つきみそう

平成元年に出版した処女歌集の名

放送大学短歌教室 3

2016-07-22 | 短歌

 昨日は、3年ぶりに放送大学短歌教室講師を頼まれました。3年前の5/17以来ですから、メンバーも次回とは異なります。前回までは、多くの歌が寄せられたのですが、今回は二人。添削の時間もそれほどいらないので、ほとんど万葉集の講話。岐阜の万葉遺跡も前回まであまり詳しく話していなかったので、可児市久々利について話しました。岐阜県の万葉遺跡は、久々利、神の御坂、養老町多芸、不破の関の4ヵ所あります。

 久々利(くくり)は、泳とも書き、万葉集は、八十一隣と書かれています。これは九九からきていてクイズのようです。ここから銅鐸が出土したのですが、江戸時代隣の尾張の権力(御三家) が強かったため、美濃つまり弱い岐阜から召し上げました。ついでに言うと多くの重要文化財の文物は、当初岐阜県羽島市の大須にありましたが、名古屋の蓬左文庫に召し上げられ保存されています。水害の恐れがあるという理由で・・・水害がひどいのも、木曽川の岐阜県側の堤防を愛知側より1m低くせよという御触れを出したためなのに・・・ひどい尾張藩です。

 美濃の久々利は、景行天皇も行幸されています。小碓命、つまり倭建命の父親・景行天皇が行幸されたという記録が日本書紀にあります。そのころは愛知より格式の高いところでした。江戸時代から逆転しました。

 万葉講話が岐阜の愚痴も入ってしまいました。でも歴史的事実は話す必要があります。写真は、7/20に撮影。満月です。

 

 

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