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グローバリゼーション、民主主義、国民国家のトリレンマ

日本に相対性がない

 そう考えると、日本には出口がないです。誰も入ってこないし、誰も出ていかない。こんな国が戦争をしたら、自滅するしかない。

 中央集権国家である日本を分割するとなると、県という単位になるのか。分割したものが相似形であってはダメです。イメージとしては、やはり、判断でしょう。

 それぞれがどのような特徴を持つのかというよりも、それが本来のカタチであることにしていく。相似形でやると、島根・鳥取みたいなカタチになります。

 企業というのは、国の単位よりも世界の単位で持たせる。統合の方に行きます。メーカーのなかも、販売の方は完全に分割します。統括権は持ちません。グローバルとして、単に徳島をサポートするだけです。徳島は徳島で生きていきます。

 複雑にするのは、都市と田舎の関係です。大阪が特にそれが顕著になります。困難な状況に陥る関係を持っています。

トリレンマ

 スーパーグローバリゼーションと民主主義と国民国家のトリレンマ。これらの3つに内の二つを取るしかない。その組み合わせで三つのケースがある。そういうことですか。グローバリゼーションが避けられないとしたら、民主主義をとるのか、国民国家を取るのかになります。民主主義はとらざるを得ない。だから、国民国家を変えていくしかない。

 自由の保証単位でなくなった国民国家。完全なグローバルな世界とローカルで構成していくしかない。資本も労働力も国を超えてしまう世界で国民国家は存在できるのか。枠として存在するのか。ここで、抜けているのが、民族主義です。それと宗教です。心の拠り所です。

 日本は偶々、国というものと民族が同じと思われている唯一の存在かもしれない。これは大きな誤解の上に乗っかっている。

 民主主義はローカルでしか宿れない。典型的な議論は、直接民主主義なのか、間接民主主義なのかです。間接民主主義はありえない。直接であるためには、人口規模の制約がある。

ポスト国民国家

 国民国家は地域の多様性とグローバリズムに脅かされているという、図式の一つの現れです。それを民主主義と国民国家とグローバリゼーションのトリレンマにすれば、解決策が見えてきます。

 重要なのは、国が持っている自由の保証という契約部分をローカルに落とせるかどうかです。社会保障は特にその傾向が強いです。どの単位で社会保障していくのか。

 国の単位で、労働力の面から何人が何人を支えているのか、というのは大きく異なります。これを小さな単位にするのか大きな単位にするのか。

 市の単位で、自分たちだけで政治を行うというものがアメリカで出てきています。囲い込みます。古代ギリシャのアテネでの都市国家もそういうカタチです。囲い込めば、その中で若者を増やすのか。トルコでは、30代が中心になっています。まだまだ伸びます。それとギリシャを一緒にしたらどうなるか。

国民国家は足かせ

 国民国家を活かしながら、民主主義とグローバリゼーションを融合させるとなると、グローバル化はなしになります。これは、EUの実験でも見られるように、国民国家が足かせになります。その中にある、民族と宗教が複雑に絡み合います。

 アメリカ合衆国のカタチが一番、近いけど、もうすこし、違うカタチを求めないと、国民国家が邪魔になります。アメリカは元々、国民国家を持っていないから、移民という中に、民族も入って、その連邦制になっています。

 グローバル・ガバナンスになった時に、一つのルールで収まるはずはない。分化している世界から、分化と統合の関係、位相的な関係を作り上げて、発展させていくカタチなんでしょうね。
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