
周辺で新築が続く。門を出て少し足を延ばすだけで十数軒になる。どの新築家庭にも就学児童の姿が見られ、過疎少子化の世情が信じられない気になる。しかし、角を一つ曲がると様子は一変する新旧混在した地域に住んでいる。新しく建つ家は、古い家屋が解かれ跡、耕作放棄された畑など、いろいろ背景はあるだろうが、活用されることは地域に新しい息吹を呼び込んでくれる。
耕作されなくなって随分な月日を重ねた空き地がある。収穫されずに残った野菜が再び三度葉を茂らせていたがそれもいつしか消える。その後は、先住の野菜に遠慮気味だった雑草が生い茂り、外見には手の尽くしようがないように見える。
そんな雑草地にも今は菜の花がブロック塀を背にして咲く。冬枯れからようやく緑色の葉を伸ばし始めた雑草の背丈より高い菜の花はひときわ目立つ。黄色の花はどこからやってきたのか知らないが、春を知らせてくれるし、荒れ地をひと時ではあるが華やかにする。この日、蝶の姿は見えなかったが、虫を探す子どもが数人雑草を踏み分けていた。
雑草は抜いても抜いても生えてくる。雑草はそこに生えてほしくないものだが、そのたくましい生命力は人もうらやみ「雑草のごとく生きろ、雑草のように育て」と教える。雑草のように育てようとしたら虐待かと疑われそうになったとか。捉え方は時代によって変わるだろうが、強く生きることに異はない。まもなく子どもらは進級する、あまり心配せずに見守っていこう。