goo

OCR化した11冊

013.1『図書館員をめざす人へ』

 公共図書館

 いろいろな人が集まっていたほうがいい

 結構怒られてしまって

 県立大学への異動

 秋田県立図書館の課題解決支援サービス

 自分の勤務先にいてそこでだけ、だともう生き残れない

 そこに司書という人間がいて

281.04『理系に学ぶ。』

 数学者と物理学者は「数式」で会話をする?

 「暗黒エネルギー」って何ですか?

 数式でも愛の告白はできる?

 言葉で表現できないことを、数学で表現する?

 宇宙には10次元まである?

 世紀の大発見をするのはどんなタイプの人ですか?

 宇宙の未来はどうなりますか?

335.13『「好き嫌い」と才能』

 キットカットとネスカフェアンバサダーでの成功

 すべての失敗は実験である

 営業もマーケティング

 横串よりも縦串を

 「今年のヒット商品」が嫌い

 セグメントを作ったのがネスプレッソの強み

 「インスタントコーヒー」が嫌い

 ひらめきのソースは「夢」

297.8『北極大異変』

 北極の王はもういない.

 ホッキョクグマの激減

 クマを守れ!

 共存の取り組み

332『アジア的ということ』

 「アジア的」ということ

 「西欧的」ということ

 「アジア的」ということ

  マルクスにおける「アジア的」

  「内側」と「外側」

  日本のイメージ

015『図書館長活用術』

 「発想力」編

  「発想力」

  まずは分類法則を語呂合わせ暗記」 ▽発想のヒントになる本を思いどおりに探せる

  課題感覚を研ぎ澄ます「テーマ棚」 ▽棚の前に立つだけで、頭が勝手に動き出す

  潜在意識からアイデアを引き出す「棚見せOPAC往復法」 ▽自分にあった〝解〟が次々見つかる

  行き詰まったときの「ぶらぶらブラウジング」 ▽マンネリ化した発想を切り替えられる

  ありきたり感を壊す「ビジュアル本」 ▽脳の可動域を広げ、視点を変える。アプローチを切り替える

  考えをガラッと変える「館変え発想法」 ▽気分転換と発想転換で仕切り直す

  単純なようで案外、使える技です。成果に〝イーハンつける〟「ちょい寄り」 ▽潜在意識に強制的にアクセスする

 「教養力」編

  「教養力」

  知識をアップデートし続ける「NDC自担」 ▽習慣化することで、特定ジャンルをライフワーク的に追える

  多ジャンルを多読できる「お手玉式貸出」 ▽無理なく継続的に勉強できる

  自宅の本棚を鍛える「借り本買い」 ▽人生に栄養を与える座右の本が増える

  行きつけの館に「いつものやつ」 ▽図書館を居酒屋のように使い、難しい本を気軽に読破

  意外な本と巡り合う「新着ショールーミンダ」 ▽「読みたい本がない」がなくなり、いい本と出会える

  探索!「一生もののレファレンスブック」 ▽生涯学べる一冊と出会える

  世界を広げる「おとなの児童コーナー活用術 ▽純粋で自由なものの見方をとりもどす

  自分の幅を広げる「図書館系イベント利用術」 ▽ビジネス以外の新鮮な知見に触れる

311.7『18歳からの民主主義』

377.9『ブラックバイト』

 雇う側の論理、働く側の意識

 1 業界の事情

  商業・サービス業の非正規雇用化

  労働の単純化・定式化・マニュアル化

  製造業との比較

  「業態の変化」とサービス業の「質の確保」

  居酒屋

  コンビニ
  塾業界

 2 ブラック企業とブラックバイド

  ブラック企業の社員とプラックバイトの競合関係

  コンビニの正社員の実像

  外食チェーン店の正社員

  アルバイトと正社員はどちらも「使い捨て」

 3 利用される「責任感」と「やりがい」

  仕事への責任感

  ベルトコンベアーのような労働

  「想像の職場共同体」

  「達成感」

  経営との一体感

  疑似経営者目線

  「やりがいの搾取」を大きく発展させた

 4 希薄な法規範と権利意識

  就職の意識

  「人的資本万能主義」と権利意識の希薄さ

 5 学生の貧困と奨学金

  生活費・学費のためのアルバイト

  家計状況の悪化と学費の増大

  就職活動の資金のためのアルバイト

  「前借金」と化す奨学金

  奨学金の返済困難と厳しい取り立て

  経済的事情を背景として、支配する

134.97『ウィトゲンシュタイン『秘密の日記』』

 『論理哲学論考』と「撃滅戦」

  『論理哲学論考』について

  『論理哲学論考』の執筆時期

  ウィトゲンシュタインの従軍と『論理哲学論考』

  遂行されるべき職務は一つ

  『論理哲学論考』の二本の柱--「写像の理論」と「真理関数の理論」

  『論理哲学論考』における哲学的諸問題の「撃滅」

 ブルシーロフ攻勢の激闘・・・

  第一次世界大戦の陸戦の悲惨さ

  「ブルシーロフ攻勢」とは何か

  ブルシーロフ攻勢の詳細

  攻勢前夜

  ウィトゲンシュタインの活躍

  その後のウィトゲンシュタイン

  『論理哲学論考』の基本的枠組みの確立

  ブルシーロフ攻勢の終結

617.9『オリーブの歴史』

 オリーブの起源

 野生のオリーブ

 栽培のはじまり

 クレタ島

 エジプト

 『オデュッセイア』に登場するオリーブ

 パレスチナ

 ギリシア神話とオリーブ

 イタリア半島へ

 ローマ人がオリーブを広める
 オリーブ栽培の衰退

 オリーブの再発見とキリスト教

 貿易品としてのオリーブ

 冷害

319.1『希望の日米同盟』

 ロシアの影響圏的発想と北極・極東地域

 強まるロシアの影響圏的発想

 ロシアの影響圏に進出するNATOと中国

 新たな影響圏としての北極・極東地域

 ロシアの影響圏的発想と日本
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

ロシア 新たな影響圏としての北極・極東地域

『希望の日米同盟』より ロシアの影響圏的発想と北極・極東地域

近年、ロシアは北極地域を戦略的に重視する姿勢を強めており、北極関連の公的文書を整備するとともに、軍事プレゼンスの強化を図っている。こうした動きも、これまで述べてきた影響圏的発想と無関係ではない。

地理的にみると、北緯六六度三三分以北の北極圏に占めるロシアの領土および人口は、北極海沿岸諸国の中で最大である。ロシアの北極地域は、ロシアのGDPの一一パーセソト、輸出総額のニニパーセントを占めており、ロシアの経済活動に一定の役割を果たしている。北極海底には金、銀、鉄、亜鉛、スズ、二ッケル、ダイヤモンドなどの鉱物資源をはじめ、石油・天然ガスにおいては世界の未確認埋蔵量の約四分の一が手付かずの状態にあると指摘されており、ロシアが保有する天然資源の多くがロシアの北極地域に集中している。北極におけるこうした資源が戦略的な重要性を持つとともに、ロシアの経済成長や経済構造の近代化にとって主要な役割を果たしている。

二〇一四年十二月、ロシアのドンスコイ天然資源環境相は、ロシアが二〇一五年三月二十五日までに、北極海における二一〇万平方キロメートルの海域を自国の大陸棚として国連大陸棚限界委員会(CLCS)に申請することを明らかにした。同氏によると、五九四の油田、一五九のガス田、二つの大きなニッケル鉱床、三五〇の金鉱床がロシアの北極圏内で発見されており、これらはロシアにおける化石燃料の約六割に匹敵するという。

ロシアが北極を戦略的に重視し始めているもう一つの理由は、地球温暖化に伴う永久海氷の縮小により北極海航路が誕生していることである。北極海航路に関しては、毎年十一月から四月までの半年間は海氷で覆われ、航行可能期間が夏場に限定されているが、北極海の海氷範囲が急速に縮小しているため、年間の航行可能期間が拡大し、将来的には通年航行が可能になると見られている。これにより、欧州と東アジアを結ぶ航路の距離がスエズ運河経由の三分の二に短縮され、海賊問題なども存在しないことから、将来的に世界の物流が大きく変わる「海運革命」が生じるとの指摘もある。

ロシアが考える「洋上影響圏」とは、ロシアが表現するところの「北極・極東地域」を指す。プーチン大統領の各種演説や各種国家文書においても、北極圏と極東地域を並立して表現することが多くなっている。これは、ロシアが戦略的に重視する北極地域と、極東地域が北極海航路によって結ばれ、ロシアが両地域を戦略的に一体化された二つのシアター(戦域)と見なし始めていることを意味する。例えば、プーチン大統領は、大統領就任式当日の二〇一二年五月七日に公布した「軍および国防産業の近代化に関する大統領令」の中で北極と極東地域の海軍の増強を指示している。また、二〇一三年十二月二十日にプーチン大統領は、連邦保安庁(FSB)に対して北極、極東地域における国境警備の強化も指示している。

ロシアは北極地域における国益擁護の観点から、同地域において軍事的プレゼンスを高める動きを示している。北極海の融氷は、軍事・安全保障の観点からもロシアにとって大きな問題である。冷戦時代、北極は米ソが直接向き合う戦略正面であるにもかかわらず、軍事展開が不能な地域として軍事作戦上の対象地域とはならず、核ミサイルの発射・飛翔ルートでしかなかった。北極航路が誕生すれば、海軍艦艇の活動範囲が広がり、陸上への軍事展開が可能な海域が誕生するため、ロシアのみならず北極海沿岸国にとっては新たな戦略正面が浮上することとなる。そこで、ロシアにとっては、西部(欧州)、南部(コーカサス、中央アジア)、東部(極東)に加えて、北部(北極)という第四の戦略正面が誕生することとなる。

二〇一三年二月二十日、プーチソ大統領の指示に基づき、ロシア政府は「二〇二〇年までの口シア連邦北極圏の発展と国家安全保障に関する戦略」と題する文書を公表した。この中で、北極圏における軍事脅威に対する防衛態勢の確立が指摘されている。まず、二〇一五年までの第一段階として国家安全保障を強化するための必要な条件を整備し、二〇二〇年までの第二段階として①北極圏の領土、住民、重要施設を防護するための総合的な安全保障システムの発展、②北極における一般任務部隊の戦闘即応態勢を必要な水準に維持、③北極におけるロシアの主権、戦略抑止力、武力紛争時に侵略を撃退するための必要かつ十分なレペルでの戦闘即応態勢及び動員準備態勢の確保が掲げられている。

こうした方針の下、二〇一三年九月二十六日、北方艦隊、民間船、砕氷船がノーバヤ・ゼムリャ群島にて「北極圏の安全航行に関する訓練」として上陸訓練を実施したほか、二〇一三年十二月には北極軍集団の創設が明らかにされた。また、二〇一五年にはムルマンスク州に、二〇一六年にはヤマロ・ネネツ自治管区に、北極海沿岸の巡回、北極海沿岸の施設及び領域の警備等を任務とする地上軍北極旅団が創設される予定である。また、二〇一四年十二月一日には、西部、南部、中部、東部の四つの統合戦略司令部に加え、新たに北部統合戦略司令部が発足し、北方艦隊に加え、北極旅団、航空・防空軍の一部が含まれ、北極圏に所在する陸海空軍部隊を二○一六年までに一括指揮する見通しとなった。

「洋上影響圏」における「極東地域」とは、主にオホーツク海を指している。オホーツク海は冷戦時代の「潜水艦発射弾道ミサイル搭載原子力潜水艦の聖域」に加えて、「北極海への抜け道防止」という、新たな戦略的な価値が付与されつつある。中国の砕氷船や軍艦が、相次いで宗谷海峡を通ってオホーツク海から太平洋に抜けているが、もう一つの出入り口が北方領土付近となる。ロシア軍は、二〇一二年から国後・択捉の両島の駐屯地を整備し、対艦ミサイルの配備を計画するなど、軍近代化を着実に進展させている。「オホーツク海の聖域化」の意義が強まれば、国後・択捉島の軍事的価値も相対的に高まることになるであろう。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

オリーブの衰退と再発見

『オリーブの歴史』より オリーブの起源 

ローマ人がオリーブを広める

 帝国の拡大にともない、ローマ人はオリーブをョーロッパ全域に移植していった。気候が生育に適していた場所には、現在もオリーブ畑がそのまま残っている。

 大プリニウスは紀元前1世紀に著書『プリニウスの博物誌』[中野定雄ほか訳、雄山閣]のなかで、オリーブとオリーブ油についてくわしく書いている。紀元前1世紀のはじめにはローマ帝国はョーロッパ最大のオリーブ油生産国になっており、さまざまな品種のオリー‘ブが北はガリアから西はスペインにいたるまで栽培されていたと記している。オリーブ油の等級についての記述は今日でも通用するもので、ローマ人がオリーブ油に対し、香油や香膏としてだけでなく、やがては料理や食卓を非常に豊かにするものとしても並々ならぬ関心を抱いていたことを物語っている。

 帝国が拡大するにつれ、イタリア半島のオリーブ油生産だけでは追いつかなくなり、ローマは需要を満たすためにさらに多くのオリーブ油を必要とするようになった。そこでオリーブ油は、帝国の属州から税金の代わりとして輸入されはじめた。ギリシアの思想家で伝記作家のプルタルコスは、カエサルの北アフリカ征服を賞賛しているが、それは、これによりローマが年間300万リットルのオリーブ油を確保したからだった。

 テスタッチョ山は、こうした古代ローマのオリーブ油貿易と流通をいまに伝えている。これはローマ中心付近にある、高さ約40メートル、広さ約2ヘクタールの人工の丘で、紀元前2世紀から紀元前1世紀にかけてローマが輸入したオリーブ油運搬用アンフォラの破片が堆積してできたものだ。

 テスタッチョ山のアンフォラの数を数えると、帝政時代に毎年32万個以上のアンフォラがローマに運ばれていたことがわかり、それはオリーブ油2万2480トンに相当した。この頃にはローマの人口が100万人になっていたことを考えると、ひとり当たり毎月約2リットルのオリーブ油を消費していたことになり、今日の基準からすればかなりの量になる。だがもちろん忘れてならないのは、オリーブ油が食用だけでなく、灯火用、化粧用、薬用、工業用としても使われていたことだ。

オリーブ栽培の衰退

 ローマ帝国が崩壊すると、オリーブ栽培は徐々に衰退していった。ローマ帝国の拡大期には温暖だった気候が全地球規模で寒冷化していき、そのため北方の民族が南下しはじめた。北方の国々では、もはや寒すぎてオリーブの木を育てることができなかった。ローマはしだいに属州とその地のオリーブ園に対する支配権を失っていったのである。

 イタリア半島は、土地とより温暖な気候を求めて北方からやってくる新たな民族の侵入にたえずさらされた。戦争と破壊と飢えの時代がはじまり、交易は不可能になった。蛮族の侵入者が行く手に立ちはだかるものをことごとく破壊したため、田園地方はもはや安全に住める場所ではなくなった。オリーブ園は放棄され、住民は恐ろしくて移動もできず、ただ必死に隠れていた。

 侵入してきた民族は異なる習慣と独自の農業の伝統をもち、ローマ人の子孫に新しい食習慣を押しつけた。侵入者の多くは、オリーブ油が生産されていない狩猟と森林の世界から、ビール、ラード(豚脂)、肉、牛乳といった食べ物の嗜好をもちこんだ。こうした人々にとって、オリーブ油はおそらく、甘味のあるバターとくらべて辛味のある酸っぱい味に感じられたと思われる。

 ほどなくローーマ人の手入れの行き届いた農場や野菜畑、ブドウやオリーブの集約栽培は打ち捨てられ、やがて森林になっていった。オリーブ油はまだつくられてはいたが、以前と同じように高価なものになってしまい、おもに貴族や上位聖職者しか買えなくなった。

 その頃、南方からの新たな侵入者アラブ人が、アフリカに続いてヨーロッパにまで領土を拡大していた。アラブ人はオリーブ栽培を広めることにほとんど関心がなかったらしく、おそらく最初にローマ人が築いた北アフリカの広大なオリーブ園から必要なオリーブ油のほとんどを手に入れていたようだ。

 シチリア島パレルモのノルマン王国国王ルッジェーロ2世の王宮に仕えたもっとも著名な地理学者のひとり、イドリーシー(1099~1165年頃)は、王国領で生育する植物の品種について報告書を作成しているが、オリーブにかんしては、シチリア島の南に位置するパンテレリア島で一度見かけたことがあるとしか書いていない。

オリーブの再発見とキリスト教

 オリーブ油が再発見され、新たなオリーブ園が生まれるには、西暦1000年まで待たなければならない。

 「蛮族」のラードと肉の文化に対抗して、修道院と教会はオリーブ油にもとづいた対抗文化を推し進め、保護した。キリスト教徒は断食の慣習をよく守り、一年のほとんどの期間、バターやスエット[牛や羊の腰部や腎臓の硬い脂肪]、ラードなどの動物性脂肪を口にしなかった。断食は、敬虔な信者が従うべき規則以上のものになった。

 断食は、キリスト教共同体のアイデンティティの象徴であり、そこへの帰属意識の証しであると同時に、キリスト教の起源の古さを知らしめ、自分たちこそがローマ文明最初のキリスト教殉教者の子孫だと主張するための手段でもあった。

 オリーブの木はそれまで修道院の壁の向こうに隠され、教会に保護されて灯明用油やサクラメントを授ける際に使われていたが、いまや流行の先端を行くものになったようだ。マッシモ・モンタナーリのような研究者によれば、新たなオリーブ油文化は、やはり新たな宗教であるキリスト教と同様にョーロッパ人を引きつけたという(その頃キリスト教は、大部分がいまだ異教徒だったヨーロッパに普及しはじめていた)。

 のちにオリーブ油は、ステータスシンボルでも、宗教的・文化的アイデンティティの証しでもなくなり、野菜とサラダの文化における最高位の調味料として、イタリアや南フランス、スペインの食習慣・調理習慣の一部にすぎなくなった。

 イタリアのエミリア地方出身の紀行作家シャコモ・カステルヴェトロはプロテスタントであったため17世紀初頭にロンドンに追放されているが、オリーブ油で味つけした野菜は祖国の味そのものだと考えていて、深い郷愁を覚えていた。1614年、カステルヴェトロはこれについて短い論文を書き、ロンドンの後援者に送っている。論文のタイトルは『イタリアで生または調理して食されるすべての根菜、すべての香草、すべての果実について』というものだった。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )