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日々のことを徒然に

地域や仲間とのふれあいの中で何かを発信出来るよう学びます

108日目の朝

2020年10月11日 | 生活・ニュース

 我が家の夏が完全に終わった。そんな大それたことではないがひどい曇天の朝、朝顔が一輪咲いた。それは絡んだ蔓のトップで真上を向いたていた。10輪くらいから1輪2輪と咲く数が少なくなってきていたので、もしや最後の一輪かと撮っておいた。それは予想通りの咲終わりで、最初の開花から108日目の朝だった。

 今夏は記録に残る、経験がない、そんな異常な暑さで熱中症を患う人も多かった。また、新型コロナウイルス禍で夏の各種行事は中止が続いた。子どもらの楽しみな夏の移動はストップした。高校生の夏の全国大会は姿を変えこじんまり開催となった。盆の民族大移動見送りで関係の深い産業が大巾減収となった。

 そんな中で、我が家の朝顔も暑さが堪えたのか一時疲れ気味になった。咲き終わった蔓を切り取ってみろ、という教えを実行すると気持ちのせいか元気回復となり、その終焉は初めに記した通りになった。毎朝、前日咲いて役目を終えしぼんだ花を取り除いていた。取り除きながらその数を確かめたある日は何と150個だった。

 朝顔について私のブログの影響を受け「この夏は朝顔を育ててみました! 日々の成長ぶりに愛着がわきました。どこにも出掛けない夏でしたが、おかげさまで楽しく過ごせました♪ ありがとうございました」と、在京の人からコメントをもらった。10本ほどの苗から伸びた蔓はどのくらい伸びていたのだろう、そんなことを思いながら後片付けをした。ちょっと広がった空間に夏の煩悩が抜けていった。
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気遣い

2020年10月10日 | エッセイサロン
2020年10月10日 毎日新聞「はがき随筆」掲載

 雨の裏通り。道幅いっぱいの宅配車が向こうから来る。傘をたたみ、軒下を借りて通過を待ちながら、見るともなしに運転席を見ていた。車が私の前を通過するとき、少し速度を落とし、運転手が軽く頭を下げた。私はあわてて会釈を返した。
 自分の安全のため避けたのだが運転する方は自車の通過のためによけてくれた、そう思う気持ちがお礼の仕草になったのだろう。
 自身への気遣いが、相手にいい印象として受け取られた。ちょっとした心がけがまーるい社会に通じるのか、なにか明るい、妙にうれしい気持ちになった。
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時は足踏みしない

2020年10月09日 | 生活・ニュース

 若い時に「年を取ると1年が早い」という年配者の声を聞くと「誰も同じ1年は365日」と笑っていた。そう感じるのはいつ頃か、先輩の一人は72(干支が6周り)を超えた時から、もう一人は75を超えた時からと、飲みながら体験を聞かされた。その両方の年を超え、あとわずかで80になる。二人の先輩より1年を短く感じて不思議ではなくなった。

 1年の365日から年齢をマイナスした日数がその年のその人の1年に感じるという。今年は閏年で1日多いが、あと数日で私の今年1年という計算になる。秋たけなわのこの時期に晦日、ということは本来の晦日まではおまけの日ということかもしれない。おまけという意味の一つに「この上に何かを付け加えること」ともある。残りをのんびりと過ごすのでなく充実した日にしろと教える。

 世間は各種GoTo施策でコロナを外見的には恐れずに活動が活発化している。県の発表では、感染地域から用務で来県した人のコロナ陽性が複数判明、その接触者からも陽性者が出るなどして処置入院が続いている。まだまだコロナは油断できない、高齢者は重篤化するという、おまけの1年も罹らないうつさないを心掛け、そのうえでプラスを生み出したい。

 お節の予約受付が店頭や折り込み広告で始まっている。クリスマスケーキも同様で大晦日に心を走らせる。確定申告用の証明書も届き始めた。時はコロナ禍でも足踏みなどしないで正確に刻んで来る。コロナコロナでこの1年が過ぎそうだが、厳しい状況の中で孫娘は就職浪人とならずに済んだ。今年の我が家の明るいニュース。
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日課のブログ15年目

2020年10月08日 | エッセイサロン
2020年10月8日 中国新聞「広場」掲載

 ブログを始めて15年目に入った。4年目からはほぼ一日も休まず続けられている。体調に波はあっても書き終えると「今日も元気に過ごせた」。いつからか健康のバロメーターになった。新型コロナウイルス禍ではとりわけ強く感じる。
 肩に力を入れないことが長続きする。そう思って日々のことを飾らずに書いている。ほかの人のブログも訪問する。驚きや発見があり、いろんな意見や提言に接して視野も広がる。
 1年ごとを区切りに投稿を手作り本にして残すことも楽しんでいる。1年分を印刷すると500㌻ほどになる。その紙を、知人が設計、製作してくれた「製本機」と呼んでいる木製の枠にはめる。そして背表紙を貼るなどして丁寧に仕上げる。これまでの14冊を並べると、分身が整列しているように感じる。
 今月末で80歳になる。まだ若いと言う先輩の励ましを甘受し、15冊目に向けて日々のことをつれづれに書き留めておこう。今日もパソコンを開く。
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未来技術遺産登録

2020年10月07日 | 回想

 今日の購読紙経済面に、高密度ポリエチレン(PE)製造関連の装置3件が国立科学博物館「未来技術遺産」に登録されたと載っている。記事では石油化学製品が鉄や木の代替品になるかどうか模索した時代。今やプラスティックは日常生活に欠かせないもになっている、記事の要旨はこのように紹介してある。登録は2020年9月15日。私は3件のうち1件にに当たるPE製造プラントの複数ある工程の.一つで勤務したことがある。

 選定理由。「日本最初の石油化学コンビナート発祥当時の低圧法ポリエチレンの製造装置(①重合器(2)原料ナフサフィードポンプ(3)ガスエンジン用パワーピストン)である。チーグラー法による低圧法高密度ポリエチレン製造法は1955年にドイツの化学者チーグラーが発明したが、工業規模の製造装置としてに世界でも最初期のものである。石油化学工業は米国の石油精製技術とドイツの石炭化学を中心とした有機・無機薬品や合成ゴムなどの高分子合成、人造石油の大規模合成技術をもとに発達した。日本での本格化は中東産原油から供給されるナフサを原料として誕生し、欧米諸国と時期を同じに発展してきた。本資料は日本最初の石油コンビナートで、世界で最初期にチーグラー法による低圧法高密度ポリエチレン製造を企業化した装置であり、技術の歩みを示すものとして重要である」。生産は1958年開始。

 当時、PEは白色のパウダー(粉体)として出荷されていた。職場の歌は村田英雄の「王将」の替え歌だった。「吹けば飛ぶよな 白い粉に 掛けた命を笑わば笑え 生まれドイツの岩国育ち 俺もなりたやパウダーのように」。写真はレガシーとして工場に残されている重合機で登録に添付されたコピー。保存作業に関係した一人として懐かしい。

 その後も技術は進歩し、1969年には自社技術で世界初の低・中・高の各密度のPEが連続生産できるプラントが完成した。これには建設から携わり、責任感と誇りをもって運転したことを記憶している。やがてこの技術も未来技術遺産になることを信じている。
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バスの車窓から

2020年10月06日 | 地域

 送迎用のバスで瀬戸内海沿いを走る。コロナ感染対策で換気用に開けられた窓からの風を少し冷たく案じるのは秋深くなっているからだろう。この瀬戸内海の様子は車窓から何度も眺めているが、空も海もいつも演出しているかのように同じ姿を見せることはない。今日は雲一つないすがすがしい青い空、この空のはるか彼方の太平洋上に10月最初の台風14号が日本をうかがっているなどというから不思議に感じる。

 鏡のような瀬戸内の海というイメージがあるが、今朝は少し波があるようだ。これは明日の昼にかけて最大13㍍吹くという強風注意報が出ている影響かもしれないが、そのお陰で波がしらがキラキラと輝いていて美しい。砂浜の様子から引き潮の様で潮の条件が悪いのか釣り船や漁船の姿が一隻も見えなかった。

 やがてバスは海沿いの国道から車幅よりわずかに広い幅員の急な上り坂に入る。この道は、通常の道路が崩落しているのでう回路になる。家並みを離れると、道の両側は手入れされていない竹林や杉林、雑木などの荒れた山林が頂上まで続く。幾段もある田や畑の大方は耕作放棄されている。そんな道をドライバーは苦も無くバスを操る。

 復路も進行方向左側の同じ席に座る。山を下りると国道を戻っていく。耕作されていなかった広い蓮田が埋め立てされ宅地になった。沿線は時とともに変化しているが、最近の大型の変化と思う。運転停止中の中電の発電所の煙突と鉄塔が青空に伸びているが、何かむなしそうに見える。あの高さから町の変遷をどんな思いで眺めているのだろう。
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生きること

2020年10月05日 | 生活・ニュース

 寺の前で久しぶりに出会った人に「なんぼうになるんかいのう」と聞かれた。これは地元の言い方で「年はいくつ」「何歳かね」という問いかけになる。問いかけてきた人は私より1学年上でよく知っている。「今月80になる」と答えると「そうじゃったひとつ違いじゃったのう」と笑う。寺の掲示板の「生きるとは出会い続けることである」が笑っているように思う。

 しばらくコロナや新政権の話しの後で「最近、高齢の知人や同期が続いて亡くなったが、コロナでなくてもみな家族葬で何日も過ぎてから知ることになった」とコロナ禍による世相の変わり方を、分かってはいるがと断りながら嘆くように話す。コロナが収束しても家族葬はレガシーとして残るという人もいる。当たり前と思ったことがそうでなくなるかもしれなくなる。

 コロナは百年、百五十年に一度の大変動をもたらすかもしれないとある識者は書いている。それは産業革命やルネッサンスに匹敵すかもしれない変革という。私らはそんな大変化の時代に生きていることになる。寺の掲示の「生きるとは出会い続けること」の証のような状況にいることになる。

 家族葬では人と人の繋がり、交流や集いの方法が変わっている。リモートワーク、Zoom会議、無観客試合など連帯感という形が崩れている。生きることの方法、仕方をどう変えたら「出会い続ける世界」に生き残れるのか、「コロナに負けんように頑張ろうで」と分かれた先輩のひと言を思い出しながら思案する。
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運転中の怒り

2020年10月04日 | 生活・ニュース

 ドライブレコーダーの急速な普及のおかげで、高速道路をはじめとして各地で発生している運転中のトラブルを知るようになった。それらの映像から反省や学習をし、安全運転に今まで以上に心掛けるようにしている。免許の更新があと何回できるか分からないが、続いているゴールドは守りたい。

 「車の運転中に、ついイライラ・・。その怒りは、最悪の場合、あおり運転につながることも!怒りのコントロール法を知り、運転や日常生活に生かしましょう」ということで「運転に役立つ 怒りのコントロール」という特集がJAFMate10月号載っている。運転中にイライラするかという問いに、約7割がありと答えた。その状況という問いの回答トップは「ウインカーを出さずに進路変更される」。

 怒り発生のメカニズム説明の続きに「運転中に怒りを感じたら」とその対策が載っている。項目ごとの解説ははぶくが「6秒かけて深呼吸」「家族の写真を見る」「数を逆から数える」「合言葉を唱える」「怒りの対象から離れる」とある。最も効果あるのは深呼吸、6秒は、脳の中心で生まれる感情に脳の表面で生まれる理性が介入するまでの時間という。6秒は3秒息を吐き、3秒かけて吸う、その間は何も考えないことが肝心とある。難しくない、忘れないでおこう。

 前を行く車3台が続けてウインカーなしで右折した。高齢女性ドライバーだったことで怒りを諦めたが、これが怒り原因のトップと知り納得した。そんなモヤモヤを払ってくれたものが行った先で見つけた可愛い標識。他では見かけたことのない横断歩道に踏み出す前のなんともかわいい絵柄、左右を確認する図はだれにも分かりやすい。
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薪作り

2020年10月03日 | 回想

 燃料や肥料を扱う店の軒下、この季節になると薪が高く積まれる。需要先はどんなところか予測つかないが、今も薪需要のあることに日本のある連続性を感じる。そんなことを思いながら通り過ぎるとき思い出した。見学した木造新築の家の暖房は薪ストーブで、インテリアにも見える立派なストーブが備わっていた。屋根を貫いて大きな煙突が庭を見下ろしている。

 近所にも同じような大きな煙突の家がある。冬に向かうからか最近薪がびっしりと積み上げられた。そんな立派な煙突ではないが、子どもころにはどこの家にも風呂とかまどの煙突が立っていた。そのころの家庭用燃料は主に薪だった。夕方になると子どもも風呂焚きなどの手伝いをしていた。仁徳天皇の「民のかまど」の話を思い出す。

 あるHPに陶芸釜で素焼き用の薪作りの様子が載っていた。1週間近く24時間釜に放り込む量は中途半端ではない。廃材薪について釜主は「再利用されて天寿を全うする木もあれば、焼かれて焼物の模様になって天寿を全うする木もある」と、廃材の力の尊さに感謝する言葉が添えられていた。捨てられるところが薪になれて古材らも喜んでいるだろう。

 しかし、薪作りは工具を使う。古材の切断は電動ノコ、それを割って薪にするのは手斧でなく薪割り機で行う。薪を積み上げる作業は人力、これが大変な作業になる。昭和30年代半ばまで我が家の家庭燃料は薪だった。手斧で割り、それを軒下に倒れないように積み上げる、掲載の写真を見ながらあの頃を懐かしく思い出しす。
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大丈夫かなあ

2020年10月02日 | 社会 政治

 今朝の新聞、「経済・証券」面は初めて目にした紙面だった。見慣れている「始値・高値・安値・終値・前日比・売上高」の各項目に「ー」が印刷されている。新聞社によってはこの面の掲載を見送った社もある。原因は日本取引所グループ傘下の東京証券取引所のシステム障害で、株式全銘柄の売買を終日停止したために発生した。東証が売買を終日停止するのは初めてで、世界でも異例とという。

 株に無縁なので一喜一憂する者ではないが、大変なことだろうくらいは分かる。報道以外のことを知る由もないが、東京を世界の金融センターの一つにという計画が表面化しているが、素人でも大丈夫なのと問いたくなる。コンピュータ化したことで起きる弊害か、という株関係者の話を聞くと、心配なことが頭をよぎる。

 それは、新内閣が大臣を新設してまで進めようとしている日本のデジタル化推進は本当に大丈夫か、といこと。官庁のIT化が始まって久しいが、コロナや給付金支給などでその脆弱性が表に出てしまった。情報のやり取りをファックスで行っていることから、どんなIT化を進めてきたのか、初歩の段階から検証したのちデジタル化を図らないと、デジタル庁が泣くことになる。また、職員の意識も変えないと進まない。

 東証だったからまだよかった、といえば怒られるだろうが、東証のようなシステム障害が行政サイドで発生したらその影響は株式の売買停止どころではない。現在の人材・ITインフラなど細部まで検証して「日本のデジタル」を構築してほしい。総選挙向けの構築でなく、国民のためのシステムにし、そして誰もが易しく使えるシステムの構築が必要だ。
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