると方々で同じような咳が聞こえる。パン屋の奥さんも居なかったので寝込んでいるのだろうか。これほど目立つ流感はここワイン街道では記憶にない。救いは陽が長くなって来ている春の兆しだろうか。ミュンヘンよりはこちらの方が本格的なようだ。体調はまだまだ完璧ではなく寒気がすることが多い。それでも鼻水はもうこれ以上でないと言うほどかんだ。肌が渇いてくるほどに出したつもりだ。

旅行から帰ってきて止めていたバスルームの暖房をそのままにしておいた。すると階下が冷え冷えとした。広い空間の端の方で、薄く暖房をつけておくだけで室内温度が大分異なるようだ。暖房フィンが温まるかどうかという程度なので倹約は充分であるが、バスルームのヒートショックを避けるためだけでなく、ドアを開けておくとこれだけ温度が違うとなると、無理して消しておく必要もないと改めて思った。充分に倹約しているので、それぐらいの暖房は無駄ではないだろう。難しいのは暖かくなってきた時に消してしまう好機を逃すことである。

今回の旅行ではミュンヘンのナイトライフも楽しみにしていた。それぐらいの体調にはなっていたのだが、先ず劇場で食したサーモンなどのカナペーが良くなかった。ダルマイールのケータリングものだから安心していたが、空き腹に直ぐに反応した。胃袋からガスが膨張しだした。下痢となるまでには時間があったが、ガスの溜まり方が尋常ではなく、風船を抱えているようになっていた。カプチーノとエスプレッソを幕間に飲んだ。それでも引けてから向かい側のバーに出かけて、牛グリルのサラダなどを食してビールを二杯飲んだ。価格は深夜営業なので高価で決してお得ではないが、劇場の駐車場から便利で、落ち着くのでそれはそれで許容範囲だ。

腹具合は落ち着いたが、更にガスが溜まったようだった。宿に戻って午前二時まで眠れなかったのは当然である。出すものを出したら楽になり、翌朝からは問題はなかった。空き腹に慣れないものには要注意である。

今回の旅行経費は距離が伸びた分、燃料も約40l増しとなった。但しミュンヘン市内の格安エッソスタンドで満タンにしたので58ユーロで済んだ。リッター13.09は当日の格安で、郊外では13.90だったので、スタンドの親仁が「いい給油をしたね」と言ったのはその通りだった。ホテルの価格は決してお得ではなかったが、お湯を使い放題使ってシャムプーまでした。朝食抜きにして、サーヴィスエリアで水を買い、靴屋の隣のパン屋で朝食のパンを購入したので安くついた。結局その日は帰路のアルゴイのサーヴィスエリアでコーヒーとアッペルシュテューデルを食しただけだった。但しエリアでのオーストリアのアウトバーン通行税ヴィニェッテはカードで買うと1ユーロ増しで10ユーロ越だった。

旅程が定まらなかったので、劇場のティケットは二種類購入して一枚を放棄した。立見席なので二枚で25ユーロだったが、席は決して悪くはなく、指揮台から第二プルトが見える位で、下手な二列目よりも視界も良く、音響も死角になる高弦を除くと悪くはなかった。舞台も必要ならば伸び上がれば切れているところも大分見えた。今まで購入した立見席の中でも前回の真ん中で音響抜群の「マクベス夫人」の時よりも視界は良かったかもしれない。また2014年の「影の無い女」の時と同じで第三幕では最前席の座席に潜り込んだ。こうなるとこれ以上音響の良い席は可成り高価な席である。


写真:ドイツ最高峰ツークシュピッツェ



参照:
苦みの余韻の芸術 2017-02-11 | 音
雪道でツアースキー靴を試す 2017-02-10 | アウトドーア・環境
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苦みの余韻の芸術

2017-02-11 | 
リヒャルト・シュトラウス作曲「ばらの騎士」観劇は思いがけない価値があった。今まで実演のオペラとしてザルツブルクとバーデンバーデンで、其々ヴィ-ンのアンサムブルとベルリンのフィルハーモニカ―公演で体験しており、その他もサイレント映画などでも観ている。しかし、初演当時にドレスデンへの臨時列車を運行するほどの人気に匹敵する芸術的な価値にまでは思いが至らなかった。恐らく時代の雰囲気とか環境にその齟齬感の起因を無意識に求めるしかなかった。

当夜の公演も女声三人の二人が変わっており、マルシャリンは代役が、朝起きたら声が出なくなったゾフィー役は陰で代役に歌って貰うという舞台であったが、そのオットー・シェンクの演出に初めて感動した。何度も映像で見ている筈だが、細部の演劇指導も異なるのか素晴らしい場面が幾つかあった。帰宅後調べてみると1974年に東京でもクライバーの指揮で上演されていて、柴田南雄は案の定批判していて、その前にミュンヘンで体験したクライバー指揮の古い演出の方がよかったと書いている。東京では濃厚でやり過ぎの演出だとなるが、古い方の演出では管弦楽はあの酔っ払いの指揮だった筈だ。

ペトレンコ指揮では第一幕冒頭のテムポも早く、木管のパッセージも音を充分に制御できずにホルンの吹き上がりのエクスタシー以前に、既に音が弾けてしまっていた。なるほど幕が開いて二人はベットで戯れているのだが、「マクベス夫人」の真っ只中とは異なって余韻のようなものである。柴田の語るものとの相違が既にここにあり、ホルンの吹き上がりは暗示程度に抑えられている。その後の展開もテムポの変化にメリハリがつけられていて、早いパッセージは早く、遅いところはとても快適なテムポとなるころにやっと落ち着いて来る。座付き管弦楽団への要求としてはとても高く、来年までに何とかなるぐらいの目標であろう。そこでベルリンの楽団の演奏と比較するのも間違っており、またマゼール指揮のヴィ-ンのそれではとても上手に解決していたように記憶する。この点に関してはペトレンコ指揮は容赦が無く、ヴァークナーの演奏でも回数を重ねないと音が飛び跳ねるような危険があるのだ。

それにしてもオックス男爵の場面においても、「神々の黄昏」のギービッフンゲン家のパロディーを示唆したり、「アリアドネ」に繋がる当時の作曲家の書法がとても上手に出ていると感じさせるのは正しいテムポが室内楽的な書法を綺麗に響かしているからに違いない。要するに厚塗りすればするほど訳が分からなくなる音楽と声楽の絡みがとても上手に再現されていたことには違いないのである。

マルシャリンとオクタビアンの幕終わりの場面は殊の外素晴らしかった。「真夜中に目が覚めて」のところで、チェレスタの時報に続いてトロムボーンがピアノで変ロ調の中抜け和音が印象的に響いた ― 気になったのでクライバーのそれを比べるとpが音量として解釈されているようでしっかり響いていなかったのに対して、ベームの録音では正しいpが発声されていた。そこからリタルタンドを挟んでの展開まで、全くキッチュさとは無縁で、その点ではベームのそれと双璧だが、声との絡みではリズムが柔軟なだけに遥かにスムーズであり、硬軟の転換が鮮やかでとても音楽的だった。再度ベームのドレスデンでの録音を比較すると、マルシャリンが全くもってヨーデルを歌い、その前にオックス役のクルト・ベーメが全くヴィーン訛りで歌っていることと合わせて、指揮者がプロデューサーと共に意識してオーストリア風を表現している。

第二幕においては銀の薔薇を携えてのオクタビアンの登場が少女漫画的な情景となるのであるが、ここがキッチュな情景とならないためには正しいテムポ運びが肝心であるということだろう。そしてそこから続くゾフィーと薔薇の使者との場面が銀細工のようなとても細やかな多感な音楽であることを初めて気が付かされた。正しく高品質な音楽芸術なのだ。

そして薔薇の使者がオックス男爵に剣を抜く場面となるのであるが、その後のヴィーナーヴァルツァーの場面におけるパロディーが見事だった。オックス男爵の歌がここまでハーブに響いたことがあるだろうか?カール・ベーム指揮の録音でもそこまでは至っていないので、我々は作曲家本人のそれを想像するしかないのである。管弦楽の書法の響かせ方にしてもペトレンコ指揮に最も近いのはシュトラウス自作自演指揮ではないかと思う。その技巧化され、外されたヴィーナーヴァルツァーの綾が苦みを含んだ響きへと変わっていくところの妙、これが今まで充分に聞き取れなかった。管弦楽の書法の綾である。リズムの精査でもある。まさにサイモン・ラトルが語った「気が狂うほどの和声の精緻さ」となる。

第三幕は、前半の男爵が起こすスキャンダルと後半の三重唱へ連なる場面との対照となるが、前半での和声の進行に当時の作曲事情にも思いを馳せ、後半は当然ながらこの作品における今までの書法の決算となる。歌われるということに関してもその管弦楽と相まって明白になるところである。要するに正しく歌い、それが演奏されることによって作曲家が目指した楽劇の姿が示される。その演奏実践が精緻であれば精緻なほど正しくその真意が伝わることになる ― なるほど幕前の休憩時に常連らしき三人のおばさんたちが話していたが。「ペトレンコにテクストのそれまでは求められない」と一人が語ったのでこちらも少し反応したようだ。つまり、作曲家が目指した言葉が聞き取れる歌唱ということになる。逆にそれならば、テロップ無しでそれが出来たのはいつ頃のどのようなアンサムブルかとなる。指揮者では一番近いところではベームやカイルベルト指揮となるのかもしれないが、少なくともそれでも戦前とは全く違うだろう。今回の代役のマルシャリンは北ドイツで活躍して日本の二国劇場でも歌っているミシャエラ・カウネという人であったが ― ポートレートの写真は見た覚えがあり、バッハか何かを歌っていたのか? ―、リハーサルを充分できていなかったにしても、ハンディーを差し引きすれば十二分の出来だった。あれだけ明瞭ならば問題が無いばかりか、演技指導もしっかりと身に着けていて特に第一幕では感動させた。ゾフィーが口パクの幕切れとなったので、マルシャリンの歌でほぼ終結を迎える ― 「最後の四つの歌」の声と管弦楽が織りなすアンサムブルを思い浮かべればよい。そしてそれに続くデュオにてこれまた当然ながら第一幕における低声部の「夢の気配」が伏線となっていて、ここでは「まるで夢のよう」へとそのリズムが変容されている。

ここでヨーデルの寂寥感、ヴィーナーヴァルツァーからコラールへのセマンティックな展開を考慮すると、カール・ベーム博士の見識は正しいとなる ― そもそもホフマンスタールとシュトラウスの往復文書を読むまでもなくパロディーの主点をどこに置くかである。その一方、今回のような所謂含み味の苦みは感じられない。それは木管を中心とした音色と和声の精査が充分ではなかったということになるのであろうか ― ベーム指揮の扱きまくった即物的な弦の響きだけではやや片手落ちになっていたということでもある。マルシャリンの苦みに劣らず、男爵のそれにも苦々しさが溢れていた。こうした音楽芸術は、日本で繰り返し繰り返し披露したクライバー指揮「ばらの騎士」には全く欠けていたものであり、カラヤン時代には忘れ去られていたもので、インターナショナルな市場では甘く、口当たりのいいものしか受けなかったということでもあろう。正しくミネラル風味を感じさせない口当たりの良いワインと同じ市場であったのだろう。



参照:
伯林の薔薇への期待の相違 2015-03-29 | 音
ペトレンコ教授のナクソス島 2015-10-22 | 音
九月の四つの最後の響き 2016-09-23 | 音
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