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18歳からの民主主義

世の中を語るとき、世の中は語らず、自分が世の中を語り、そして自分が始まる

みんな世の中の多くの決まりをすでに受け入れているけれどすでに決まっていることとは他人が決めたことであって自分が決めたことではない。

少なくとも疑いもせずに受け入れるということは、してはいけないと、ぼくは思う。

しかし、あまりに多くのことが自分で決めたことではないので、わからなくなってしまっている。

それがどんな決まりか、自分のものにするには確かめないといけない。

ところが、すでにそこにあるからこそ、その存在さえも見えないものが多い。

見えていないものに疑問を持つことは、実は難しい。

例えばぽくは信号機に、いつも心の中でひっそりケンカを売る。ぼくなりに、この世界の決まりに納得するためだ。

お前の判断はオートマチックにやってるだけだろう?

「それで人さまに渡るな、渡れって命令できるなんて恥ずかしくないのか。ぼくたちは自分で判断するぞ。おまえの言いなりにはならん。ま、参考程度にはしてやるよ」

そこからぼくがようやく、その世界の主体になる。今ではそこから毎日、自分が始まる。

主体が自分であるかどうかが問題だったのだ。

おかしなことに世の中は、その主体である自分を置き去りにして語られていることが多い。

だから「国」や「世の中」を主体として語らず、自分というちっぽけな個人が主体となることは尊い。

フランスの哲学者、モーリス・メルロ=ポンティは、「私」だけがあるのでも「モノ」だけがあるのでもない。「私」と「モノ」が出会う接触面にだけ、世界は成立するのだ、と考えたのだそうだ。

確かにピタリと触れているその時だけ、本当にそこに世界が存在する実感がある。

では、ぼくたちは世界のどこにいるのだろうか。

この現代という実感を失いがちな世界で考えなくてはならない。

また、ぼくたちは自分のどこまでを世界と考えているのだろうか。

せっかく地球は丸いとか青いとか、客観的なことをたくさん知っているのに、自分自身の中にその世界はどんなリアリティを持って存在しているか?と聞かれたら、自分の世界なんてとても狭いことに気がつく。

選挙はある意味「私」が社会の何かに触れて、ふだん触れることのない自分の世界が成立できる仕組みだ。

選挙に行かない理由で一番多いのが、選べない、選びたい人がいない、とする声。

それを言い訳に自分たちの未来をあきらめるのは間違ってる。

それにモーリス・メルロ=ポンティによれば、それではそもそも自分の世界が成立しない。

選べない(触れられない)時は怒らなくてはならないのだ。

法律や政治でしか関与することのできない自分の世界が失われたわけだから。

つまり選挙は選ぶのではなく、自分の世界を作ること。

選ぶだけなんて受け身で終わってはいけない。

自分が主体になるんだ。

他人になんて任せたら、それこそ自分の世界は失われる。

こんな世界に触りたいんじゃないと怒り、どうしてもっと別の世界の可能性がないんだと地を踏み鳴らす。

自分から始まる世界は、そこに感触も感覚も意味もどんな文脈で語られているかを自分に問う。

自問自答する時間を長く持てば持つほど、自分の中の民主主義が完成されていく。自分の意思が生まれ、そこに世界ができあがるのだ。

大事なことは選択を与えられているのではなく、自分が選択を生むということ。

次の世の中を生み出すと決めたんだ、とそんな大それたように聞こえることも間違っちゃいない。

自分がこの世界に含まれているかどうかを不安に思わなくていい。

自分が主体にさえなれば、自分はすでにそこにいるから。

逆に国や世の中や会社の肩書きでしか生きていられないなら自分は簡単に死んでしまうかもしれない。

みんな世間の期待には応える自信はないが、自分らしく生きる自信はあるんだ。

それが力となる。

自分にとって大切だと感じたことを選ぶ時点で、自分らしくあろうと前に進んでいる。

いつだって立派そうに見える肩書きから始まるんじゃない。

そんな個人という小さくて強い自分から始まる。

例えば世界のどこかで戦争が起きたときや、例えば知らないうちに自分が遠くの誰かを犠牲にしてしまっていたと知ったとき、ぼくたちはそれらのことを自分のこととしてどれだけ深く捉えることができるのか問われている。

それらの人を助けたいと想う気持ちが涌き起こってきたら、あなたは手のひらを精一杯広げてその気持ちを掴もうとしているんだ。

そのとき、あなたという世界は広がり続け、あなたはたった1人でこの世界のどこにだって立てる。

誰に認められなくてもそんなあなたの精一杯を、あなたの友や家族は知っているはず。

だからもう一歩踏み出せる。

そして、それを自分の手のひらに本当の意味で掴むときに少し未来が変っていくんじやないかな。

1人1人にその力がある。

世の中の理不尽や不条理に立ち向かう力も。

利己的で見えにくい、暴力的なすでにある世界を見抜く力も。

それが未来をあきらめないことだと思う
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ソンムは知っていたけど、ブルシーロフは知らなかった

『ウィトゲンシュタイン『秘密の日記』』より ブルシーロフ攻勢の激闘

第一次世界大戦の陸戦の悲惨さ

 タンストールは「ブルシーロフ攻勢は、二重帝国軍にとって最悪の惨敗であり、協商国にとって最良の勝利であった」と述べている。しかしながら、ロシア軍と二重帝国軍の両軍あわせて、一〇〇万~一五〇万人もの死傷者を出した。わずか三か月余りの戦闘で、それも原子爆弾や水素爆弾のような大量殺戮兵器がまだ登場していない陸戦で、これほどの死傷者がでるとは、ブルシーロフ攻勢はどれだけ凄惨な戦闘であったことか……。これは想像の域を超える戦闘である。

 第一次大戦は後世にいろいろと教訓を残した。陸戦とりわけ塹壕戦が過酷で(主として西部戦線)、一九一六年七月のソンムの戦いに参加した著名なリデルハートも、その時の辛い経験を踏まえて、後に「間接アプローチ戦略」を提唱し、二〇世紀を代表する戦略思想家になった。また、第一次大戦の経験者のなかで、航空機に関心をもっていた人、特にイタリア軍のドゥーエは、第一次大戦後に『制空』という本を書いた。その中で、彼は、今後の戦争は「エア・パワー」が主役になり航空機だけで「戦争」をすることができるようになる、と予想した。そしてさらに、彼は、航空機による爆撃はその恐ろしさゆえに敵国民の戦意を粉砕してすぐに戦争の決着がつくので、結果として死傷者は少なくなり戦争は「人道的」になる、と考えた。

 一九二〇年代には、同じように考えた軍人がほかにもいる。例えばイギリスのトレンチャード、アメリカのミッチェルなどである。彼らはみな、泥まみれで血みどろの過酷な戦場を経験し、彼らの「こんなのはもうこりごりだ」という強い思いが「空軍」に対する妙に楽観的な考えに結びついた、ともいわれている。すなわち、空軍に対する楽観論を生み出すほどに、第一次大戦の陸戦は悲惨であったということだ。それから一〇〇年たった現在でも、依然として陸戦が行なわれているし、ロボット兵の研究が進んでいるが、当分、人間の歩兵がなくなる気配はない。

攻勢の第一次大戦全体に及ぼした影響は、以下のようなものであった。

 (1) 攻勢初期に生じたオーストリア軍の甚大な損失が戦線の崩壊に繋がることを危惧したドイツ軍は、西部戦線から兵力を抽出することとなり、結果的に、ヴェルダンのフランス軍を助けた。

 (2) オーストリア軍の敗退に刺激されたルーマニアが中立を捨て、連合国側にたって参戦した。(ただし、同盟国側の反撃により、わずか四か月で首都ブカレストを攻め落とされるという大敗を喫し、連合国側にとってはいらぬ負担が増えただけであった。)

 (3) オーストリア軍は、緒戦のガリツィアでの敗北いらいどうにか戦線を保持していたものの、この敗戦により、もはや主体的な行動は不可能となり、ドイツ軍の補完的立場に転落した。

 (4) ロシア軍も多大な人員を失ったことにより、国内で煉っていた戦争に対する不満が皇帝二コライ二世への怒りに変わり、さらには、ロマノフ王朝そのものを否定する声がわきあがったことで、革命へとつながった。

攻勢前夜

 一九一六年六月四日からの約三〇時間の砲撃が、ロシア側からオーストリア側に始まるわけだが、それ以前に、陣地戦が五月いっぱい続いていた。けれども、五月末になると、ロシアの攻勢が迫っていることが明らかになった。大量の弾薬と多数の兵隊がロシア南西正面軍のほぼ全戦区に運ばれていたのである。そのころ、ウィトゲンシュタインは次のように書いている。

  今日は、銃火の中で眠る。恐らく死ぬのだろう。神が僕とともにいますように! 永遠に。アーメン。僕は弱い人間だ。しかし、神が僕を今に至るまで保ってきた。神が永遠に讃えられますように。アーメン。僕は、自分の魂を主に委ねる。(『日記』一九一六年五月一六日)

 その後、五月二七日に、ウィトゲンシュタインは「今日か明日、ロシアの攻撃があるだろう」と予想している。こうした状況に、彼は神経過敏になったのだが、彼に限らず、「当時の二重帝国軍兵士は皆そうであった」といわれている。

 翌二八日に、ウィトゲンシュタインは次のように書いている。

  ここ何週間かは、睡眠が安らかでない。常に任務の夢を見る。これらの夢がいつも僕を目覚める寸前まで追いやる。この二か月の間で、たった三回しか自慰しなかった。(『日記』 一九一六年五月二八日)

 実際にブルシーロフ攻勢が始まったのは六月四日であり、それはロシアの南西戦線全体にわたって展開された。主戦場は北方のルーツクと、ウィトゲンシュタインが駐屯していたドニエストル川のすぐ北のオクナ地域であった。

 この戦区には相当数のドイツ軍が加わっており、同盟軍部隊は強固な備えをした陣地内にいた。そこで、ブルシーロフは、これらの陣地を砲撃し、どこでもよいから前線突破が敢行されればそこから侵攻する、という作戦を立てたのである。これは予想された作戦であり、それに対する同盟軍の防御作戦は、次のようなものであった。歩兵をタコツボにかくまって、敵の一斉弾幕射撃から護り、敵の突撃が決行されるやいなや、歩兵は無傷のまま飛び出して、へとへとになった突撃兵に襲いかかる。この間、応戦する防御側の砲火は敵の弾幕射撃の威力を減殺する、と予測したのである。

 ブルシーロフが正しく予知したのは、白分たち攻撃側の弾幕射撃は防御側の監視をさまたげ、防御作戦を支えている通信連絡を分断するということである。さらに、混乱のため、「戦場の霧」のため、防御側の歩兵がタイミングよくタコツボから飛び出すのは至難の業となった。くわえて、どの地点で主要攻撃がくり広げられるかは、防御側にはわからないため、それを迎撃し牽制する前線部隊の後ろに、しっかりした増援部隊がつくことはできなかった。

 二重帝国軍部隊の質に問題があったというより、彼らが戦線維持にこだわりすぎる作戦に従っていたためにブルシーロフは勝利を得るに至った、というほうが正確であろう。彼はもちろん二重帝国軍が多言語集団であることにも助けられたし、同盟国の将軍たちの指揮のまずさにも助けられた。それでも、ロシア軍も、最終的には、一〇〇万人もの損害を出してしまったのである。
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ウィトゲンシュタイ『論理哲学論考』における哲学的諸問題の「撃滅」

『ウィトゲンシュタイン『秘密の日記』』より 『論理哲学論考』と「撃滅戦」 『論理哲学論考』の二本の柱--「写像の理論」と「真理関数の理論」

従軍中に『論理哲学論考』を書き続けたウィトゲンシュタインは、哲学的な諸問題を「終極的に」「決定的に」解決してしまおうと狙っていた。つまり、哲学的な諸問題に対して「撃滅戦」を仕掛けようとしていたのである。これはなかなかうまくいかなかったが、結果的に、「写像」概念を「奇襲」的に導入して、諸難問を「突破」し、哲学的諸問題を完全に「撃滅」した、ということになるだろう。そして、それが『論考』として結実したのだ。

その撃滅の仕方は、哲学の諸問題を「解決する」というものではない。それらは、言語や「言語の論理」に対する誤解・無理解から生じた疑似問題であり無意味な問題だから、本質的に「解く」ことはできないのである。このことを洞察し、哲学的諸問題を「消去する」「解消する」「捨て去る」ことが、『論考』における撃滅戦の眼目なのだ。クラウゼヴィッツの『戦争論』の言葉をもじっていうと、「哲学的問題の撃滅、すなわち、それらの無力化〔=解消〕が〔哲学の〕常にまた唯一の手段である」ということになる。また、『論考』の終わりから三つめの文章には、次のように書かれている。

 哲学の正しい方法とは、本来、次のごときものであろう。語られうるもの以外は何も語らぬこと。……哲学とは何の関わりももたぬものしか語らぬこと。--そして、他の人が形而上学的な事柄を語ろうとするたびごとに、君は自分の命題の中であるまったく意味をもたない記号を使っていると、指摘してやること。……これこそが唯一の厳正な方法であると思われる。(六・五三)

その後一〇年くらいたって、ウィトゲンシュタインは先の「写像」概念の導入を反省するようになる。すなわち、写像概念は論理学的要請に過ぎなかったことや、言語の有意味性を実在世界との対応関係によって保証できないことに気がついたのである。

この事実はさておき、『論考』の「序文」の言葉は、執筆当時において、哲学上の諸問題に対する「撃滅戦」が成功したことを高らかに述べている、と解釈することができよう。先に引用したように『論考』の「序文」には、次のように書かれていたのであった。以上の著者たちの解釈を踏まえて再度読み直していただきたい。

 ここで述べられている思想の真理性は、犯しえず、決定的に思われる。それゆえ、私は、さまざまな問題をその本質において終極的に解決したつもりである。

以上、ウィトゲンシュタイン自身の言葉を引用しながら、また、著者たちの想像によって、彼の哲学的思索と軍事的な事柄との関わりの一端を示した。読者にはあまりにも飛躍した議論に思われるかもしれないが、『論考』の「序文」には、哲学的諸問題に対する撃滅戦の成功の響きが聞こえないだろうか。
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ブラックバイト 利用される「責任感」と「やりがい」

『ブラックバイト』より 雇う側の論理、働く側の意識

受け手の側の学生は、なぜそれを受容するのか。その要因は大きく分けて四つである。

第一に、すでに紹介した「責任感」だ。「責任感」は学生の内面から自発的にわき上がってくるものであると同時に、これが巧みに管理者によって活用されている。

ただし、そうした「責任感」は「生活」に本来制約されているのであり、必然的に作動するものではない。その背後にあるのは、第二以下の要因だ。

第二に、企業の高度に発達した生産システム(流通・サービスの提供過程)が、学生の意識をからめとっている。その中で、彼らは「歯車」のように職場に順応する。

第三に、すでにみたフランチャイズ形式の職場システムや、学生自身に「達成感」を与える労務管理が、彼らが「歯車」になることを円滑に誘導する。私はこれを「想像の職場共同体」と名付けている。

そして第四に、日本社会のマクロな権力構造がブラックバイトを苛烈にさせる土壌となっている。それは、「人的資本万能主義」ともいうべき社会規範である。

さらに第五に、もっとも深刻な要因は、学生の「貧困化」である。学費の高騰と親世帯の収入の減少が、学生に長時間就労せざるをない状況をつくり出している。

「責任感」

 学生は第一に、具体的な職場の「責任感」から辞めることができない。その責任感は、すでにみた職場側の事情にそのまま対応している。

 そもそも彼らが適切に出勤しないことには、職場の仕事は回らない。だから、彼らは簡単には辞めることができない。これは単純だが、強力な原理だ。つまり、学生は、契約関係や給与などといったドライな関係とは別に、①「仕事への責任感」を抱く。もちろん、この種の「責任感」は、ブラックバイトに限らずとも、およそあらゆる職場にある。

 だが、今日のブラックバイトの職場では、企業は最大限人員を削ることで利益を出そうとしている。人員がぎりぎりの職場で、いつも限界だからこそ、そして同僚や正社員がすでに苦しい状況に置かれているからこそ、この「責任感」は通常とは異なるレベルで作用する。「その学生」が働かなければ実際の業務遂行が不可能だという状況で、「急な呼び出し」や「シフトの強制」が行われれば、学生もその必要性に応えようと必死に順応するのである。

 また、仕事への責任感は、その「質」をも問われることによって、より強度を増す。販売や飲食業での接客対応や、個別指導塾で子どもの進路指導に責任を負うことは、彼らにさらなる責任感を発揮させるだろう。これは、②「仕事の「質」への責任感」である。これについても、今日のサービスの質がアルバイト依存であるために、学生はより強く、自分の仕事に自負を持つことになるのだ。

 さらに、学生の仕事への責任感は、個人としての責任の範躊を越える。彼らの責任は、ある種の③「管理責任」にも及ぶ。「バイトリーダー」は学生アルバイト全体が、常に職場に充当されるように調整する責任を負う。この場合、自分自身がシフトに入るだけではなく、他の学生が確実にシフトに入れるように、勤務時間外も連絡業務に追われる。同時に、先輩のアルバイトは、他の学生に仕事を教える責任をも負う。このような管理責任を負うことで、より職場全体、仕事全体への責任感は増していく。この場合にも、職場の運営に実際に必要であるために「自分がやらなければならない」という感情がうちからわき上がることは、想像に難くない。

 そして、アルバイトの責任は④「結果責任」の次元にまで達する。売り上げの責任を果たすことができなければ、衆目の前で叱責される場合もあれば、罰金などのペナルティが科されることもある。企業の業績の責任を、学生アルバイトが、そのまま受け止めなければならない。学生は、ある種の「経営への参加者」としての意識を持たされていることになる。ただ、この次元の責任感は、それまでの「仕事への責任感」とは明らかに異質な内容である。仕事を適切に遂行したとしても、必ずしも「企業の業績」を担保できるのかは、わからないからだ。もし「企業の業績」が達成困難な水準に設定されれば、アルバイトでありながら、彼らの「責任」は青天井になってしまうだろう。

 「仕事への責任感」、その延長線上で発生する仕事の質への責任や管理責任に対し、結果への責任感は、「仕事」ではなく「企業」に対する責任感なのである。

「達成感」

 さらに、経営者は学生が積極的に「想像の職場共同体」にのめり込むように戦略的に「やりがい」や「達成感」を与えるように労務管理を敷いている。

 たとえば、集団指導塾・個別指導塾を経営する、塾業界大手の栄光ゼミナールには、「エクセレントグランプリ」という、講師の授業や接客の質を競い合う大会がある。講師のアルバイトたちは大会に参加させられ、無給で授業などを披露する。グランプリを受賞すると、海外旅行をプレゼントされる。大会当日は、千数百名の予選を勝ち抜いた二〇〇名が出場するのだが、その他の講師たちも参加させられる。参加は義務ではないというが、講師の多くが参加している。

 大会で披露する授業の予習や、塾で行う練習の時間も当然無給である。無給でも授業を競い合いたいという講師も確かに存在しており、通常の授業が終わった後に、夜遅くまで一人教室で練習しているという。

 すでに紹介したケースでも、従業員の創意工夫、モチベーションや責任感を向上させるための工夫をしている。同社は、特に優れた接客を行うスタッフを「ファンタジスタ」として認定し、表彰を全社的に行っているという。

 コンビニの発注を工夫し、店の売り上げを上げることに大きな「やりがい」を感じるアルバイトもいる。与えられたシステムの中で、自分がその末端の店舗をうまく運用することで利益を上げ、大きな達成感を得ることができる。個々の店舗は一つの共同体をなしており、外食にせよ小売りにせよ、その業務は学生にも理解できる。その一連の業務を工夫して運営し、成果を達成することは、大きな喜びであるはずだ。

 だが、そうした「工夫」はシステム全体や、そのスピードを変化させるものではない。自分たちの目の前にあるいくつかの業務の組み合わせや順番、入力する数値を変更し、あるいは客に笑顔を見せるといった工夫は、「面白み」や「達成感」を与える一方で、その「結果」が新たな基準となることで、かえって労働を過酷にしてしまうだろう。実際に、製造業のベルトコンペアー方式の下でも、労働者自身が作業の順番を少し変えたりすることで、効率を上げてきたのだが、その結果、’労働がよりきつくなることもしばしばだった……。このように、システムの下で学生にある程度の「裁量」が与えられることで、彼らは「想像の職場共同体」にますますのめり込み、ベルトコンベアーに組み込まれていく。

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