二日目は、中山道、江戸から数えて46番目の大井宿から巡りました。上の写真は、広重の大井宿の版画を見本にして、記念館の作成コーナーで作ったもの。中山道広重美術館での体験講座です。素人でもできるよううまく設定されています。5色刷り。浮世絵の多くは、名古屋の三菱東京UFJ銀行貨幣資料館でも見ましたが、今回の展示は、これまで見たことがない、京都、大阪のものもありました。
恵那駅に近い、中山道ひしや資料館は、2億円以上をかけて復元。元は倍以上の敷地で、蔵も8棟あったそうです。写真は玄関の扉をあげてありますが、かつてはくぐり戸も使用されていました。
中津川の熊谷守一記念館に15年ぶりに覗くと、新装となり、場所も移転。内部は撮影禁止のためパンフレットと庭の写真だけ。東京都豊島区にある旧宅跡の熊谷守一記念館にも20年前に行きましたが、それに似た感じですが、15年前の物とは少し違います。聞けば、東京の記念館館長は、次女の熊谷榧さんが今も務められているようです。
15年前は熊谷守一記念館の近くに前田青邨記念館もありましたが、今は休館中。大作が一点盗難に遭い、閉鎖されています。海外にも流出した心配もあり、惜しまれます。
最下段は、中津川の中山道歴史資料館の展示案内。展示を見ていると、折よく説明員の方がおられ、色々を聞くことが出来ました。かなり碩学の人で、藤村の夜明け前は数回読んでおられます。私の旧知のエッセイストは、夜明け前の有名なプロローグの部分の出典を見つけたと、自慢されていたのですが、ここではとっくの昔にそのことは解明されていて、誰でも知っていることだと言われてしまいました。でもそのエッセイストは、もう故人。どうしようもありません。
東濃の報告はここまでで、明日から鎌倉、箱根の記事となります。
中山道広重美術館
美術館中庭
中山道ひしや資料館の上げられたくぐり戸
753の格子の欄間
1棟残った蔵
大井宿本陣は焼失し、門と塀だけ残り、そこにこの説明板があります
熊谷守一記念館のパンフレットと記念館庭
恵那駅に近い、中山道ひしや資料館は、2億円以上をかけて復元。元は倍以上の敷地で、蔵も8棟あったそうです。写真は玄関の扉をあげてありますが、かつてはくぐり戸も使用されていました。
中津川の熊谷守一記念館に15年ぶりに覗くと、新装となり、場所も移転。内部は撮影禁止のためパンフレットと庭の写真だけ。東京都豊島区にある旧宅跡の熊谷守一記念館にも20年前に行きましたが、それに似た感じですが、15年前の物とは少し違います。聞けば、東京の記念館館長は、次女の熊谷榧さんが今も務められているようです。
15年前は熊谷守一記念館の近くに前田青邨記念館もありましたが、今は休館中。大作が一点盗難に遭い、閉鎖されています。海外にも流出した心配もあり、惜しまれます。
最下段は、中津川の中山道歴史資料館の展示案内。展示を見ていると、折よく説明員の方がおられ、色々を聞くことが出来ました。かなり碩学の人で、藤村の夜明け前は数回読んでおられます。私の旧知のエッセイストは、夜明け前の有名なプロローグの部分の出典を見つけたと、自慢されていたのですが、ここではとっくの昔にそのことは解明されていて、誰でも知っていることだと言われてしまいました。でもそのエッセイストは、もう故人。どうしようもありません。
東濃の報告はここまでで、明日から鎌倉、箱根の記事となります。
中山道広重美術館
美術館中庭
中山道ひしや資料館の上げられたくぐり戸
753の格子の欄間
1棟残った蔵
大井宿本陣は焼失し、門と塀だけ残り、そこにこの説明板があります
熊谷守一記念館のパンフレットと記念館庭
馬篭は何度も行きましたが
チャンスがないのです。
大井宿は焼失して塀と門しか
ありませんし、その家には人が住んでいて
門も内側からは見るのは難しいです。
犬が吠えますし・・・
広重は、江戸や京、浪花もたくさん
描いています。私もこれまで知りません
でした。
東海道の宿場町は、よく知られているのですが、中山道は馬篭や妻籠、奈良井などの有名なところしか分かりません。
ご紹介の大井宿も知りませんでした。
安藤広重は東海道だけでなく、中山道も描いていたのですね。
ありがとうございます。
岐阜によい思い出がおありのようで
嬉しく存じます。
帰国されたら再訪下さい。
初代市長でした。
地方に住まわれていたのですが、
当時はエリートでした。
ここで平田篤胤の名が出るとは
思ってもいませんでした。
期待以上収穫のある旅でした。
そうです。和宮様が通られました。
でもお籠でしたから・・・
街道を踏破するのは、相当覚悟が
いると思います。
何日にも分けて歩かねばならないと
思いますし、中山道は山道も多くて
楽ではないでしょうね。
出かけたいと思っています。
平田篤胤もこの地に関係していたのですね。
中山道と言いますと長野県までしかルートが浮かびませんが、岐阜県内のルートを地図で見ました。初めてです。中津川や大井宿があるのですね。山深いような感じですが、こんな道を皇女和宮さまが通られたのでした。
知人が東海道を歩き、次は中山道を歩き始めたと言っていましたが挫折したようです。
今度は箱根ですか
楽しみにしています