29年前の今日は会社勤めの現役、午前6時前、出勤のため起床するいつもの時間だった。突然の揺れは地震だった。大きな地震、そう思うと同時に棟上げが終わって間もない新築中の我が家が気になり、急いで現場に向かった。日の出前の暗い中で懐中電灯の明かりで異常ないか点検した。見た目では見つからずほっとし、報告を聞いた家内もほっとした。
NHKの画面はあちこちで炎が上がる様子を映しているが詳細は分からず。放送内容も東京と神戸の間には齟齬のあることに気づき、「大事になっとる」と思いながら出勤した。職場のTVには予想もしない被災映像が次々と映り、ただただ驚くばかりだった。何時間か過ぎたころ上司の母親が閉じ込められ救助待ちと分かった。無事救出の報に職場全員でほっとした。
会社からも、特殊な技術を持っている社員が関西地区のインフラ復旧に交替で長期間出向いた。高校の級友が長田区で履物製造を営んでいたが、その級友は被災亡くなった。複数人がクラスを代表して弔問に伺った。震災後間もなくして上空から神戸地区を見た。ブルーシートで覆われた屋根の多さに驚き言葉にならなかった。
今も能登半島地震では、2週間過ぎても被害の全容が把握できないほどの被害が発生している。こんな様子では復旧復興への工程の確定はいつになるのだろうか。避難の長期化は避けられないだろうと思うと関係者のお骨折りを遠くからお願いするしかない。
(今日の575) 岸壁の隆起映像恐怖知る