日々のことを徒然に

地域や仲間とのふれあいの中で何かを発信出来るよう学びます

坂の上の家

2021年05月28日 | エッセイサロン
2021年5月28日 毎日新聞「男の気持ち」掲載

 「坂の上の家だからテレビは映る」と言って父の知り合いの電器店がうちで試した。捉えたのは瀬戸内海を越えた四国・松山の電波。昭和35(1960)年のこと。そんな坂道の上で私は生まれた。
 そこを離れて五十数年。ある日の散歩の途中、ふと思いつき、若い時に自転車で上りきれなかった300㍍ほどの坂を上った。その坂道にいくつもの思い出がある。
 その一つ。戦後の食糧難の時代、父は日曜農家で自家用野菜を何種類か作っていた。収穫の日、父が畑から帰るのを弟と坂の下で待った。
 野菜を載せたリヤカーの後押しをするためだ。石ころの道を押すのに、どれほど力添えになったか分からないが、父の喜ぶ顔がうれしかった。
 運動は苦手で走っても跳んでも、順位はいつも後ろの方だった。しかし、徒歩での登下校12年。中学・高校の校内長距離走は自分でも驚くほどの上位たった。坂道のお陰と感謝した。高台と言えば聞こえはいいが山あいの家。子ども同士で山を駆け回るのには絶好の地形だった。   
 そんな石ころの坂道は舗装され、家ぐるみで親しかった家々は代が替わり、農地は宅地となって今風の家が連なる。駆け回った畑や山、杉の生け垣など記憶に残る風景は見えなかった。
 ただ、道沿いを流れる谷川にかつての姿をかすかに感じ、わずかな水の流れをしばらく眺めていた。
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