みことばの光的毎日

聖書同盟「みことばの光」編集者が綴るあれこれ

それでも幸せでない

2023年04月19日 | 創世記

創世記 30章1−24節

 雨の中でしたが、ずいぶん前に訪れた温泉の共同浴場を再訪。気温が10度前後でしたので、からだがホカホカと温まりました。今はどの町も市町村議員の選挙期間中で、「よろしくお願いします!」と連呼しながら自動車を走らせる光景に懐かしさをおぼえました。でも、連呼は票に結びつくのでしょうか。

 前章後半から本日読む箇所までには、ヤコブが妻のレア、ラケル、レアの女奴隷のジルパ、ラケルの女奴隷のビルハとの間に、11人の子を設けたことが書かれています。そして、それぞれの子どもたちの名前には、レアやラケルのその時々の思いが込められています。

 子が産まれるということは、両親にとっての喜びであるべきなのですが、それぞれの子どもたちの誕生に際してレアもラケルも、そしてヤコブも心から喜んでいる様子はここからは伝わってきません。それは、二人にとって子が産まれるということは、ライバルへの勝利のように思えたからです。

 20節にあるレアのことばに目が留まります。「今度こそ夫は私を喜ぶでしょう。彼に六人の子を産んだのですから。」「今度こそ」ということばに、夫に振り向いてもらえない、愛されないレアの悲しみが込められているように読めます。一方23節にはラケルのことばがあります。「神は私の汚名を取り去ってくださった。」ラケル自らによる初めの子を身ごもった時に彼女はこう言いました。彼女はずっと幸せではなかったことがこのことばから伝わってきます。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。