湘南オンラインフレネ日誌

フリースクール湘南オンラインフレネ学習的就労支援活動・災害ボランティアの実践を書き溜めていきます。

横浜の某大店舗のCSR担当者と、日赤神奈川支社に面会を求め

2009-01-14 09:39:29 | 引きこもり
放置傘の相談の件で、横浜の某大店舗デパートの庶務課と、日赤神奈川支社を訪ねた。運動を「作る」段階の相談である。すでに提案する企画が出来上がっていて、それをプレゼンするのではないことが欠点として、初めからわかっていた。主催は「わーく」編集部(旧湘南子どもフォーラム懇談会)。呼びかけている相手が「さぽちが」の「地域就労支援PJ」である。

未だに解けていない難問があった。それは路上生活者支援ということならば、放置自転車リサイクルの事業たちあげの一部分として、自転車メインテナンスや、再生自転車販売があり、そこに路上生活者支援を組み込んでいくアイデアがあり、それは大きな事業企画提案を前提としているから、主催は「わーく」編集部では役不足だった。放置傘はその着火剤的な役割を担うものであり、先の計画なしでは、路上生活者支援としては、必要性はあれど単発の支援企画としては発展性に乏しいものだったからだ。活動は誰からか、この指とまれ形式に立ち上げる必要がある。しかし路上生活者の場合は、事情を抱えているから路上にいるのであり、単に社会が排除したからそこにいるわけではないという特殊性がある。だから自主組織を作って展開という形が非常にとりにくい。となると支援者の中で提案し、彼らの中に「連絡会」のような緩い連携組織を生み出す方向で「抱え込まなくてはならない」ことになる。路上の課題は金銭問題や暴力団が絡んでおり、支援者が敬遠するという堂々巡りの難があった。

だから大店舗の方は、放置傘提供の話、日赤神奈川支社の方は、某高校のJRCの先生を捕まえることを含む、若手協力者探しの形で飛び込んだのだった。関西では身体障がい関連の組織と育成会関係がJRの放置傘を販売していたし、千葉では障がい者の親御さんの集団が持ち寄りで、いずれもフリマに単発販売の形で利益を捻出していた。JR関係では依頼が行政からなら検討という高いハードル設定があったので、大店舗に打診をかける意味で、湘南東部に関連を持たない企業で、断られることを承知で試行したという、愚かしい無謀なことだったのだった。

ところがお客様係経由で担当課長が、提案を直接聴いてくださった。課長さんはBig Issue をご存知だった。ただ放置傘販売は盗品販売のリスクがあり、その提供者となると問題が大きいという応答が有り、ということは逆に全く脈なしではないという意外な結果に終わった。路上生活脱出の展望をどうたてているのか、盗品の件(古物商資格の件・品質保証団体(ブランド)の協力実現)ということは対応済みのことだった。再度提案を聴くことは可能という応答の、意外な収穫を得て終わった。

また日赤の方は、協力者呼びかけには政治がからんでいた。私は学生時代過激派。このことを嫌う人たちがいるので、協力者の輪、広場を拡げて直接私と手を組まなくてもつながりやすくする、そんな意味合いがあった。放置傘提供による販売活動協力は、自分の学校の傘を提供するという具体的なプレゼントを持つこと、バトンが見えるつながりやすい活動になると思う。交流の場が設定できれば、世の中の歪みが見える。生徒さんたちの負の面を知る社会体験になると思っている。支援者にとってみれば、単純にはいかないが、若い力と接点を持つことになる。

社会復帰の契機、次の企画への着火剤という、本来次の企画が準備されている形があって、初めて見通しのつく課題であるから、単発では、「雨期の収入危機への仕事援助」という対症療法的な活動になる限界を持っていた。

予想外に大店舗の話が長引き、日赤に着いたのは17時半を過ぎていた。それでも話を聞いてくださった。初めから「活動立ち上げへの協力要請」ということと、地元連携への若い力の参画、「傘の仕入れ元」の実現ということだった。「盗品」の件については、保証要請を打診している地元や団体があると答えた。まずは、湘南東部、とくに茅ヶ崎から活動を立ち上げたいと述べ、協力者紹介をお願いした。これについては、課で紹介を検討することと、地元関連の方とのつながり試行について、県も知っているという状況を作ることは出来た。これは今後の連絡待ちで、一応の目的は達成して帰ってきた。

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問題はそれからだった。桟橋から出る道が渋滞していたのだ。私は相鉄線で大和経由で相模大野に出る必要があった。研修15分遅刻。じんわりと叱られつつ、研修中あくびをかみ殺した。古株の爺ぃでなかったら、すぐに首と胴体が離れる状態である。幸い私の担当した子の親御さんから感謝の挨拶が飛び込んでいた。親元への転居だった。運がよかったのだ。

とりあえず、急場を凌いだのだが、運は明日まで動かしてはくれそうになかった。15日の午前中会議の件だ。タクシーを使った父のホームへの運び込みを覚悟しなくてはならないことになったと、気を引き締めて帰宅した。実はこの件、今朝、つい先ほど経営者の都合で会議は午後13時と変更連絡が入った。ダメと思っていたことだから、運がなんとかつながったことを喜びたい。しかし綱渡りである。

今日は平常どおり、デイサービスに父を送り出した。父は妙に物分りがいい。こういうときは、危険でもある。明日から2泊3日が同じ場所で始まる。この連続外出と外泊を了解するか、今夜がまた合戦なのである。

昨夜は、転居する町田さんと話をした。傾聴というわけではないが、彼女は次に踏み出した。幸い先方には知り合いの教員がいる。最悪のときに行けとつないでおいた。懐の大きな奴なので、きっと気に入ってくれると思う。

夜間傾聴:##君(仮名)
     町田さん(仮名・傾聴にあらず)

(校正2回目済み)
コメント
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