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原発依存の温暖化対策の破綻で「国民総環境疲れ」、「CO2増加」

大キャンペーンにもかかわらず省エネ行動は減退

 次に、省エネ意識の変化、省エネ取り組みの動向を見る。

 旧総理府・内閣府の「省エネルギーに関する世論調査」を見ると「省エネルギーに非常に関心がある」は、第二次石油危機時の1979年12月に36.4%であり、1981年12月には18.0%に下がったが、湾岸戦争時の1990年12月には26.9%に上昇し、以降、1991年7月25.3%、1992年6月22.2%、1996年2月18.9%、1999年2月14.9%と着実に下がった。

 省エネ意識は、当然のことながら、石油危機の際には高い。なお、1990年代初頭から地球温暖化問題が世界的に騒がれ始め、また、1997年には京都でCOP3が開催され、これが大いに報道されたが、なぜか、省エネ意識はこれに反比例して、1990年代を通して低下していったのである。

 その後、2005年12月の同世論調査では「省エネルギーに非常に関心がある」ではなく「生活スタイルを大きく変えてでも省エネ」であるが、24.8%とかなり高くなっている。この調査は、「クールビズ」などの政府主導の地球温暖化防止の「国民運動」のキャンペーンが始まった直後の世論調査である。「国民運動」のキャンペーンの効果は石油危機並みに大きいということか。

 その後、省エネ意識に関する内閣府の世論調査はないが、省エネの取組状況などに関する調査の結果は以下のとおりである。

 まず、名古屋市民の暮らしの中での取組状況を見ると、省エネ行動関連の取り組み(「無駄な照明をこまめに消す」、「待機電力に気を付ける」、「冷暖房の温度設定に気を付ける」)について2015年と2006年とを比較すると、照明は同レベル、待機電力は2015年が減少、冷暖房温度設定は2015年が増加となっており、全体としては大きな変化はない。このように、名古屋市民の例では、「クールビズ」などの地球温暖化防止のキャンペーン、「国民運動」があったが、市民の省エネ行動は大きく高まったわけではない。

 また、「環境にやさしいライフスタイル実態調査」(平成26年度)によると、「日常生活において節電などの省エネに努める」を「実施している人の割合」は、2009年度の88.7%から2014年度の82.0%へと7.7ポイント低下し、「実施したい人の割合」は同じく94.1%から86.2%へと7.9ポイント低下している。それぞれ、この間年々着実に低下してきているのである。地球温暖化防止のキャンペーン、「国民運動」が展開され、2011年には福島第一原発事故があり、関東などでは節電が強く要請されたにもかかわらず、全国的には、省エネを「実施している人」の割合も「実施したい人」の割合も、2009年度から着実に低下しているのである。

 いったい、なぜ、大規模なキャンペーン、「国民運動」が行われてきたにもかかわらず、また、福島第一原発事故があったにもかかわらず、全国的には省エネの実施やその意向が低下してきたのか。

原発に依存した温暖化対策の破綻が原因

 2005年頃から、日本人は極度な「省エネ疲れ」、「CO2疲れ」に苛まれるようになった。その背景には、原発に過度に依存した日本のCO2削減政策の失敗がある。

 エネルギー・環境と国民生活とのかかわりを少し遡って見てみる。

 公害、特に大気汚染は、戦前からの京浜、中京、阪神、北九州の工業地帯、そして、国土総合開発計画の一環として指定された瀬戸内海沿岸地域などの新産業都市などに立地する発電所や工場における石油、石炭といったエネルギーの消費に伴って発生する硫黄酸化物などによって人の健康が蝕まれた問題である。1960年代、70年代には、公害をめぐって、世界に類を見ない住民運動、地域闘争が展開された。

 1970年代の1973年と1979年の2度にわたる石油危機を契機に、家庭・職場や工場では「省エネ・省資源」が叫ばれ、政府主導の「国民会議」もできた。高騰したエネルギーコストを軽減することによって日本企業の競争力を回復・向上させ、また、不安定な石油供給先となった中東からの石油依存度を下げることが目的だった。国民生活にとっては、一過性の「我慢」の省エネ・省資源であった。2度目の石油危機の後には、発電所や工場での石炭(安い海外炭)の利用拡大が目指された。当時、CO2問題は認識されていなかったが、この石炭シフトは、のちのCO2排出量の増加に大きく寄与した。

 さて、1990年前後に主要な先進国では2000年のCO2削減の自主目標を設定するようになった。日本も1990年10月に、2000年には1990年と同レベルにするとの安定化目標の下に、都市・地域構造、エネルギー需給構造、交通体系、ライフタイルなどの「構造変革」を行うことによって、目標を達成するとした「地球温暖化防止行動計画」を策定した。日本の2000年安定化目標は、翌年からの国連による温暖化条約づくりに弾みを付けた。

 1997年の京都でのCOP3の際に、橋本総理は「2010年までに原発を21基増設する予定であるので90年比マイナス6%は達成できる」との通産省の進言をもとに京都議定書における日本の削減目標としてマイナス6%を受け入れた。当時の総排出量は90年よりフ%近く多い。原発の21基増設だけで1990年総排出量の14%分の削減が見込まれるため、産業界は原発増設の大合唱となった。

 その後、原発大増設の目論見が外れそうであることが次第に明らかになり、政府は、1998年に立てた2010年までに21基増設という計画を、2002年には13基に、2005年には5基にそれぞれ縮小した。これで、原発増設によるCO2削減量は1990年総排出量の3~4%分しか見込めなくなった。

 その上、2003年からは、東電シュラウド問題に伴う同型原子炉の点検、中越地震などの地震に伴う停止などが頻発し、全国の原発の平均的な稼働率は大幅に下がるようになり、その分は火力発電所を焚き増しするので、予想外のCO2排出量の増大となった。環境省は、毎年のCO2排出量を発表する際に、「原発が通常の稼働率だとした場合」の排出量も併せて出した。

 このように、「原発依存路線」は2重の意味で破綻したのであるが、目論まれたCO2削減量は、どこかがこれを引き受けなければ、マイナス6%の目標達成ができない。

 そこで、政府や産業界が目を付けたのが、家庭や学校・オフィスなどの部門であり、こうした部門でのさらなるCO2削減のため、政府は巨大な税金を投じて「クールビズ」、「チーム・マイナス6%」などの「国民運動」を開始したのである。役所や企業などの職場では昼の時間帯の消灯、冷暖房温度の設定などを徹底した。お堅い国会までもクールビズになった。「見える化」と称して、個々の商品へのCO2排出量の表示の動きも出た。生産・販売などの現場でも、CO2削減のため、あらん限りの努力が傾注されてきた。自治体では、子どもたちのためにCO2の歌や踊りをつくるところも現れた。家庭生活においても「夕方、家族はひとつの部屋に集まって団楽し、他の部屋は消灯する」、「ガソリンは満タンにすると重たいので、少しずつ給油する」など「余計なお世話!」と言いたくなるようなことが一杯。いわば「箸の上げ下げ」にまで「ご指導」がなされるようになった……。「欲しがりません、京都議定書の目標達成までは」と言わんばかりの何か「CO2ファッショ」とも言うべき違和感を覚える風潮がこの国を支配した。

 さらに、2008年秋のりーマンショックを契機に、燃費のいい自動車、グリーン家電などへの買替促進のため、大規模な補助金、税制優遇の措置が講じられ、「節約」と「消費拡大」が同居するという何とも不思議な様相を呈するようになった。

 こうした取り組みは、今年や来年の気温上昇を抑えるためではないことはわかっているのだが、近年の夏の厳しい暑さは、人々に「無力感」を与えたのかもしれない。

 「国民総省エネ疲れ」、「国民総CO2疲れ」であり、こうして、省エネを実施する人、実施しようとする人は年々減少してきているのである。

 さらに、そこに福島第一原発事故が起き、すべての原発が定期点検のため順次停止となり、CO2の大幅増大をもたらしたのである。

 「風が吹けば桶屋がもうかる」式に言うと、次の回路になる。

  原子力21基増設によるCO2マイナス6%削減計画

  →増設の目論見はずれ+既存原子力の稼働率低下

  →CO2排出量増大

  →原子力増設で減る予定だったCO2を家庭・職場での取り組みでカバー

  →省エネ・CO2削減の大キャンペーン・「国民運動」

  →「国民総省エネ疲れ」、「国民総CO2疲れ」

  →国民・市民の省エネ行動の減退、そこに福島第一原発事故

  →すべての原発が順次停止

  →CO2大幅増大

 京都議定書の削減目標である2010年に1990年比マイナス6%の達成は大いに危ぶまれたが、2008年秋からのリーマンショックによる世界的な実物経済の停滞のお陰で、なんとか達成できた。

 安倍政権は、2015年7月の長期エネルギー需給見通しの中で、電源構成における原子力の比率を2030年には20~22%とし、その際、原子力の稼働率を70%とした。そして、これを前提として、この国の温室効果ガス排出量を2030年には2013年比でマイナス26%にするとの約束草案を国連に提出した。またもや、原子力に依存したCO2削減策である。その破綻のしわ寄せが国民生活に来ないようにしなくてはならない。電力部門の課題は、電力の中で完結してもらいたい。そのためにも、再生可能エネルギー(以下、「再エネ」)、コジェネといった分散型の電源の大幅拡充が不可欠である。これについては、のちに述べる。
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孤立化と「自死」

『自死』より

まず、圧倒的に多かったのが、「月一二万ももらっていて、何が不満なんだ」という書き込みだ。こうした声が上がるのは、ある意味、当然かもしれない。現在の国民年金の受給額は、満額でも林崎容疑者の受給額の半分ほど、およそ六万五千円しかないからだ。そして、この低額の国民年金しか受給できない人が日本には一〇〇〇万人もいるといわれている。しかも、その大半は、年金以外の収入がない状態だ。さらに深刻なのは、国民年金の受給者がすべて満額の六万五千円を受け取っているわけではないということだ。平均受給額は五万円、受給額が三万円に満たない人が一割もいるという。

こうした状況を考えると、林崎容疑者の一二万円という年金は確かに恵まれている。多くの人が指摘するように、それだけの額があれば一人の人間がなんとか生きていくことが可能だ。だが、コー万円という金額は、ひとたび病気になったり、不意の出費があれば、たちまち極度の貧困と隣り合わせの暮らしを余儀なくされる金額でもある。しかも、林崎容疑者がこれだけの額の年金が受け取れたのは、少なくとも三五年間、厚生年金も含めた年金をコツコツと支払い続けてきた結果だ。年金の月々の支払い額は、林崎容疑者のょうな低賃金労働者にとって、決して安くない額だったはずだ。それだけの努力をしておきながら、いざ歳を取って働けなくなったとき、ギリギリ生きていけるだけの金額しか受け取れないとしたら、日本の年金システムのどこかが間違っていると考えるべきではないだろうか。

ちなみに、林崎容疑者が暮らしていた東京杉並区における生活保護の平均受給額は、単身世帯の場合、住宅補助金を含めて一四万四四三〇円だ。しかも、生活保護受給者は、医療費や林崎容疑者を苦しめたという税金も一切かからない。「生活保護」というのは文字どおり、資産や生活手段を持たない人が日本で暮らしてゆくため、最低限の生活費を保障する制度である。長年、年金の積み立てをおこなってきた林崎容疑者が、自分の受け取れる額がそれを下回っていることに憤りを覚えたとしても、それは極めて真っ当な怒りではないか。

林崎容疑者の事件に対して、ある生活保護受給者が発した言葉が印象的だった。

「年金なんか、真面目に払うからバカをみるのさ。俺たちみたいに初めから払っていなければ、腹も立だないよ」

日本の年金の金額設定が低いのには理由がある。現在の年金制度ができたのは一九五九年のことだ。当時、日本の核家族化はまだ進んでおらず、しかも、サラリーマンの多くは正規社員で、終身雇用もほぼ約束されていた。そのため、老後は親族の支えが期待できる上、退職金などによる蓄えもそれなりにあるという前提があったからだ。また、平均寿命も今よりずっと短かったため、現役時代の蓄えだけで、亡くなるまでの生活費をまかなえる人が多かった。こうしたことを前提につくられた年金制度には、生活補助金という側面が強かったのだ。

ところが時代が変わり、一人暮らしの高齢者は二〇一一年の時点で五〇〇万人を超え(総務省「国勢調査」)、六五歳以上の高齢者の五人に一人以上が一人暮らしという状況になった。また、企業が正規社員を減らしてきたため、低賃金で貯蓄ができない上、退職金もない雇用形態で現役生活を終える人が増えている。そのため、年金の持つ意味合いが大きく変わっているのだ。ところが、日本の社会保障制度はそれに対応したシステムに変更できないまま、生活補助金程度の額しか支給できていないのである。

『下流老人』の著者で、NPO法人「ほっとプラス」の代表理事、藤田孝典氏によると、現在日本には自力で生活ができない高齢者がすでに七〇〇万人ほどいるという。そして、このままのシステムを続けてゆくと、将来、九割の高齢者が明日の暮らしにも困窮する「下流老人」になる可能性があると指摘している。つまり、将来の日本では、多くの高齢者が貧困化し、餓死するかもしれないという恐怖に怯えながら、人生の最後を迎えることになる。低賃金の非正規雇用の労働者が増加すれば、この予測が近い将来、現実になることは容易に想像がつく。しかし、この問題について、政府はほとんど手を着けられないでいる。

また、林崎容疑者に対するバッシングの中で、「若い頃に貯金しておくべきだった」という声も少なくない。いわゆる「自己責任論」である。だが、林崎容疑者の年金の受給額から推察すると、中卒で、特別な能力もなかった彼の生涯賃金は、大卒で企業勤めした人の平均収入のおよそ半分しかなかったと考えられる。働いても働いても、収入の大半は日々の生活費で消えていったに違いない。

もちろん、爪に火を点すようにして暮らせば、わずかな貯蓄はできたかもしれない。だが、経済大国の日本の底辺で、必死で生きてきた人にそこまで要求するのはあまりに酷ではないだろうか。もし問題があるとしたら、まっとうに生きてきた人たちが、歳をとって仕事ができなくなったとき、明日の食べ物にも困るほど貧困化してしまうというシステムの方だと思う。

一時、社会問題として大きく取り上げられた「孤独死」の問題。いまではあまりに普通の出来事になりすぎてしまったせいか、ひと頃より騒がれなくなった。人は誰でも死ぬときはひとりぼっちなのだから、ひとりっきりで死ぬこと自体は大きな問題ではないのかもしれない。問題はひとりぼっちで死ぬことではなく、「死」に至るまでの孤立した「生」の状況なのだ。「餓死」は論外として、貧困がもたらす最大の問題は「貧しい生」であり、その結果起こる「孤立」の問題なのだ。

仕事もなく、ギリギリ食べてゆくだけの金しかない状態を想像してみるとよい。生活費を切り詰めるための最良の方法は、何もせずただ家でじっとしていることだ。エネルギーの消費量を抑えれば腹は減りづらいし、交通費などもかからない。どうしても腹が減って我慢できなくなったときだけ、近所のコンビニやスーパーに食べ物だけを買いに出かける。そうすれば、体力も消耗しない上に、余分な金も使わずに生きていける。だが、友人と会食したり、酒を酌み交わしながらおしゃべりをしたり、趣味に興じたりしなくなることで、人間関係は確実に失われてゆく。もちろん、こうした人たちは携帯電話やネット環境も持たないことが多い。その結果、「孤立化」が起こるのだ。この「孤立化」の先にあるのが「孤独死」なのである。

孤独死した高齢者の人生を遡ってみると、もともと人付き合いが嫌いだったり、苦手だったりした人は少数派である。大半の人が、若い頃は他の人たち同様、元気に活動していた。だが、仕事を辞めたり、職を失ったあと、貧困が原因で家に引きこもりがちになり、次第に人間関係が失われ、ひとりぼっちで最期のときを迎えるといったケースがほとんどなのだ。林崎容疑者はいわゆる孤独死ではないが、自死に至るまでの人生の過程をみると、孤独死した人だちと同様の軌跡をたどっているように思える。「生存権」とは餓死しなければよい、というものではない。日本国憲法は、すべての国民に「健康で文化的な生活」を保障している。だが、現実にはそうなっていないのがいまの日本の社会保障制度なのである。
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デンマークの生涯学習

『よくわかる生涯学習』より

学習社会の優等生

 北欧諸国は豊かな生活水準や充実した福祉国家政策でよく知られています。近年、徐々に見直しが進んでいるとはいえ、生涯学習の制度や実践に関しても、世界に類をみない高い水準を維持しています。たとえば, 2012年のOECD(経済協力開発機構)の調査によると、25歳から64歳までの生産人口のうち、フォーマルな教育やノンフォーマルな教育に参加している人の割合は、第1位がデンマーク、フィンランド、スウェーデンの3カ国で同率の66%,その次がノルウェーの64%と、北欧諸国が上位を独占しています。

 EUは2000年にリスボン戦略を定め、知識社会の形成のためにさらなる人的資本の開発を目指す経済政策を打ち出しました。生涯学習はそのための大きな柱と位置づけられています。現在EUは、2014年から2020年までを区切りとして、教育、訓練、若者、スポーツ分野への支援を行う「エラスムス+」というプログラムを進めています。これは、ヨーロッパ全体の職業的・学問的技能の開発とエンプロイアビリティの向上を目指すものです。ただし北欧諸国は、100年以上前からこのプログラムが目指すようなさまざまな学習機会をつくり出してきました。本稿では、デンマークを例に、学習社会の形成過程をみていきましょう。

デンマークの国民高等学校

 デンマークでは、16世紀前半の宗教改革から18世紀後半の学校改革に至るまで、教会が主要な成人教育の機関でした。 18世紀後半、近代市民の啓蒙思想がもたらされると夜間学校の設立が相次ぎ、国家は部分的に学校を教会の支配から解放します。 1864年スレースヴィ戦争に敗れ、スカンディナヴィア連合構想が挫折すると「国民国家」思想が台頭しました。そのようなときに登場したのが、神学者グルントヴィによる国民啓蒙教育(folkeoplysning)の思想でした。グルントヴィは農民と母国語を重視する教育を地方から広めようと国民高等学校(folkeMjskole)を開設します。

 グルントヴィが重視したのは、「生きた言葉」としてのデンマーク語でした。上流階級と民衆とのギャップを埋めなければ外来文化として到来したばかりの民主主義が根づかないとの危惧を抱き、土着の話し言葉であるデンマーク語で民衆が学ぶ機会の創出を訴えました。最初の国民高等学校は1844年に開校しました。学びだけではなく生活を共にしてこそ意味をもつと考えたグルントヴィは、農閑期に農民が数週間のあいだ、農作業をはなれ安心して学べるよう、寄宿制の学校を設立します。現在も国民高等学校は、国内に68校(2014年)あり、2013/2014年の入学者は4万5000名(うち長期コースは9000名)にのぼります。17歳半以上であれば学歴を問わず無試験で入学できるため、進学や就職の間に人生を見つめ直そうと進学する人も少なくありません。コースは、語学、文学、心理学、社会学、演劇、芸術、スポーツなど多岐にわたり、いずれも対話を重視したカリキュラムが組まれています。

デンマークのアソシエーション

 デンマークの生涯学習にとってもう一つ重要な機会となっているのが、さまざまなアソシエーション(forening)による活動です。デンマークにおけるアソシエーションの歴史もやはり19世紀半ばに遡りますが、特徴的なのは、農村で発達したアソシエーションが都市へと伝播し、労働者を中心とする政治的および社会的な力へと発展していった点です。

 第二次世界大戦後は、そのような労働者の力が、各種スポーツを中心とする余暇活動分野へと広がります。スポーツや文化活動にかかわるアソシエーションが急増し, 1970年代の地方分権化を契機に、公園や競技場、体育館が整備されるに従い、各地方の団体数も飛躍的に増加しました。現在では、スポーツだけをとっても人口の3分の1以上の人々が日常的にスポーツに親しみ、全国では約1万4000のスポーツクラブが存在します。デンマーク社会にとって、各種スポーツや文化団体などの余暇活動は、単に健康のために必要な活動ではなく、「青少年を社会で育てる」機会だと認識されています。

多文化化という課題

 このような、19世紀半ばから20世紀にかけてデンマークの生涯学習の主要な機関として機能してきた国民高等学校やスポーツや文化活動に対して、現在、新たな期待が寄せられるようになっています。社会問題を解決するという期待です。ヨーロッパでは、グローバル化の進展に伴い、多様な背景をもつ人々が移民として流入しています。デンマークでも移民人口が全体の10%に迫り(2014年)、社会的統合が社会全体の課題になっています。

 生涯学習の実践の現場では、国民高等学校やアソシエーションが、多文化化する社会に「社会的結束」をもたらしてくれるのではないかという期待が寄せられています。自由と平等を何よりも優先するデンマーク流のデモクラシーが、多文化化する社会でも通用するのか、学習社会の新たな問いが浮かび上がっています。 
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生涯学習 指定管理者制度に関する課題


指定管理者制度とはなにか

 2003年の地方自治法の改正に伴い、従来、民間の事業者などが担うことのできなかった公の施設の管理運営の担い手を、企業やNPO(特定非営利活動法人)などの民間の事業者などから募集し、指定管理者として選定したところに、その事業を委ねることが可能になりました。現在では社会教育をはじめ、地方自治体の事業のさまざまな場面で制度の導入が進んでいます。

 社会的な背景

  指定管理者制度が創設される前の公の施設の運営は、地方自治体が直接運営する方式(直営方式)か、地方自治体が2分の1以上出資している財団や第三セクターなどの公的な出資法人に管理運営を委託する方式(管理委託方式)のいずれかによって行われていました。1990年前後から、自治体の財政状況の悪化などを背景に、行政サービスのスリム化を図ろうとする流れが一般的になります。社会教育施設でも、この頃から公的な財団などへの管理運営の委託が進んでいましたが、指定管理者制度の創設により、公の施設では2006年9月までに、直営または指定管理者による運営を選択することになりました。

 指定管理者制度への期待

  地方自治体には通常、予算の単年度主義や定期的な人事異動といった行政特有の制約がありますが、指定管理者制度の場合、こうした制約を受けることがないため、柔軟な施設運営が可能となりますレまた、民間のノウハウや事業特性などを活かすことで、サービスの向上や施設運営の効率化、地方自治体の経費削減効果なども期待されています。

指定管理者による社会教育施設の運営

 社会教育施設における指定管理者制度の導入の状況を『平成23年度社会教育調査』で見てみると、公立の社会教育施設5万3804施設に対して、指定管理者制度を導入している施設は1万4098施設、26.2%を占めており、全体として増加傾向にあるといえます。また、この調査では、導入施設数が多いのは文化会館(53.7%)、青少年教育施設(38.5%)、社会体育施設(35.4%)、少ないのは公民館(8.6%)、図書館(10.7%)となっています。

指定管理者制度の課題

 指定管理者制度は、地方自治体の財政難や地方分権を背景とした、行政改革の流れのなかから生まれた制度です。一方で、社会教育施設に本来期待されてきたのは、持続的かつ安定して専門的な立場から社会教育の機会を地域の住民に提供する事業です。したがって、両者の間には本質的になじまない点があり、いくらかの混乱や課題が存在します。

 事業の継続性に関する課題

  指定管理者の指定期間(契約期間)は通常3年または5年です。直営方式とは異なり、この指定期間のなかで単年度の予算に縛られずに事業を計画・推進できるというメリットがある一方で、運営者が比較的短い期間で変わる可能性があるため、中長期的な視点から事業を計画することが難しくなり、事業の継続性や安定性の面で課題があります。そのほか、運営に関する知見や経験が自治体内に蓄積されにくいという点も指摘されています。

 施設運営の効率化に関する課題

  指定管理者制度導入のメリットとして、一般に、民間事業者などの専門性やノウハウを活かした経営的な発想や柔軟な視点から施設のサービスの向上、事業の効率化があげられます。また、利用料金制などの採用により、民間事業者にとってのインセンティヴを働かせることで、利用者数の向上、入館料収入等の向上を期待できるという効果も期待されています。しかし、民間事業者は本来利潤の追求を目的とする団体であり、活動内容に応じた十分な指定管理料や利用料金による収入が見込めない場合、利益の確保や経営効率を優先したり、結果として施設のサービスの質や量の低下、職員の勤務条件の悪化などを生じる危険性も存在します。

 職員の専門性に関する課題

  さらに、社会教育施設では、専門職員の専門性形成に影響を及ぼすことも指摘されています。特に資料を前提とした事業を行う図書館、博物館を中心に、それらの継続的な収集・保存とともに、専門職員の質を確保するための研修のあり方やその実施主体をめぐる問題が存在します。

  このようにみてくると、民間事業者の参入が、ただちに施設運営の健全な効率化につながるとは限らないことがわかります。公の施設の「住民の福祉を増進する目的」と、民間事業者などの事業目的との間には、本質的に相違があることを理解した上で、その施設や地域にとって、望ましい運営形態、組織や人材に求める特性を十分に検討する必要があります。
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生涯学習の習う順番

生涯学習の習う順番

 習う順番ってあるよね。数学を習ってからでないと、政治学はわからないでしょう。答えを聞いても、問題がわからないとどうしようもない。数学で一番すごいのは、その問題を作る力です。

 色々な問いに対して、答えを与える。参考資料を網羅する。それが初めての生涯教育。だから、司書も図書館も必要になるんです。ただし、それはその時点ではダメです。インフラとしてどこまで揃っているのか。それを個人のインフラにするのが未唯空間。

 だから、知のインフラを見せたい。

 数学の後に仕事のテーマが与えられたので、スムーズに自分の中に引きずり込めた。仕事で数学を感じたのは部品表です。巨大なデータベースと関係性。その中での技術者の思惑とそれぞれの部品。この関係をどう把握するのか、そこからいかにして意味を求めるか。

アイドルという仕事

 今一番大変な仕事はアイドルかもしれない。今日は幕張で握手会。カズミン、ホーリー、南が一部欠席。その時も、ファンにはメールを発信しているし、事務局は振り替えをアナウンスする。
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