日々のことを徒然に

地域や仲間とのふれあいの中で何かを発信出来るよう学びます

メダルの色

2016年08月24日 | 回想


 ちょっと古い話。リオ五輪陸上男子400mリレーで銀メダルとなった日。ふと見た東の空に18夜の月が遠くの家の屋根から顔を出すところだった。まん丸から3日目の月は少し変わりかけていたが、周囲の明るさの影響もあろうが金メダル色に見えた。リオ五輪、メダルラッシュが報じられるころでこりゃあ撮らねばと手持ちでシャッターを押す。

 五輪出場選手はもとより、日本で応援する者もそれは欲しいが、欲しいからと言って容易に手に入るものではない。メダルを手にした選手の喜びの顔がその重さを教えてくれる。IOCはメダル獲得数の集計はしていない、獲得一覧表は報道関係がまとめたものという。さすがIOC、五輪はメダルが目的ではないと言いたいらしい。

 メダルを手にした選手を見ると思い出すことがある。それは運動苦手でも努力すれば少しは何とかなるということ。走っても飛んでも投げても人並みに達しない自分の運動能力は知っていた。中学校では男女別で校内マラソン大会がある。能力別ではなくとにかく一斉にスタート、当時は公道をもコースになっていた。大会まで下校後に往復5キロ近くを一人で持久練習した。足の痛みが薄れるころ少しは早くなったような気がした。

 500人強が一斉にスタート。服装など記憶にないが黙々と走った。ゴールで手渡された札は「69」、わが目を疑って見直したが間違いない、今もはっきり記憶しているのはよほど嬉しかったためと思う。たかが校内マラソではるが、69という現れた結果を喜び満足した。帰国したメダリストの会見、応援がメダルに連なったと感謝の意、驕らぬところに好感、4年後に期待出来る。
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