未唯への手紙

未唯への手紙

ヘルシンキ市中央図書館

2016年05月11日 | 6.本
半年ぶりの心臓内科

 今日でカテーテルの治療は終了とのこと。血は流れている。心臓の血流を見ていると、欲もこんなところまで完全コピーをしているという思いがしてくる。

 歩くと胸が痛くなるのは同じです。カテーテル手術前からずっと同じです。

パートナーから35日ぶりのメール

 パートナーからメールが来たけど、一ヶ月と五日ぶりです。ものすごく定期的です。どういうロジックなのか。

ヘルシンキ市中央図書館

 本で2018年に「ヘルシンキ市中央図書館」ができることを知った。2004年に旧図書館はアーリッカで買い物をしていたら、閉館になってしまった。隣の駅の現図書館には、電車で行き、無事に入りことができた。

 2018年にできる「ヘルシンキ市中央図書館」に行こう、と奥さんに話したら、それまでに10kgやせたらね、とのこと。ついでに以前 通り過ぎたペテルスブルグ図書館にも。「包囲されたレニングラード」で開館していたという図書館。電車で6時間で行ける。

 昔、シルバーのフルートを買ってもらうために、ここまでやせないといけないと言われてやせた覚えがあります。奥さんは条件付きが好きだよね。

ヘルシンキ市の図書館事情

 ヘルシンキが満を期して、2020年計画の実現のために出すのが、2018年の中央図書館でしょう。そこで、次の時代が見えてくるはずです。15年前には電子図書館がヘルシンキ駅前に完成していた。行ったときの感想は「暗い」であったけど。

 図書館はおしゃべりする場所として、存在を増す可能性があります。

ロシア革命とペテルスブルグの図書館

 そして、意思決定して、革命に乗り出す。ロシア革命の拠点として。図書館の窓から、エルミタージュに乗り込んだ風景は本で見ました。

OCR化した13冊

2016年05月11日 | 6.本
『パレスチナを知るための60章』

 アラブ諸国との軋轢 黒い9月とレバノン内戦

 なぜパレスチナ人はハマースを支持するのか 暫定自治政府の限界

 オリーブと生きる 土地とのつながり、人々の暮らしの象徴

『世界史Ⅰ』

 官僚制に基づく帝国の勃興

 ギリシャとローマの文明

 イスラムの変容(一〇〇〇一一五〇〇年)

『ビッグバン・イノベーション』

 ビッグバン・イノベーションの3つの特徴とは

 とめどない成長:情報コストの低減

  今、権力を握っているのは消費者

  ロナルド・コースが発見した「取引コスト」と企業の存在意義

  「シェアリングエコノミー』が取引コストを消失させる

  無効化する〝初期導入者税〟と頻発する共食い現象

 ルール2:市場に参入するタイミングをピンポイントで選ぶ

  ジェフ・ベソスはキンドルのためにどれだけ待ったのか?

  iPodの市場投入を決断させた「最後のピース」

  クラウドファンディングがスタートアップとVCの関係を変える

  実験段階で買収してしまう--ニュース要約アプリ「サムリー」

 スターバックスの危機--イノベーター企業の悪夢

『絶望と希望』

 自治会・サロン・コミュニティー「新しい近隣」の発見

  原子力防災訓練と「国策自治会」の「あいだ」

  「もうひとつの自治会」としてのサロン

  「新しい近隣」の発見

  「創発するコミュニティ」、そして「コミュニティ・オン・ザ・ムーブ」

『現代の政治学の世界』

 現代のナショナリズム

  「ネイション」と「ナショナリズム」

  ナショナリズムの歴史的形成

   エスニック・ナショナリズム

  リージョナル化とアイデンティティの拡大

  グローバル化と排外主義的なナショナリズムの台頭

『地理学入門』

 先進国の都市化と都市問題

 先進国の都市再開発(ベルリンの事例)

 発展途上国の都市化と都市問題

『EU騒乱』

 民主主義ステージⅡ

 欧州共同体という希望

『図書館をめぐる日中の近代』

 大連図書館の成立

 初期の満鉄図書館

 大連図書館の公開

 大連図書館公開の背景

『政治学』

 市民社会と国民国家

  「公」と「私」

   「公」と「私」の二分論

   共和主義と共同体主義

   個人的なことは政治的である--フェミニズムの挑戦

  市民社会

   「市民社会」論のリバイバル

   市民社会論のトピックス

  ナショナリズムとコスモポリタニズム

   国民国家の成立

   ナショナリズムをどう解釈するか

   コスモポリタニズム

 国内社会と国際関係

  国際関係の特質

   アナーキーとは何か

   国内社会と国際関係との比較

  権国家システムの形成と拡大

  国際関係をどう見るか

   三つの分析のレベル

   エージェントと行動

 投票行動

  合理的市民像の形成と崩壊

   合理的な普通の市民

   合理的市民像と一般大衆の政治への参加

   行動科学的政治学の誕生

   エリー調査からミシガン・モデルへ

  無党派層の増大の意味 デモクラシーを支える有権者は消えるのか

   無党派層が増加すれば衆愚政治か

   政党支持態度を形成する理由

   無党派層が形成されるメカニズム

  合理的市民像の再構築 有権者の合理性の再確認

   ミシガン・モデルにおける有権者の合理性

   有権者の合理性をめぐる論争

   争点投票から業績投票へ

   業績投票は政党抜きの合理的投票

   直接民主主義への思考

 世論とメディア

  世論の動向

   世論とは何か

   世論と短期・長期的側面--内閣支持と政治信頼

   政治信頼の低下とメディアの影響

  マスメディアの世論への影響

   メディアと世論の関係--強力効果と限定効果

   テレビの登場と強力効果論の復活

   メディアの議題設定機能

   メディアの強力効果論の新たな展開

   沈黙の螺旋理論

   メディアの滋養効果

  合理的市民とメディア

   合理的な市民 vs. メディアの強力効果

   アナウンスメント効果

   バッファー・プレイヤー

『海からみた世界経済』

 石油価格はどのようにして決まるのか?

  世界情勢、およびパワーバランスにまで影響を与える

  石油価格を巡る攻防戦

  石油価格下落の悪影響

 競争力が落ちた日本漁業。その課題と未来とは?

  日本漁業の歴史と現状。その未来を探る

  日本漁業はどう経営されている?

 漁業の国際化は日本に何をもたらしたのか?

  200海里漁業制度が日本に与えた影響

  沿岸漁業への強引なシフト

  世界的に、日本漁業は儲かっている?

 北海道で産業が儲かる理由

  逆境に立つ日本漁業の中で、なぜ高収益を上げ続けられるのか?

  北海道漁業者の工夫

 世界一の漁業国家、中国の暗躍

『第一次世界大戦史』

 ヴェルサイユ条約とその後の群像

 休戦の後に

 ヴェルサイユ講和

 ヴェルサイユ条約の波紋

 病身のウィルソンとアメリカなき国際連盟

 ムスタファ・ケマルの終わらない戦争

 それは「背中への一刺し」だったのか?--ルーデンドルフのその後

 「元帥」と「上等兵」の闘い--ヒンデンブルクとヒトラー

 ヴィルヘルムの最期--ヒトラーとチャーチルの誘い

『拝啓 市長さま、こんな図書館をつくりましょう』

 共有財産としての図書館

  みんなの図書館? それともみんなのGooglr?

  Googleに向かうパロマー

  Facebook、Twitter、Wikipedia

  学校、図書館、アンニョロッティ〔ラビォリの一種〕

  図書館と寛容

  図書館と経済危機

 私がほしい図書館

  未来はわれらのもの

  永続する機関としての図書館

  社交場としての図書館

  平等の場としての図書館

  文化経済学における図書館

  ライダーは本を読まない?

  市民を参加させる

  新しい「知の広場」

  一つの場所に多数のサービスを

『法の原理』

 政治体の必要性とその定義について

 主権を有する人びとの義務について

ヘルシンキとペテルスブルグの図書館に行こう

2016年05月11日 | 6.本
『拝啓 市長さま、こんな図書館をつくりましょう』より 私がほしい図書館 ⇒ 2018年にヘルシンキとペテルスブルグの図書館に行くことに決めました。ヘルシンキの旧図書館と現行図書館には行きました。乳母車の女性に玄関を開けるのを手伝ったら、「キートス」と声をかけられた。ペテルスブルグ図書館は出張中であったので、中には入れなかった。後日、ロシア革命時にこの図書館から出撃したということを知りました。ペテルスブルグは高さ制限されているので、屋上からの景色は見物です。

未来はわれらのもの

 図書館は目下、ぞくぞくと建設されている。2013年にはバグダッド新中央図書館、バーミンガム図書館(設計はメカノ)、ウィーン・ラーニング・センター(設計はザハ・ハディド)、2015年秋にはデンマーク・オーフスに革新的なプロジェクトをもったアーバン・メディアスペース、2016年にはフランス・カーンにシアトル公共図書館を設計したOMAによるBMVRとアメリカ・オースチン新中央図書館、2018年にはフィンランド・ヘルシンキに中央図書館が建設予定である。アメリカではカラフルな「グリーンライブラリー」がいくつも建設されている。建築雑誌やサイトではコンペの募集に事欠かない。もっとも最近のコンペには、台湾∵台中市の図書館と美術館の複合施設があった。イタリアでは新築図書館というよりリノヴェーションの計画がいたるところで進行しており、なかでもメルツォ、キヴァッソ、ピサでは、ようやく時代に即した公共図書館が建設され始めた。2012年には1200万ユーロを投入した新図書館がチニゼッロ・バルサモに開館し、2013年にはチェゼナの歴史あるマフテスティアーナ図書館で閲覧室だけの新館が完成した。その他、2010年には、モデナ(サンタゴスティーノ図書館との複合)、モンツァ、2012年にはクネオなどで、図書館の立て直し計画が進んでいる。

 このように図書館が建設され続けるのは惰性からではない。あるいはヨーロッパ財政、または地方財政から何らかの予算が降って湧いてくるからではない。それはおそらく、私たちが図書館のことを拠り所、永続的な場所、そして時にはジグムント・バウマンの言う「液状化する社会」での頼みの綱として無意識的に知覚しているからだろう。喧噪にまみれた私たちの町のなかで、図書館には静寂さと秩序が君臨している。私たちは日々、情報の集中砲火に晒されている。図書館は私たちがそれから逃れ、雪崩のように押し寄せる情報を吟味する助けとなる。建築家ピエール・リブレが明言したように、図書館は「世界に開かれた閉じた場所」であり、その空間は「静寂」でありながらも決して独りにはならない場所なのである。

永続する機関としての図書館

 図書館は、国歌斉唱よりはるかに私たちを「元気」づける。なぜなら図書館は、次世代の利益を重んじるささやかな証だからである。図書館は、私たちの生産物すべてが「使い捨て」文化に属するのではなく、私たちが記憶を所有していることを体現する目に見えるシンボルである。図書館を維持し続ける理由として、これだけでも充分だろう。イギリスの作家ゼイディー・スミスは次のように書いている。「私はそこで、その机で勉強していた。私はそこで、公衆電話ボックスがあったところで一人の男の子に出会った。私はそこで、学校の同級生だちと一緒に『ピアノ・レッスン』や『シンドラーのリスト』を観た(もう上映室はない)。そしてそこで、コーヒーを飲みながら(もうカフェはない)芸術について真剣に話し、すばらしい意図のある映画とすばらしい映画は同義ではないかもしれないと初めて思った。[・・・]こんな思い出話にヘレンと花を咲かせているまさにそのとき、地元の役所が図書館の取り壊し計画をすすめていると知った。あの本屋、あの18世紀の小塔、あの思い出の場所、あの4人の酔っ払いが座っていた「出っ張り」も壊される、跡地には豪奢なマンション、とても小さな図書館、ショッピングモールが建つらしい、そして、そこに本屋は一軒もないのだと」

 図書館は理解しうる過去があること、そして過去の延長上に現在があるということを明らかにする。図書館は私たちが生きる現在の世界を再構築させる「知識の家」である。1941年、ナチスがレニングラードを包囲したとき、図書館は開館していた。そのときのことを著したアメリカ人ジャーナリスト、ハリソン・ソールズベリーはこんなふうに書いている。「9月の終わりのある日、ドレヴィンはレニングラード図書館の屋上にいた。日差しの強い暑い日だった。[・・・]ドイツ軍の戦闘機が夏公園の方角から図書館の方へ向って来るのを見た。爆弾が落とされ始めた。一つはサーカス劇場の近くに、もう一つはネフスキー大通り辺りだ。戦闘機は普通、4つの砲弾を積んでいる。図書館も爆撃されるだろうか? いや、図書館は爆撃を受けなかった」(『攻防900日 包囲されたレニングラード』)。この話はただ運が良かっただけかもしれない。だが私はそのドイツ軍パイロットが図書館を尊重したのだと信じたい’。

 図書館はGoogleとは反対に、混迷し、変化し、苦悩に満ちた外部世界の現実を監視し、100年あるいは200年後、つまり今日の電子リーダーがとうの昔に忘れ去られてしまった頃にも、一冊の『戦争と平和』を見つけられることを私たちに約束する。図書館は、未来への投資であって、過去への投資ではないのである。

 国立図書館に収蔵された資料は、普通、火事や略奪に遭わない限り、300年後もそこにある。ネット上に昨日あったものは数年先にもあるだろうが、変わることなくつねにあるという保証はどこにもない。アメリカ人はこのことについて疑いを抱いていない。80%の成人が「紙の本」の貸出は「とても重要な」サービスであり、情報を検索する際に助けや指針を与えてくれる図書館員の存在も同様に重要だと認めている。

 したがって、私たちはこのような図書館の静かなる力、つまり安定性という価値を高め、図書館をローバート・パットナムのような社会学者が言うところの「社会資本」に変えていかねばならない。そうすることが共同体をまとめ、社会生活の質を向上させるのである。

 新たなテクノロジーや現代生活のマルチタスクについて論じる記事が紙面を賑わせている(その多くが的外れではあるが)。それらはどれも図書館のような機関とは無縁のように見える。しかし調査を追って行くと、少なくともアメリカに関して言えば、そうでもなさそうである。