現役のころの思い出。ある自治体が主導して造成した分譲住宅団地が完成した。そこの購入希望者の大半が当社勤務なので自治体担当者が「社宅用地としてどうですか」、こんな笑い話になるように宅地が売れ、マイホームを建てる若い人が多かった。
市内にはいくつも、山を切り開き宅地が造成され、碁盤の目のような道路が作られる。車社会へ移る時代で、整然と並んだ家々には車庫が目を引いた。城下町界隈に住んでいる者には、同じ市内なのかとその新鮮な街並みがうらやましく思えた。そこには小中校が新設された団地もあり、若い人の住みやすい街が生まれた。
あれから何十年、3階建ての校舎の3階は空き、団地の住民は減少している。昨年の秋、市内の高校生に対する意向調査で高校3年生の半数が「地元を出たい」と回答したと報道されている。希望する働き先がない、というのが主要因になっている。競うように団地が作られたころに、こんな情勢を想像する人はいなまっただろう。
ある施設から向かいの山の団地を眺めながら、遠い昔のことを思い出した。あちこちのこうした団地に住む同期、知人なども、多くが夫婦二人暮らしになっている。子や孫は盆暮れの帰省でやってくるが、日ごろはライン交流と笑う。若い人が住みたい、そんな街つくりを願いたい。10月には市議会議員選挙がある。ポスター掲示版の設置が始まった。考えて活きた1票を投じたい。
(今日の575) 人が減りバス遠のきて坂が苦に